[ドイツ=小野フェラー雅美 2018.2.8]
日本版ウィキペディアは東日本大震災を次のように説明している。「2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一発電所事故による災害である」。福島第一原発の事故は、大規模な地震災害がもたらした併発事故という括りがされている。ドイツでは一般に「フクシマにおける原子力大災」と呼ばれ、地震という自然災害より人災である原発災害に焦点が当てられた表現となっている。
2011年3月11日に福島で起った原発災害の直後に行われたドイツの州議会選挙の結果は、福島の事故の影響を大きく受けた。3月11日の災禍の前に選挙があったハンブルクでは前回の結果と比べて大きな変化は見られなかったが、ザクセン・アンハルト(3月20日)、ラインランド・プファルツとバーデン・ヴュルテンベルク(3月27日)、ブレーメン(5月22日)では、以前から脱原発を謳っていた緑の党が過去最高の票を集めた。
その結果、バイエルン州と共にドイツ経済を牽引しているバーデン・ヴュルテンベルク州(ダイムラー、ポルシェ、アウディなど自動車産業で潤う)では州政府の政権交代に発展した。緑の党と社民党(SDP)との連立政権が成立し、キリスト教民主同盟(CDU)とドイツ自民党(FDP)は与党から野党に回った。
International Journal for Nuclear Powerの統計(2016年12月31日現在)では、ドイツは世界で8番目の8基の発電用原子炉を持っていた。粉塵や二酸化炭素排出の問題を持つ火力発電に比べて「きれいなエネルギー」といわれていた原子力発電に対し、ドイツでは1970年代から懐疑的なグループによる反原発運動が起こっていた。それに拍車をかけたのが1986年のチェルノブイリ原発事故だ。中南部ドイツも汚染され、子どもを砂場で遊ばせないよう指導があり、雨の日の外出を控えるよう警報が出された。その年最初の子が生れた筆者を含め母乳の自主的検査も行われた。ドイツでは1kgにつき600ベクレル以上のセシウム137を持つ食品の流通が禁じられている。南ドイツでは30年以上を経た今でも茸や根菜類を食す猪肉のセシウム汚染調査が続けられ、現在も破棄される猟獣がある。
実は、ドイツでの脱原発の動きは2011年から始まったわけではない。1998年に成立した緑の党とドイツ社民党(SPD)との連立政権下、シュレーダー首相(SPD)が選挙で公約していた「脱原発」を実行に移し、2000年には各電力供給会社と政府が徐々に電力の原発依存率を落とすことに合意。原発停止の段取りは時期と量とで一応法制化された。
2003年と2005年に大手の原発2基が停止された。その後、2005年のCDUとCSU(キリスト教社会同盟)とSPDによる第1次メルケル大連立政権と2009年の第2次メルケル連立政権(CDU/CSU+FDP)は、脱原発の方向は堅持するも、2010年に既存の原発の稼動延長を決定した。この決定をめぐって国中で議論が白熱化した。その只中にフクシマ原発事故が起った。
2011年の福島における原子力大災は、第2次メルケル政権の原子力発電政策を180度転換させた。2011年3月のフクシマの惨事以来一時休止されていたドイツの8基は、同年夏には完全停止された。残る8基の原発も2017年(1基)、2019年(1基)、2021年(3基)、2022年(3基)と、原子炉が0基となるまでの原発停止年が「原子力基本法」第7条第1項で法的に定められた。同時に、各地方自治体に対して、輸入電力も含め、ドイツで使用される電力を原発由来でない「再生可能」エネルギーへ移行させることが指示された。
ライプチヒ大学で物理学博士号を取得しているアンゲラ・メルケル氏が2011年6月9日に行った施政演説は、本題に入る前に、3ヵ月前に起こった福島大災を詳細に語り、日本の被災者への心からの見舞いの言葉で始まった。その演説でメルケル氏は脱原発の理念を明確に示した。
「日本のような工業大国でさえ、原子力の持つリスクを完全に制御できない……無に等しかった確率の『残存リスク』が起きてしまった、という事実を認める者は、政策決定の前提である評価を新たにやり直すべきであり……リスク予想、確率分析の信頼性が根底から崩れた今、政府は何世代にも亘る大きな災いをもたらすリスクを宿す原発に将来の国民の運命を委ねられない」
「先秋、エネルギー協議の際、原発稼動延長に力を入れた私自身が、議会ではっきり言えることは、フクシマが私の原発への態度を根底から変えた、ということです」とメルケル氏は強調し、段階的脱原発詳細への決議の経緯、電力供給網の近代化を含めた代替エネルギーへの移行過程とそれに必要な監査システムの設置や、並行した(個人家屋も含めた)建築分野での省エネ建築への移行などを詳しく述べた。その一部は以下の通り。
