アメリカ合衆国大統領予備選挙が始まった。この時期になると、1冊の本を開いて拾い読みすることが多い。Richard Hofstadter, Anti-Intellectualism In American Life, New York Knopf, 1963 (日本語版は、リチャード・ホーフスタッター、田村哲夫訳『アメリカの反知性主義』みすず書房、2003年)である。この本は出版の翌年の1964年にピュリッツアー賞(一般ノンフィクション部門)を受賞した。
今回、ホーフスタッターの本を開かせたのは、ドナルド・トランプ氏である。選挙活動をニュースで追っている限りにおいては、不動産で稼いだ金はあるが、発言にはおよそ知性の薫りがない。そのトランプ氏が受けているというのは、アメリカに大いなる反知性主義の津波が押し寄せてきているのではないかと、感じさせるからだ。
今のアメリカ人には強い閉塞感があり、そのはけ口として、トランプ的なたわごとが受けているのだろう。ちょうど、沈滞感漂う大阪が橋下過激発言を面白がり、ウサを晴らそうとしたように。
ホーフスタッターがアメリカの反知性主義に関心を寄せるきっかけになったのが、1950年代アメリカの政治的・知的状況だった。マッカーシズムが吹き荒れ、1952年の大統領選挙戦では、俗物根性(ドワイト・アイゼンハワー)と知性(アドレイ・スティーヴンソン)が争った。その結果、「凡庸で、ことばもやや不明瞭であり、人当たりの悪いニクソンとコンビを組んでいた」アイゼンハワーが、「非凡な知力と際立つスタイルをもつ」スティーヴンソンに圧勝した。このことで、「アメリカが知識人を否認したものだと、知識人自身も、その批判派も、受け取った」とホーフスタッターは書いている。知識人を小馬鹿にした米俗語・egghead が定着したのもこの時代だった。
ホーフスタッターの言う「反知性主義」は、アメリカの大統領選挙や政治にその形と程度をかえながら繰り返しあらわれている。1964年の大統領選挙、バリー・ゴールドウォーター対リンドン・ジョンソンの対決は、反知性主義同士の争いになった。勝ったジョンソン大統領はベトナム戦争にのめり込み、68年の選挙に出馬しなかった。
ジョンソン大統領のあと、リチャード・ニクソン、ジェラルド・フォード、ジミー・カーター、ロナルド・レーガン、ジョージ・ブッシュ(父)、ビル・クリントン、ジョージ・ブッシュ(子)、バラク・オバマが大統領に就任した。ニクソンは米中国交を樹立する一方で、ウォーターゲート事件によって任期途中で辞任した。政治的力量は別にして、ニクソンが知性の人だったと信じる人はそれほど多くないだろう。ニクソン辞任で大統領になったフォードも「私はリンカーンではなくフォードだ」と冗談を言ったが、そのとおり高邁な知性の人ではなかった。ジョージ・ブッシュ(子)は歴代大統領の中で、知性からもっともっと遠いところにいた人物で、対アフガニスタン戦争と対イラク戦争を始めて、米国の国際的威信を大いに傷つけた。
政治家は権力を獲得しようとする人であり、権力の獲得の成否は、本質的に、知性と関係がない。知性はせいぜい権力獲得欲を美化し、整えるための化粧として使われる程度である。
1961年に発足したケネディ政権は大統領自身の知的なイメージや、大統領の下に集まったスタッフに知識人が多く、1950年代の反知性主義と絶縁したように見えた。ホーフスタッターとともに1964年のピュリッツアー賞(国際報道部門)を受賞したデーヴィッド・ハルバースタムの『ザ・ベスト・アンド・ザ・ブライテスト』に、副大統領のリンドン・ジョンソンと彼の政治指南役サム・レイバーンの次のような会話が書き込まれている。
ケネディ政権に集まった人々の知性に感銘を受けた副大統領リンドン・ジョンソンが、サム・レイバーンに、バンディはハーバード大学から、ラスクはロックフェラー財団、マクナマラはフォードから馳せ参じ……などと、ケネディ政権のかためたキラ星のような知識人について話したところ、レイバーンは、リンドン、君の言うとおりみんな知性的な連中かも知れんが、私としては、彼らの中の一人でもいいから保安官の選挙に立候補したことのある者がいてくれれば、安心なのだがね、と答えたという。知性より実用的な訓練に重きをおく、アメリカの伝統的な考え方である。
ケネディ政権に参集した知識人たちは、ケネディ後のジョンソン政権でヴェトナム政策を誤ってしまう。アフガニスタンやイラクとの戦争で失策を犯したブッシュ政権と同じだ。知性と外交政策は関係なさそう見える。
アイオワ州の予備選挙で本格的に始まったアメリカの次期大統領選びで、今後、アメリカの反知性主義がどのように有権者の関心を引きつけるのか、その展開を楽しみにしている。
(2016.2.5 花崎泰雄)
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