耕衣は退職後須磨(神戸市)に住み、多数のピカピカの人々囲まれ生活し、楽しくない不本意な時間はなかったようです。
自然の営みに感動
耕衣は、隣人の交わりとともに周囲の自然の営みにも目をむけるようになりました。
空を見上げれば、鳶(とんび)が年中、空を舞っていています。
秋に入ると、浜にセキレイが来ます。
長い尾をリズミカルに上下させるその姿には「女人的な美しさ」があり、雌雄を問わず、耕衣は「彼女たち」と呼びました。
それに、セキレイは番(つがい)か、一羽で来て群れません。
「党派性や縄張り意識が無いように見える」から、よけい見ていて心が休まりました。
散歩は朝だけでなく、その日の成り行きで、午後にも出ました。
須磨(すま)寺と、その門前町。縁日以外はそれほどの人出はなく、昔ながらの家並みや塔をのぞかせた深い森へと延び、寺の手前には大きな池もあります。
敦盛(あつもり)塚などの史蹟(しせき)や、万葉などの歌碑が、そして、並木道を上れば、離宮祉(あと)です。
公園と、散歩先には事欠きません。
そうした散歩コースの中で、とくに気に入っているのが、鉄道線路沿いの小道でした。
雑草が茂っているだけのつまらぬ道ですが、そこに雑草が残っているところが、耕衣には楽しみでした。
耕衣も最初のうちは、束ねて「雑草」呼ばわりしていましたが、やがて、カヤッリ草、スヘリヒユ、チヵラシバなどと名で呼ぶようになり、「除(の)け者にされながら、よく頑張っている」と親しみを持つのでした。
雑草が残っているのは、ふだん、あまり人の通らないせいですが、その先に妻のユキヱの好きな甘栗を売る店があるため、妻想いの耕衣にとっては、甘栗買いに通う甘い小道ともなりました。
いずれにせよ耕衣の雑草への片想いも深まりました。
最初は、野菊などを摘みとって持ち帰り、壷(つま)を選んで活(い)けたりしていましたが、やがて立ち枯れた姿にまで風情を感じるようになりました。(no3460)
*写真:須磨寺にて