①政府は原子炉安全委員会に全原発について詳細な安全試験を委託し、安全なエネルギー供給のための倫理委員会を発足させ、両委員会の結果報告書を基に、8件の法案と条例を議決した。
②原子力基本法の変更。ドイツでの原子力発電利用は2022年に終わる。
③8基の稼動停止直後のエネルギー供給の保障、電力の安定した供給のため発電拠点に十分な化石エネルギーを予備。
④当座2回の冬季期間のみ、停止された8基の内の1基を予備として稼動可能な態勢に置く。これもフクシマ大災後の反応から学んだことであり、人間が判断して起こりえない事態が想定されるとしても、万一の事態に備える態勢は敷いておかなければならない。
⑤将来のエネルギー供給の中心は再生可能エネルギーであるべきだ。2050年までに再生可能エネルギーの割合を60%、電力では80%を目標とする。2020年までに消費電力の最低35%を、風力、太陽、水その他の再生可能なエネルギー源から賄う。
⑥野心的な再生可能エネルギーの増設やそれに必要な供給網の拡充とともに、国内全体のエネルギー効率を上げなければならない。その中心にあるのが、個人家屋を含めた建物の分野だ。ドイツのエネルギーの40%がそこで消費され、それは全CO2排出の3分の1を占める。2020年までにこの分野の電力消費を10%落とすことを目標とする。
ドイツ政府による脱原発は、その環境保護目標と切っても切れない縁をもつ。それは、2020年までにドイツの地球温暖化ガス排気量を1990年の値の40%まで落とす、という目標だ。8基の原発が停止された2011年末以降、化石エネルギーなどを用いた火力発電による代替エネルギーの顕著な拡大は見られなかった。これは、再生可能エネルギー(風力や太陽光を用いた電力)を代替とする政策が今の所功を奏している結果といえる。
また、2011年、2012年にフランスなどからの輸入電力が増加した形跡もない。2011年末の8基停止の直後、すなわち2012年の初めは、ふつう暖房に電力が必要となる冬場で、前年、前々年の同時期比の再生可能エネルギー生産は42%増となった。これは、再生可能エネルギーへの切り替えがスムーズに行われた結果と見てよい。
ちなみにドイツの電力は自国消費量を大きく上回って生産され、2016年には51テラワット/時を輸出した。輸出先はオランダ、オーストリア、スイスなど。再生エネルギーと言いつつフランスから原発電力を買っているではないか、ということをよく聞く。このデータは輸入量のプラス・マイナスの結果なので、無論買っている部分もあるのだが、全体像を見ると原発電力で車を生産している、ということにはならないようだ。
筆者は2006年にEUの電力事情を視察に来た東京電力幹部と仕事をしたのだが、EU各国間の電力の売買には既に長い歴史があり、各国は夏時間などのメリットを使って、より安価な電力を売り買いし工業生産に必要な電力などを賄っている。
2010年と2017年の統計を比較すると、エコ電力(風力、水力、太陽光、バイオマス)の割合は予定通り増え、これからの大勢を一応示唆している。
2010年 2017年
電力生産総量(テラワット/時) 605 654
内再生可能エネルギー 17 % 31.1 %
原子力発電 22% 11.6 %
火力発電石炭 19 % 14.4 %
火力発電褐炭 23 % 22.6 %
火力発電天然ガス 13 % 13.1 %
(細かいことだが、天然ガスについてはメルケル政権前の時代にパイプラインを引いた際のロシアとの買い付け協定があり、早急に需要を落とせない背景がある)
メルケル氏が繰り返し強調している点は、2050年までに、輸入電力をふくめ80%の使用電力の由来を上記エコ電力で賄う国にもってゆくことだ。
停止と同時に原発の解体撤去作業が始まる。これがなかなかな問題だ。GE特許により建てられたドイツ最古のカール原発の解体撤去には稼動年数25年を大きく上回る34年を要し、建設費を大幅に上回る1.5億ユーロを費やした。ドイツの「原子力基本法」は、廃棄証明なしの原発運営を許さない。「廃棄証明」とは、稼動停止後最低30年かかる燃料棒の冷却と温度管理や除染を含めた完全廃棄と最終保管までの運営への州管轄当局の許可を指す。電力会社には「完全停止後の」廃棄手順の詳細な遂行と報告が義務付けられている。
