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安全保障環境は悪化したか

2023-05-07 01:35:07 | 政治

日本国首相の岸田文雄氏がアフリカ4か国とシンガポールを訪問した。アフリカ各国のリーダーとの意見交換のテーマは①力による一方的な現状変更の試みに反対②法の支配の下での自由で開かれた国際秩序の堅持の2点であった。訪問先のメディアの報道ぶりには不案内だが、日本の新聞を見た限りでは盛り上がりに欠けた訪問だったようだ。5月に予定しているG7をグローバル・サウスと呼ばれる国々に触れ歩く、相撲本場所を知らせる触れ太鼓のようなものだった。

日本の5月は祝日や土日がつながる仕事休みの期間が長く、勤め人はこの時期家族旅行で忙しい。閣僚も国会議員も連休を利用して、海外出張や視察旅行に出かける。安全保障環境の急速な悪化に伴って、日本が存立危機に陥る可能性について、国民あげて深刻に考えばならないと政権幹部は唱えている。そして防衛費の大幅積み上げと沖縄周辺の軍備強化に努めている。そのわりには、のどかな5月連休の首相海外出張旅行だった。

「存立危機事態」とは何か。「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」と政府は定義している(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)。存立危機事態になれば、条件次第で敵基地を反撃することもありうると、4月の国会で岸田首相は言明した。

日本の領域に対する武力攻撃で、日本の存立・国民の生命・自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が生じる事態は想像できないことはない。だが、密接な関係にある他国への攻撃で日本が存立危機事態に陥るというのは、想像自体が難しい。米国の大都市がミサイル攻撃を受け、おびただしい人命が失われたと仮定しても、その事件によって日本が存立危機事に陥るとはかぎらない。米国の太平洋側の大都市であるシアトル、サンフランシスコ、ロサンジェルスが攻撃を受けた場合、日本には攻撃がなくとも、日本は反撃を開始するのか。あるいはサンフランシスコ攻撃だけでも反撃するのか。日本の領域にある米軍基地が攻撃された場合は、反撃を始めるのか。中国の台湾侵攻が始まり、日本から台湾に向かった米軍が攻撃された場合、それは日本の存立危機になるのか。

核兵器を使うのか、使わないのか、それを前もって明らかにしないでおくのが、核戦略の極意であると言われてきた。日本の存立危機事態であるのかをはっきりさせないのが、安全保障戦略の秘訣である。

日本の自民党政権は安全保障環境の急変をしばしば口にする。第2次大戦終結後、連合国側は強国ドイツの再来を嫌って米ソがドイツを分割し、2つのドイツをつくった。日本国憲法に第9条の戦争放棄を盛り込んだのは連合国側のアイディアである。通説ではそうであるが、じつはこの条文は、日本の軍国主義再生を嫌った連合国側が思いついたものか、戦争の反省から日本側が発案したものか、その議論は今でも決着がついていない。憲法の誕生に関して、このようなあいまいさが残っているのが、日本人の歴史感覚の鈍さである。

安全保障環境の激変との言葉は新聞報道に盛んに書かれているが、どう変わったのか詳しい話を新聞で読む機会は少ない。かつて米国とソ連が大量の核兵器を抱え、核戦争になればともに消滅するしかない知った果ての相互確証破壊(MAD: mutual assured destruction)という MAD-ness な時代があった。第2次大戦後は戦争で核兵器が使われることはなかったが、通常兵器による戦争はたくさんあった。朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、アフガニスタン侵攻、イラク戦争があった。日本人の多くにとっては、米国が関わったそれらの戦争は自国の存立を脅かすようなものとは認識されなかった。

北朝鮮が核兵器とミサイルを開発した。その意図は米国に対して北朝鮮の国家としての認知を求めるものだ。北朝鮮には、日本の民間施設をミサイル攻撃の標的する理由がない。もし狙うとすれば、日本領域内の米軍基地だろう。

中国は台湾に対する武力攻撃の可能性を否定していない。台湾に対する武力攻撃が成功しない場合は、共産党指導部の瓦解につながりかねない。かつて日本が明治維新後に富国強兵の道をたどった時、富国の要は繊維製品の輸出で、その5割が生糸だった。日本の女性労働者が紡いだ生糸の売り上げで大砲を買った。明治維新から半世紀もたたないうちに、日本は日清戦争や日露戦争を戦い、明治維新後73年で日米戦争を引き起こし、4年後に敗戦、存立危機にはまり込んだ。

中国が毛沢東指導部の発案で土法高炉による粗鋼生産を始めた。みじめな失敗に終わったが、それから40年後には中国は世界最大の粗鋼生産国になった。資金と技術情報があれば、たいていの国は産業国家になりうる。経済で大をなした中国は武力で大をなし、中国沿岸にまで及んでいる米国の制海権を太平洋中央部に向かって押し返そうとしている。歴史的には中国の対外意識は西の内陸部に向けられていたが、今では海洋国家・中国を目指して東進しようとしている。国家の行動様式の典型である。ただ、そうした姿勢を公に鮮明にしたため、中国軍の実力が中国共産党指導部の信任と結びついた。したがって、台湾侵攻をうかつに始めることができない。

現在の日本をめぐる安全保障環境はそういうことである。米国世界戦略に追随することは自民党の政権維持政策の柱である。しかし、そういうことはあからさまに言えないので、「存立危機事態」「敵基地攻撃(反撃能力)」などという新語を発明しただけのことである。

(2023.5.7 花崎泰雄)

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