マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

郡上八幡へ(その3)

2013年11月09日 | 

 郡上八幡のもう一つのシンボルが八幡城。
 そこへ至る道は自動車道路もあるが、珍しく家人が歩きたい素振りだったので、自動車道路と所どころで交差する山道の方を選んだ。標高差100mほどの登りで、家人にはかなりキツかった様だが、なんとか登り切り、城の前の平地に達すると、そこから市街が一望出来た。クーポン利用で貰った「桜間見屋」の銘菓”宗祇”を味わい、一息ついてから、城内の階段を昇った。城内には城主変遷の物語が展示され、戦国の世には、遠藤慶隆→稲葉貞通→遠藤慶隆と激しく入れ代わったドラマが書かれていた。山内一豊の妻の出自には諸説あるらしいが、ここでは”遠藤盛教の娘”説が有力になりつつあり、よって郡上八幡の出であると力説されていた。(写真は「桜間見屋」の菓子)



 司馬遼太郎が「街道を行く」のなかで”日本一美しい山城 郡上八幡城”として「頂上の天主台へのぼると、高塀の額縁された空間にびっしり雪がふりつもり、その上に四層の可愛らしい天主閣と隅櫓がそこに置かれるように立っていて、粉雪という動くものを透かして見るせいか悲しくなるほど美しかった。・・・」と紹介され、冬の日にここを訪れた様子が書かれている。私も、天主閣から窓外に眼をやり、市街を見下ろした。盆地の中に広がる町並みと、そこを流れる吉田川が見渡せ、かなり高度を稼いだことを実感した。残念ながらパンフレットに言うように、町の形が魚の様には見えなかったが・・・。右写真に見る如く、”美しい山城”が素直に頷けた。(八幡城を望む)



    (八幡城から市街を見渡す)

 
 
 最後に一枚のポスターを紹介して、郡上八幡の〆としたい。右のポスターは「日本の伝統まつりポスターコンクール」で準大賞を得たもので、“水の城下町”に広がる踊りの輪が鮮やかに表現されている。
 町中を散策する多くの観光客のなかに外国人はまだ稀だった。いずれ多くの外国人がここ訪れる予感を抱きながら、郡上八幡をあとにした。