作業は汚染建屋の破砕と破砕物質の除染と埋立だが、問題は大きく3つある。①小型ショベルカーの「遠隔操作」(人は乗っていない)による解体では遠隔操作作業員や周辺住民の健康への配慮、汚染チェックは必須②複雑で時間の掛る除染作業、外界を汚染物質の影響から遮断するため、停止された建屋をコンクリートなどのドーム状の建物で覆い、その中で行われることが多い③除染済み建設廃棄物の最終保管地がない。誘致した自治体での仮保管管理が長期化する。燃料棒は完全停止後も冷却されねばならず、その温度制御を含め生物の健康に害を与える放射性物質は厳密に管理され続けられねばならない。セシウム137の場合は半減期である30余年間、テクネチウム99は21万年、ネプツニウム237は210万年かかる。
低価格な選択肢が別にある。建物全体をコンクリートで封じ込める、チェルノブイリで採られた選択だ。この選択によると、セシウム137に関しては30年以上に亘る漏れなどの厳密な点検を必要とし、半減までの状態の注視もあり、最低一世代分の期間、居住不可能な地域ができる。
さきにふれたカール原発の解体撤去では、180万トンの除染済み建設廃棄物がグライフスヴァルト原発の敷地内に一時保管された。これは東西ドイツ合併前の東独が持っていた旧式な原発で、1989年の合併直後のチェックの結果停止されたもの。旧西独の原発操業電力会社はこの解体撤去費用を稼働中に蓄えることを義務付けられていたが、国で運営していた旧東独にはその蓄えがなかった。日本はどうなのだろう?
2017年停止のバイエルン州の一基は、34年稼動後、去年12月末に完全停止され、電力網から外された。操業電力会社は州の管轄当局に停止後の核燃料棒の冷却、温度制御方法、除染・廃棄手順など、放射性物質汚染在庫品目録を含めた詳細にわたる「停止コンセプト」を提出し、登録された外部第三業者による汚染検査も含め、許可管轄局下に後始末をしなければならない。
2011年6月のメルケル演説後、筆者は、南ドイツの原発拠点に隣接する市で、市長による2012年の新年の施政演説を聞いた。1万人弱の小さな市ながら、40%あった隣接市原発由来の電力を半年で0にできた、と市長は言った。筆者は、その40%の電力の1/3を、耕地に太陽光発電パネルを立てることで賄った農場主を知っている。電力消費量の多い重工業を抱える都市には同様な時期内の移行は難しいだろうが、各地方自治体に自治体が必要とする電力の由来変更を課する、という政策は成功していると思う。
一方で、大手電力会社は政府を相手取って何億ユーロにも上る訴訟を起した。2010年に政府が決定した原発運転延期路線をもとに各電力会社は稼動続行の方向で投資を進めていた。それが2011年の脱原発への方向転換により覆され、見込まれていた売上の達成も、撤去のための費用積立もしえなかった、という。これには理がある。この訴訟の決着はまだついていない。
2017年以降、ドイツ発のディーゼル・スキャンダルを通し、自動車産業全体が電気自動車への移行を目指し始めた。限られた化石エネルギーはいつか代替を必要としていたが、電力供給容量が今までの計算では合わなくなる可能性が出てきた。それを踏まえ、電力供給達成目標のハードルはより高くなりそうだ。
国際的な工業立国として脱原発を目指すドイツは政治的にも経済的にも先駆的役割を果たしており、その先行きは各国の注視の的となっている。ドイツの選択のあと、ヨーロッパで同じ選択で続いたのはベルギー(2025年完全停止)とスイス(2034年)のみ。原発大国フランスはその路線を堅持しているが、75%あった原発由来の電力供給量を2025年までに50%まで落とすことを2014年の10月に決定している。
現在、主要工業国のひとつと看做されているドイツが、その生産性と気候環境保護を維持しつつ、原発依存エネルギーをゼロにもっていけるかどうか、世界から注目されている。
<参考文献>
https://de.statista.com/statistik/daten/studie/153533/umfrage/stromimportsaldo-von-deutschland-seit-1990/
http://www.kas.de/wf/doc/kas_30751-544-1-30.pdf?151210102433
https://www.financescout24.de/wissen/ratgeber/atomausstieg
https://www.bfs.de/DE/themen/ion/umwelt/lebensmittel/pilze-wildbret/pilze-wildbret.html
https://www.bundesregierung.de/Content/DE/Artikel/2017/12/2017-12-29-akw-gundremmingen.html
http://www.klimapark-rietberg.de/?p=1076
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