政治家は自らが理想とする政策の実現のために権力を渇望するのか、それとも、権力を掌握するための手段として人民に理想を語りかけるのだろうか。
時の人、小沢一郎は自民党を割って出て以来、新生党、新進党、自由党、民主党合流と、4回にわたる政党遍歴のたびに政治の理想のようなものを語った。今回また民主党を割って出たのも、国民第一の政治の理想に殉じたのだと説明した。
小沢の遍歴について、理想の実現を求めて新党をつくり、つくってはまたうちこわしたと見る人もいる。逆に、権力争いのための道具として新党をつくり、敗れて不用になった政党を廃棄する行為を繰り返した露骨な政治的我欲とみなす人もいる。見方は小沢一郎に好感を持つか、嫌悪感を持つかによって異なる。
小沢は理想の政治を語ることが少なかった。語られたのは選挙用のスローガンだった。したがって、政治の理想という面から小沢の行為を説明するのはなかなか難しい。
小沢は消費税増税を成立させるための民主、自民、公明の連携を批判した。民主党が野党時代、小沢は民主党代表として自民党の福田首相と大連立を話し合っていた。
民主党内で最強の実力者だった小沢が、首相レースで鳩山、菅、野田らに目の前の首相の椅子をさらわれ、結局は民主党から出ていくことになったのは、どこに問題があったのだろうか。
それはどうやら、ニッコロ・マキアヴェリのいうフォルトゥナ(運)とヴィルトゥ(甲斐性)のかみ合わせがちぐはぐだったせいだ。
マキアヴェリは、『君主論』の中で、用意周到であるよりも果断に運命を切り開け、と言った。確かに小沢は果断に運命を切り開こうとした。だが、マキアヴェリはこうも言っている。やり方が時代に合っていれば成功し、あっていないと失敗する。時代も情勢も変化したのに、やり方を変えない者は勢いを失う。人は持って生まれた性質に拘束され、過去の成功例の記憶に縛られる。
永田町にも時は流れる。小沢一郎はいつの間にかこわもての政治的シーラカンスになっていたのだ。小沢は自らの「剛腕」伝説によってつまずいた。
昔から「修身斉家治国平天下」という。小沢の妻の離婚手記によって、小沢一郎の「修身・斉家」の程度までが知れてしまった。アメリカ合衆国では「修身・斉家」が立派でないと大統領になって「治国平天下」を行うことが難しい。まあ、これはマキアヴェリとは関係のない筆者の嫌味に過ぎないのではあるが……。
(2012.7.2 花崎泰雄)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます