◉私はピアノ

2018年2月9日
僕の寄り道――◉私はピアノ

動物の耳の構造は絶対音階を生得的に持つような構造になっている。ピアノの構造に似ているのだという。解剖学者がそういうのだから間違いないだろう。だから動物は絶対音感を持っている。人間も生まれた時は絶対音感を持っているのだけれど、《動物から人間になる》過程で失われてしまう。だから失われないようにしたいなら、幼い頃から音楽教育を受けさせて訓練が必要なのだ。養老孟司『遺言。』(新潮社)にそういう意味のことが書かれていた、と思う。きっとその通りなのだろう、と思う。

昨夜は録画しておいた NHK クラシック倶楽部でメナヘム・プレスラーというピアニストの演奏を聴いた。昨年 10 月収録時の年齢が 93 歳だったそうで、ヘンデル、ドビュッシー、ショパンを演奏したが年齢を念頭に置くと素晴らしいものだった。以前同番組でバイオリンとの二重奏を聴いたがソロの方がいい。ソロでも聴き慣れたショパンよりドビュッシーの方がいい。

脳に損傷を受けて高次脳機能障害を負った人の音楽的能力が失われないのが不思議だ。故人になられたが言語聴覚士の遠藤尚志さんに初めて会ったとき、彼が行う失語症者リハビリテーションの音楽ライブを観てびっくりした。言葉を話せなくなった人たちが歌を歌っていた。

老いたり障害を負ったりしても、音楽の能力が失われないのは、それがもともと動物的に生得なものだからだろう。そしてそれを引き出す道具としてはピアノが適している。それは生得の能力が、ピアノや聴覚器のかたちに似ているからかもしれない、と思う。


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