マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

美術展をハシゴする

2012年05月23日 | 映画・美術・芝居・落語

 朝、谷中にて金環日食を観察した一昨日の5月21日(月)、全て都営地下鉄線を利用して3ヶ所の美術展を巡りました。
 千石⇒春日⇒都庁前⇒六本木→サントリー美術館→国立新美術館→六本木⇒築地市場→高橋宏子個展(帰路の地下鉄は、往路の逆。⇒地下鉄、→徒歩)


 まずは六本木ミッドナイトタウンにあるサントリー美術館へ。ここでは「毛利家の至宝 大名文化の精粋」と題して『国宝・雪舟筆「山水長巻」』が特別展示されています。
 毛利元就や毛利輝元に代表される毛利家の歴史が紹介され、そのゆかりの美術作品の数々が展示されていますが、圧巻は全長が展示された≪四季山水図(山水長巻)≫です。この作品の周りには長蛇の、2重もの列が出来、列の歩みは超ゆったりですが、これが幸いし、じっくりと鑑賞することが出来ました。(写真:入口のポスターより)



 山水図は全長16mに及びます。絵巻ではなく、広大は”風景画”です。流れに沿って見ていくと、山あり、森林あり、川あり、崖あり、湖も現れます。深山が大河に替わり、船が浮かび、寺院に移り変ります。精巧かつ繊細な筆致で描かれ、寺院や邑で暮らす人々や、童子を伴う仙人風の人物なども登場し、私には絵巻の様にも感じられます。観ていて非常に楽しくなる”横長屏風”でした。(写真:入口のポスターの「山水長巻」より)

 ミッドタウンから国立新美術館へ移動し、「日本新工芸展」へ。ここでは知人お二人の作品を鑑賞しました。田中忍さん「光の方へ」と題する焼き物。父上田中一晃氏の作風を受け継いで、淡いながら色彩豊かな器が展示されています。彼の妻さんが家人の勤務した高校の生徒さんでした。(写真;田中一忍氏作品)




 次いで染色家高橋宏子さん「山夜根塊」と題する屏風。本人が語っているように、花や木を描いたこれまでの作品から離れて、自由に描いているようです彼女は二条城前でクラフト和光を開いています。(写真:高橋宏子氏作品)。









 最後に築地にある、茶の実倶楽部での開催の高橋宏子「暮らしを彩る工芸展」へ。今回は主として、彼女のオリジナル服装が多数展示・販売されていて、
家人はその一点を購入。
 ここは「うおがし銘茶」が経営する5階展示室。その2・3階は日本茶の喫茶店。普段喫したことのないような美味な日本茶二服に喉を潤して帰ってきました。(写真:会場内での屏風:尾瀬でよく見かける黄菖蒲とか)







       (写真:二服の内の一服)


『三匹のおっさん』(著:有川浩 出版:文藝春秋)を読む

2012年05月22日 | 読書


 「この本、面白いわよ」と、家人か笑いながら私に渡した本の題名を見ると「三匹のおっさん」。どんな内容の本なのか尋ねると「同じ町内会に住む仲好し3人のおじさんの物語よ」との返事。笑いながら渡した訳を悟りました。

 そうなのです。三匹のおっさんとは、三人の超元気な、同じ町内会に住む
3人の高齢男性の物語でした。架空のおっさん3人と、私たち富士前福寿会の健脚3人組のイメージが一部ダブルのです。







 因みに、物語に登場する3人を簡単に紹介します。
 清田精一 定年退職後、近所のゲーセンに再就職した剣道の達人。通称キヨ
 立花重雄 柔道家で居酒屋「酔いどれ鯨」の元亭主 通称シゲ
 有村則夫 機械をいじらせたら無敵の頭脳派。工場経営者。通称ノリ
 この3人、小学校時代の同級生で、最近は1週間に一度ほど居酒屋「酔いどれ鯨」で盃を重ねます。その席での話で「最近はこの町も痴漢や引ったくりだの物騒な話が増えているからな。時間を持て余しているおっさんどもなら夜回り役にぴったりじゃねえか」と私設自衛団を結成します。

 かくして結成された自衛団の活躍物語のハジマリはじまりです。
 第一話ではゲーセンの店長をゆするヤクザまがいの男を懲らしめます。
 第二話は痴漢退治の話。
 第三話では、シゲの細君が結婚詐欺に引っ掛かり、危うく家出する寸前に、真相を暴きます。
 第四話では小学校内で飼育される動物を虐待する犯人を突き止めます。
 この様な話が第六話まで続きます。
 どの話でも、3人の私設自衛団は、過激な力を発揮して”悪人”をねじ伏せます。それもそのはず、キヨは剣道の達人、シゲは国体に出場した柔道家、ノリはモデルガンを簡単に造れるなどそれぞれが超能力の持ち主。3人とも強力な武器を持った主人公なのです。

