◉山へ

2018年2月8日
僕の寄り道――◉山へ

昨年の青葉が目にしみる初夏あたりから「山」に関する本を手当たり次第に読んでいる。山といっても登山の本ではなく、山に住む人々の暮らしや、その民俗学的な調査研究をまとめた山歩きの本が多い。おもしろい。ぞくぞくする。山にはなかなか行けないのでグーグルマップの航空写真を眺め、山里から道のない先へと分け入ると、真っ逆さまに墜ちて吸い込まれそうになる。

そういう読書と並行して、著名な作家や評論家や学者が「遺書である」と称して書いた本を読んでいる。遺書を出してほんとうにそうしてしまったのは西部邁さんくらいで、それはただ悲しくて興味のほかの結末である。他の人たちは幸いにも存命か、鬼籍に入られた結果としてそうなっている。「死ぬとしたら言っておきたいことがある」程度の勢いで書くから死なずに印税を受けとる喜びもあるわけで、いま手元にある養老孟司『遺言。』(新潮社)の前書きには「当面死ぬ予定はない」とあるので安心してのんびり読んでいる。

なんでそういう本に興味があるかというと人生を山登りに見立てて振り返る人が多いからで、たとえ頂上を極めた人であっても、老いを下山にたとえる人の本はつまらない。死に場所を求めて山奥に分け入って行くような人の本はおもしろく、そういう人の品定め的な読書にもなっている。柳田國男に連なる民俗学徒が山を歩いて採集した話がおもしろいのは、書かれていることがわれわれのご先祖たちによる遺書のようなものだからだろう。

人は死ぬと海か山のどちらかに帰るとたとえ話をして一方をえらぶなら、自分はだんぜん山に帰りたい。冬の静まりかえった山の様子を「山眠る」と言って季語になっているけれど、うまいことを言ったものだと思う。冬が来たら深い眠りに赴(おもむ)くわけで、自分にとって老いは街場への下山ではない。


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