ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

念願かなって・・・

2018-04-09 04:42:14 | ふるさとまわり
180328.wed.-1

念願叶って(最近こういうの、多いかも(笑))
帽子制作の大先輩であり、飯田高校の大先輩でもある市瀬文雄さんに会いに行く。
御歳90歳!
皇后陛下の帽子デザイナーとして有名な故・平田暁夫先生の弟さんです。

4年前の在京同窓会誌『稲穂』11号に文雄さんが随想を書かれているのを読んで、
会いたい!とそのときから思っていたのでした。
当時、文雄さんに取材をしたしたという先輩M氏に頼んだのだが、
それから時間も経ったし、耳が遠くなっていてちょっと無理かも、、
という返事だったので諦めていた。



ところが、一昨年、在京同窓会誌『稲穂』13号に
「私が帽子を作っている理由(わけ)」という随想を掲載したところ、
翌1月、37年ぶりに集まった在京32回生の会で、C組市瀬君から声をかけられた。
「下平さんが書いてくれた平田暁夫は、僕の伯父なんだ」と。
えーーー!びっくり!! 市瀬君と話したのも初めてだったし(;^_^A
そこで、市瀬文雄さんに会いたいと伝えると、連絡先を教えてくれた。
しかし、なんと彼は四国に転勤に・・・。ガッカリ。。。

と、本当にもう諦めていたら、なんと昨秋の在京同窓会で、
両先生の姪御さんで、飯田高校の後輩Nちゃんが声をかけてくれた。
「暁夫伯父さんのことを書いてくれた下平さんに会いたかった」と。
そこから具体的に話がとんとん進んだものの、
その間、奥様が入院されたり、文雄さんも体調を崩されたりとかで、
もしかしたら会ってもちゃんとお話ができるかどうかわからない、という状況にまでなって。
ああ、やっぱり時すでに遅し、だったか、、、と思っていたので
会ってくださると聞いた時はもう嬉しくて嬉しくて・・・。

ひばりが丘からタクシーで着いた時、
市瀬先生が玄関まで出迎えてくださって、もう感激の嵐でした。

 

補聴器を使われながらの会話でしたが、
帽子の核心をついたときなど、キリッとはっきりした口調で説明してくださる。
スパットリーという帽子の材料がもう手に入らなくなったときに、
厚紙を使ってチップ(帽子の型)を作る技法を開発した二のが文雄さん。
当時、故・平田先生の弟子であったA先生に師事していたのだが
間接的に文雄先生の技術も伝えてもらっていたのだと知って、
なんだかじんわりと感激しました。

 

高級婦人帽を専門に作っていらしただけあって、
文雄さんの作るお帽子はどれもエレガント。
そして、当たり前だが、たしかな素晴らしい技術。
うわあ、もう一度、しっかり習いたいな、としみじみ思った。

素敵な作品をたくさん見せていただいて、被らせていただいた至福の時。

 

 

 

帰り道に、東久留米まで歩く道すがら、
Nちゃんと一緒に春爛漫な花景色を眺めながら、余韻に浸った一日でした。

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