 この3人のおっさんの活躍物語に並行して、キヨの孫の祐希とノリの娘の早苗との間に揺れ動く恋愛感情が丁寧に描かれる青春ドラマでもあります。こちらの方が本筋になる話もありで、恋愛小説の名手有川の筆が冴え、はらはらどきどきの場面が展開します。

 ”あとがき”で著者有川は「イマドキのお年寄りって若いよなあ」と語っています。同感です。実在の私たち健脚3人組も元気だとは思いますが、遊び的関係が主で、架空のおじさんの様に大活躍する訳ではありません。ただ暮れになると3人して”火のよ~じん”と大声出して町内会を行進する程度の”活躍”はあります。

 この本の人気は高く、続編として”三匹のおっさん ふたたび”も発刊されました。


 



 


旧学年会で『天城高原ハーヴェストクラブ』へ

2012年05月20日 | 

 5月12日(土)~13日(日)に、Oさん退職記念の旧学年会旅行で、天城高原ハーヴェストクラブに6名で出掛けてきました.1985年(昭和60年)に発足した学年の担任をしたメンバーで、その時最年少だっOさんも昨年3月に都を退職したのでした。
 大島から来たOさんと熱海駅で合流し、熱海⇒(伊東線)⇒伊東⇒(東海バス)⇒天城高原ハーヴェストクラブと辿りました。

 足の具合の悪い方がいて、宿から一歩も外出せず、1年半振りの再会で大いに呑み語り、温泉に浸かりました。今回初めて、
露天風呂付きの部屋と「和洋折中」部屋の2タイプを予約しておきました。Oさんは露天風呂もプレゼントも大いに気に入ったようで、退職記念の意味があったと、幹事としては一安心したのでした。展望の良い7階の部屋から富士山を期待していると、5月13日(日)朝9時頃になり、漸く晴れてきて富士山の展望を楽しめました。写真はその時撮影のものです。(写真:7階部屋から写す


       (写真:展望台から写す)


      (写真:相模湾と初島を望む)

 今回の旅行もお安く、楽しく、美味しくをモットーに計画に工夫を重ねてきました。天城高原の宿についてはブログに何回か登場させてきましたので、
今回のブログはその”私的オタク的”工夫とコダワリの話です。

 ①箱根・熱海方面への旅行の定番小田急ロマンスカーは利用しないで、東海道線と伊東線を利用しました。東海道線快速アクティーは速い列車だと東京・熱海間を1時間半で結びます。東海道線は15両編成で、横並びのシート席車両が多いのですが、前2両と後ろ2両に限ってボックス席です。この事実は東京駅への”実踏”で調査済みでした。東京駅から乗車の4名は周りに気がねすることなく、土曜日なのに空いている列車のボックス席で、発車前から再会の乾杯に続いて、適量のご酒で、ほろ酔い気分のうちに熱海到着です。

 ②大島から来るOさんと熱海で合流するため、熱海で途中下車を予定し、東京⇔伊東往復切符を購入しようとすると、「熱海途中下車は出来ません」とのこと。緑の窓口で相談すると”新幹線経由”で乗車すると熱海下車が可能で、しかも有効期間2日が4日になるとの事。
 この”新幹線経由”は新幹線に乗車しなくても良いのです。旅行から帰って来て何度か「緑の窓口」を訪ね、このシステムについて、当局が公表したがらない詳細を聞き出した事柄を総合すると、例えば、ジパングクラブ会員は、新横浜⇔勝浦を”新幹線経由”で購入すると有効期間4日で3080円なのです。2泊3日の旅行時に役に立つ情報です。

 ③昼食は熱海から伊東に変更しました。伊東には、かって利用した「かっぽれ」という、お安くて美味い和食の店があった事を思い出したのです。携帯に保存しておいた番号を頼りに、直前に電話して出掛けると、ランチながら一部屋が用意されていて、お安いランチが1050円で、Oさんだけが大名ランチ1260円。全員大満足の昼食でした。
 
 さてこれが最後の学年旅行となるのか否か。幹事役の私としては今後の流れに任せようと考えています。

 
 


『月下美人はなぜ夜咲くのか』(著:井上健 出版:岩波 科学ライブラリー)を読む

2012年05月18日 | 読書

 このブログで何度か月下美人のことを話題にして来ました。月下美人が咲いた夜がいずれも満月に近かったことから、満月と関連あるかの様な予測を立てたこともありましたが、それは誤った予測だったらしい事に気が付き始めていました。岩波ライブラリーから「月下美人はなぜ夜咲くのか」が出版されている事を知り、読んでみました。

