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ヘゲモニー

2023-08-05 14:21:20 | 国際

ロシアのドミトリー・メドヴェージェフ前大統領が、ウクライナに対して戦術核を使うことを躊躇しないと強硬な発言をしたり、プーチン大統領が戦術核のベラルーシ配備をしたり、ロシアはウクライナとそれを支援するNATOに対して、瀬戸際政策じみた脅しを続けている。ロマノフ王朝時代の領土拡大や、アメリカと対峙したソ連邦の記憶に促されて覇権国家を目指しているロシアが、ウクライナに対して核使用に踏み切るのだろうか。

米国も朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争で核兵器の使用を戦略のオプションに入れていた。オプションに入っていただけで、ホワイトハウスがその使用を深刻に検討した記録はない。また、核兵器の使用検討を対外的に公にしたこともなかった。日米戦争の末期、米国はそのそぶりも見せず、広島と長崎に突然、核爆弾を落とした。

いつ落ちてくるのかわからないのがダモクレスの剣の怖いところだ。現在はほご同然になってしまったブダペスト覚書では、ウクライナに対して核兵器による脅しはしない約束になっていた。ブダペスト覚書にはエリツィン露大統領、クリントン米大統領、メージャー英首相がサインした。ロシアがクリミアに侵入する3年前の2011年にプーチン大統領がクリントン氏に、ロシアはブダペスト覚書に拘束されないと語った(The Gurdian, 2023年5月5日)。

ウクライナがロシアに侵略されたのは核を手放したからだ、という説は北朝鮮に対して説得力のある歴史の教訓である。先ごろピョンヤンで行われた休戦70年の軍事パレードでは、キム・ジョンウン総書記、ショイグ・ロシア国防相、李鴻忠・中国共産党政治局委員が壇上に並んだ。腹の一物を隠しながら、笑顔をつくるのは外交の常とう手段である。力を持つ側の外交的笑顔はおためごかしである。弱い方の笑いは追従笑いである。

キム総書記、ショイグ国防相、李政治局員はロ朝中の団結を米国に対して示そうとした。朝鮮戦争の休戦協定は国連軍(実質アメリカ軍)と北朝鮮軍の間で締結された。北朝鮮は米国と平和条約を結びキム一族が支配する北朝鮮の安全な存続確かなものにするために核兵器の開発を進め、米国を交渉の場に呼び出そうとした。トランプ元大統領とキム・ジョンウン総書記がシンガポールで面談したが、話はまとまらなかった。

北朝鮮はいまロシア・中国と結んで、米国の覇権(ヘゲモニー)から身を守ろうとしている。「パックス・ロマーナ」「パックス・ブリタニカ」「パックス・アメリカーナ」などという言葉は歴史の教科書で知った。「パックス・ジャポニカ」構想もあった。日本は、満州・中国、インド、ビルマ、タイ、オーストラリアを含む地域を支配する覇権国家になろうとする大東亜共栄圏を打ち出した。日本のアジア侵略に異を唱えたのがアメリカだった。日本は兵員総数や軍艦総数では米国と大差なかったが、軍用機の総数では米国は日本の2倍以上、米国の国民総生産は日本の12倍、国内石油産出量は日本の28万キロリットルに対して米国は22295万キロリットルと圧倒的だった(山田朗『軍備拡張の近代史』吉川弘文館)。アメリカと戦争を始めても勝てるわけがないと多くのに日本人は思ったようだが、「アメリカの要求に屈服するにせよ対米戦争を挑むにせよ、どのみち日本は亡国を免れないのであれば、敢然と戦うほかない」(麻田貞雄「日本海軍と対米政策および戦略」細谷千博他編『日米関係史 Ⅱ』東京大学出版会)という非論理的な戦略判断をもとに当時の軍国日本は米国と戦争を始めた。

また、パックス・ロマーナほど知られてはいないが、東アジアには中国が率いる「パックス・シニカ」の時代があった。

その中国は清王朝の末期の諸外国の干渉や、その後の国民党軍と共産党軍の内戦が終わって、毛沢東の晩年になったころ、米国と日本と国交を結んだ。

1972年の米中上海コミュニケでは「いずれの側も、アジア・太平洋地域における覇権を求めるべきでなく、他のいかなる国家あるいは国家集団によるこのような覇権樹立への試みにも反対する」と言明した。同じ年の日中共同声明でも「両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」と表明した。

そのころ、中ソの対立はいちだんと険しくなり、中国はソ連の軍事力に脅威を感じていた。中ソ国境は7000キロ以上もあり、ソ連も中国を安全保障上の問題としてとらえていた。この頃のソ連の防衛費の2割が中国の脅威にむけて支出されていた(Bruce Russett, The Prisoners of Insecurity, NY, W.H.Freeman)。中ソが武力衝突した珍宝島(ダマンスキー島)事件は1969年の出来事だった。

したがって、「このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」という文言はソ連に向けられていた。

中国は1960年代に原爆実験と水爆実験に成功して核保有国になったが、日本ではまだ中国の核兵器に脅威を感じる一般人は少なかった。ソ連と対立していた中国もソ連の核に不安を感じていたのだろう。1972年ころ、総合的な核戦力では米国がソ連を上回っていた。

その中国が今や、軍備を増強し、一帯一路構想を唱えて世界に進出し、かつての東アジアにおけるパックス・シニカを世界に向けて拡張し、戦狼外交を唱えて、アメリカを追い越してヘゲモニー国家になろうとしているように見える。因果はめぐる火の車ということか。

(2023.8.5 花崎泰雄)

 

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