マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

サクラの蜜をなめるスズメ

2017年03月16日 | 身辺雑記

 邂逅とは人と人との偶然の出会いを言うのだろう。しかし、これから書こうとしていることは、ある“問”と、その“答”の邂逅。偶然の、突然の出会い。
 
 “問”は2015331日に書いたブログ「ハラハラ散らぬ サクラかな」での“問”。そこでは、Yさんの言葉として「神明公園の桜が、ハラハラ散らずに、椿の様に、ガクごと落ちるのよ。どうしてか分かる?」と書いた。つづめて言えば「サクラはなぜハラハラと散らないのか」がそこでの問いだった。私はネットで調べ、可能性を3つほど書き添えた。
 その“答”に一昨日突然に、偶然にも出会った。全く予期せぬ出会いだった。それも正解答に。(写真:2年前の写真の再掲)

 前回のブログに書いた『幻董庵』での傘寿の会終了間際、石川さんから「身近な自然」と題する30ページほどのプリントを頂いた。某専門学校の機関誌に載せたものらしい。それを石川論文と呼ぼう。加齢とともに行動圏が狭くなるにつれて、身近な自然の有り難さが身にしみます、と書いた石川さんの、自然の、我流楽しみ方の数々が紹介されて、その冒頭部分が<サクラの蜜なめるスズメ>だ
 北鎌倉から帰宅した翌日、石川論文の冒頭を読み、ビックリした。そこには2年前に私がブログに書いた“問”の答えが書かれていたからだ。
 ご本人のお断りを得て、その文章を紹介する。
 「ここでサクラと言っているのは原則としてソメイヨシノを指しています。
 スズメがサクラの蜜をなめるときは花の正面からではなく裏側から攻めます。花の基部の筒状の部分(がく筒という)を噛み切ってなめるのです。その後その花は5枚の花弁を着けた姿のまま落とされるので、木の下にそのような花が落ちていればほぼスズメの仕業と想像されます。通常は正面から蜜を吸うヒヨドリも、時にこういう行動を取るようです。
 スズメのこの食習慣は比較的新しいものらしく、30年前では珍しがられたと思いますが、最近では東京でも見慣れた春の光景です。ほかのスズメの行動を見て真似するという形でこの食べ方が次々に日本のスズメの中に広がったのだと考えられていますが、現在はどこまで広がっているのか知りたいものです。よく目立つ現象なのでその記録を広範囲に集めてゆけば、新しい食文化の伝わり方やスズメの行動範囲について面白いことが見えて来そうです。
 (中略)我が家の近くのサクラの木の中でも、このようなスズメの食事風景が見られるのは特定の木に集中しているらしいことも気になるところです」(写真:「日本の鳥百科」より、スズメ)

 スズメがサクラの蜜をなめるときにがく筒を噛み切り、その後花は花弁を着けた姿のまま落ちて来ると書かれている。石川さんは更にそのサクラの落下傘がどの様に落ちてくるかを観察し、その結果を<サクラの花の落下>に纏めた。続く


再びの『幻董庵』

2017年03月16日 | お気に入りの店

 一昨日の314日(火)、北鎌倉の『幻董庵(げんとうあん)』へ出掛けて来た。私が新任として着任した大泉高校定時制での先輩教員石川さんの傘寿のお祝いの会だった。企画者は45年も前の卒業生の、トシコさんとヨツエちゃん。石川さんと私は、その二人の卒業時の担任。ヨツエちゃんからの「石川先生の傘寿の会を企画しました。ご出席頂けますか」のメールに快諾の返信をしたところ、「北鎌倉のお洒落なお店『幻董庵』で行います」との返信。『幻董庵』なら昨年行ったばかりの日本料理のお店。その偶然に驚くと同時に、又、美味しい料理を味わえるなと嬉しくなった。(写真:幻董庵内部)
 当日、自宅から北鎌倉へは、千石→(三田線)→内幸町→(徒歩)→新橋→(JR横須賀線)→北鎌倉 のアプローチが最短時間と確信し出掛けたが、ミスをしてしまった。新橋駅の地下ホーム一番前で読書に夢中になりながら電車を待っていると、定刻に入って来たと思えた電車は駅で止まることなく通過、と見えた。実はその電車11両編成で、ずうっと後方に停車していたのに気が付かなかったのだ。そのミスがあって北鎌倉へは10分の遅刻。3人は待っていてくれた。

 雨上がりの鎌倉街道を大船方向へ戻り、最後は細い道を辿ると、15分で『幻董庵』。二階へ案内され、”鎌倉アルプス”を眺めながらの会食。前菜から始まってからデザートまで3時間弱。数々の料理は手の込んだ造りで、格別に美味しく、ゆったりと出てくる。お陰でゆったりと話が出来た。
 40年以上に及ぶ長い交流。お祝いの主石川さんの経歴を中心としながらも、話題は多岐に及んだ。不思議と、この4人を含むグループで行った山登りはあまり登場しなかった。
 宴半ばに妻から託された青磁の茶碗をプレゼント。新任の妻にとっても、大変なお世話になった石川さんへの思いの表現。その頃、新任研修制度など無かったが、皆、これはと思う先輩の後ろ姿を見ながら、教育への姿勢を自然と学んだのだ。(写真:料理の例。材料名はなど忘れてしまった)

 

 会の趣旨から私も支払い側に回る積りだったが、固辞されて、結局私もご相伴に預かってしまった。彼女たちの古希と私の傘寿を兼ねての会での返礼を約束。あと6年(OR5年)先だが・・・。皆んな、出来るだけ長生きしようね!

 食後、円覚寺へ。庭とコーヒーが評判の「如意庵」はこの日お休み。そこで、円覚寺最奥「黄梅院」まで足を延した。春到来を告げる草花が多数。生物学が専門で、植物に詳しい石川さんから草花の名を教えて頂くのは登山時と同じだった。(写真:円覚寺内の国宝舎利殿)






 今日の一葉(黄梅院に咲くミツマタ)