ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

永田耕衣の風景(10) 「新しい村運動」にあこがれる

2017-01-14 09:09:30 | 永田耕衣の風景

   「新しい村運動」にあこがれる

 多彩な文芸というか、遊芸の世界と比べれば、耕衣の日々の勤務は単調であり、また肩書が物を言う世界で、いかにも味気なく感じました。

 こうした生活が三十年、四十年続くかと思うと、若い耕衣はやり切れなくなったのです。

 性に合わぬ、人間らしくない。ここを脱け出し、理想の人間として生きたい。

 そんな風に考えこんでいるとき、武者小路実篤が日向(ひゆうが)の地ではじめた「新しき付運動」のことを知りました。

 そこなら、大自然の中で文芸に親しみながら、心の通う仲間たちと晴耕雨読の理想的な暮らしができる。

 「新しき村の精神六箇條」の中には、「全世界の人間が天命を全うし、各個人の内にすむ自我を完全に生長させることを理想とする」と、はっきり呼びかけています。

 「妻・ユキヱに相談するまでもない。わかってくれる、ついてくるはず」と勝手に決めてしまいました。

 いまこそ会社をやめ、「新しき村」へころげこもうと思ったのです。

 両親の嘆きや妻子の困惑などは、とりあえず棚上げでした。

    新しい村への入村を断念

 彼は入村申込書を取り寄せ、誰にも見せずに記入しました。

 だが、最後になって、破りすてました。

 右手の拳(こぶし)で紙を押さえ、左手の指だけで引き裂きました。

 彼に入村を断念させたのも、その手のせいでした。

 役に立たぬ右手。それは、農耕で生きようとする場合、大きなハンディキャップになります。

 仮に入村を許されたとしても、その分、確実に他の同志たちの負担や迷惑になります。

 「自分は理想的な人間として生きたいからといって、そうした犠牲を払わせてよいのか」と考えました。

 「入村の資格がない」と耕衣は、自分で自分に言い渡しました。(no3449

 *写真:耕衣愛蔵の武者小路実篤の著作

 

コメント
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