 話の内容は「送粉生態学」についてでした。植物は子孫を残すためには、動けない花粉を雌しべの柱頭に送りこまなければなりません。動物に花粉を運ばせるために、植物は”広告”と”報酬”で動物を惹きつけます。植物は花の色彩や匂いを工夫して、自らを最大限にアピールします。これを「送粉生態学」の専門用語で”広告”と言うのだそうです。
 一方、植物が動物に与える”報酬”としては、花蜜・花粉・花の油など物質的なものと隠れ場所・交尾場所などの空間があるそうです。
 この”広告”と”報酬”を巡っての花と動物の”駆け引き”などを研究する学問を「送粉形態学」と呼ぶようで、この本の前半は月下美人はまったく登場せず、送粉の話が延々と続きます。

 後半に至っても月下美人は登場しません。この冊子は僅か109ページの本なのですが、漸く80ページに至って漸く登場し、それも写真1ページに本文2ページの合計3ページのみです。
 大凡次の様に書かれています。
 『月下美人はクジャクサボテンの仲間で、自生地は中南米の熱帯雨林。月下美人の送粉者についての報告はまだないがコウモリによって花粉媒介されていると思われます』と。
 そこまでの話がかなり実証的であったに反し、推定的な話です。熱帯ジャングルで生息する植物はコウモリに花粉媒介を依存しているものが多く、それらの花の特徴の共通点として、夜間に強い匂いを放出するなど月下美人もこうした特徴を持つことから、月下美人の送粉者をコウモリの可能性が強いと想定しているのです。コウモリを相手にするのであれば夜咲くのが相応しく、『月下美人は本来育った環境での習性を今日にいたるまで残している』故に、遠く離れた日本でも夜咲くのだろうと、ほぼ断定したのでした。その論理は理解できましたが・・・。

 より多くのページを割いての説明が為されると思っていましたから「月下美人」について3ページのみの説明は期待外れでした。この本の題名の”甘い花粉”に惑わされてやって来たが蜜はなく、騙されただけで去るミチバチにも譬えられる私の気分でした。

 


中山道を歩き『万治の石仏』を訪ねる

2012年05月16日 | 信濃紀行

 5月5日(土)朝早く起床し、窓の外を覗くと久し振りの絶快晴。「ハーヴェストクラブ蓼科」後ろから始まるトレッキングコースに入り、展望台を目指しました。そこに立って山岳風景を望むと、山々は雪冠に白く輝き、早速、南アルプス仙丈ヶ岳と八ヶ岳にカメラを向けました。(写真:南アルプス仙丈ヶ岳)





    (写真:八ヶ岳。左:赤岳、右:阿弥陀岳)



 この日は上諏訪でレンタカーを返却し、下諏訪を目指しました。中山道散策と万治の石仏を訪ねるのが主な目的です。(写真:中仙道の碑。ここでは”仙”の字)










 信濃追分で北国街道と分かれた中山道は、この街道の難所の一つ和田峠を超えて下諏訪に至り、ここで甲州街道と合します。下諏訪は街
道唯一の温泉として大いに栄えた湯宿。この近辺で中山道は諏訪大社下社春宮と秋宮を結びます。私たちは下諏訪駅から、街道とT字に交わる道を進みました。途中下諏訪でただ一つと言われる「菱友酒造」で「御湖鶴」を試飲。これが超辛口ながら美味しい吟醸酒で、帰路に購入することにしました。更に進んで、漸く中山道にぶつかり、左折して暫く歩むと「伏見屋邸」がありました。(写真:甲州街道と中山道が合流。ここでは”山”の字)


        (写真:御湖鶴の暖簾)

  伏見屋邸は、中村家が明治時代に商いを営んだ家で、屋号を「伏見屋」と言っていたそうです。平成22年に復元修理工事を行い、当時の面影を取り戻した屋敷で、内部を無料公開しています。(写真:伏見屋邸を正面から写す)






 2階建の、和室を9室も持つ広々とした建物で、最近まで町役場で正規勤務をされていたボランティアの、品の佳い女性の方が内部の説明をしてくれました。説明が終わるとお茶とお菓子のこれまた無料接待です。実に有難い事と感謝をしながら、万治の石仏へと歩みを進めました。(写真:伏見屋邸を側面から写す)




 「万治の石仏」は春宮境内を抜けた奥におわしました。右の写真に観られる様な大きな石仏で、そのネイミングは、石仏の胴部に万治5年と刻まれている事に由来します。多分昭和40年代に、芸術家岡本太郎がここを訪れ、この石仏を観て絶賛してから広く世に知られるようになりました。(写真:万治の石仏の横顔)



 昭和49年、下諏訪「みなとや」に宿泊した私達は、宿のご主人の車でそこへ案内してもらった事がありました。その時のおぼろげな記憶では、田圃の真中に座す、旅ガラスの様な石仏でした。あれから40年ほど経ち、改めてじっくりとこの石仏を観ると、私にはやはり任侠旅ガラスの様に見え、何かユーモラスな感じで、親しみが感じられる仏さまでした。(写真:万治の石仏全体を写す)