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「YEN漂流――縮む日本」
[1] 沈む国と通貨の物語
[2] 元経済圏の足音
[3] 気がつけば途上国
[4] 老若男女 夢持てず
[5] 北畑次官の誤算
[6] 新・通貨ウオーズ
[7] 10ミリ秒 対 2秒
[8] 「CO2本位」時代
[9] 介入大国のDNA
[10] 円が消えた日
[11] 仕送り鎖国の罪
[12] 燕は再び飛んだ
[13] 天使よ振り向け
[14] 円高恐怖 超えて
[15] 磁力ある国へ
[7] 10ミリ秒 対 2秒――金融ビッグバン不発
【「YEN漂流」縮む日本 08.01.10日経新聞(朝刊)】
IT革命と金融グローバル化の申し子のような取引が世界の株式市場で広がっている。「アルゴリズム取引」。コンピューターが刻々と変わる相場を読み、世界の市場で最も効果的な売買のタイミングと発注額を判断し自動的に数千銘柄の大量注文を瞬時にさばく。
取引速度で惨敗
「あーっ、またほかの投資家に注文をとられた」。三菱UFJ投信トレーディング部長の住本保朗(47)は舌打ちした。東京証券取引所の売買システムは、注文を出してから取引完了までの時間は2秒。わずかな時間のようだが、スピード勝負の市場ではこの瞬間にも値が動き、取引が成立しないことはざらだ。
だがこんな取引所は世界有力市場では日本だけ。ロンドン証券の処理速度は東証の2百分の1の10ミリ秒、ニューヨーク証券は数ミリ秒。千分の1秒単位のスピード競争を繰り広げているのだ。
東証は来年導入する新システムで処理速度を40ミリ秒に縮める。それでも欧米には追い付かず、その時点で世界標準は、ミリ単位の次の「マイクロ秒」になっている公算が大きい。「日本の投資家は世界標準に取り残されている認識が薄い」と野村資本市場研究所研究主幹の大崎貞和(44)は警告する。
競争の先頭に立つロンドン。日本がバブルの入り口にあった1986年にビッグバン(金融大改革)を断行、欧州の市場間競争に火を付けた日本も10年遅れでビッグバンを掲げたが、銀行の不良債権に追われ改革も失速、東京市場は地盤沈下した。90年の東証上場企業時価総額は欧州市場全体の1.5倍だったが、今や4分の1に縮んだ。
原油高で投資マネーが流入する商品先物市場。世界の商品先物の出来高は2060年まで6年で3.6倍に膨らんだが、日本の出来高は2割減。日本はここでも蚊帳の外だ。
「商品取引所というより不動産屋だな」。農産品の先物取引を扱う関西商品取引所理事長の岩村信(66)の言葉は誇張でも何でもない。取引所が07年度上期に得た売買手数料は千百60万円。神戸に保有するビル賃貸収入の1割に満たない。不動産がなければ赤字というのが寂しい現実だ。
関西商取の先祖は江戸時代の1730年に世界初の先物取引を始めた堂島の米会所。往時には千人を超す仲買人が参加し全国の価格指標になった。シカゴ市場誕生はその約百年後だ。ところが堂島の先物取引は1939年に戦時価格統制で廃止され、現在までコメ先物取引は行われていない。
市場停滞に危機感を抱いた政府は、金融と商品先物を一つの取引所で扱う総合取引所の実現に動き出した。だがその改革案にもコメ先物復活はない。
「投機的な価格変動で一生懸命に生産調整する農業の現場に混乱をきたす」と生産者団体は反発する。コメに限らず小麦、砂糖などの価格支持政策は、価格形成を市場に委ねる先物取引とは相いれない。だが、国内合意が遅れるうちに中国・大連などにコメ先物上場で先行される可能性もある。国内農業問題で歩みの遅い自由貿易協定(FTA)交渉と同じ構図だ。
特区作っても…
沖縄県名護市。サトウキビ畑の真ん中に、巨大な3棟の建物がある。02年に鳴り物入りで始まった「沖縄金融特区」の施設。税優遇や家賃補助を売り物に国家金融センターを目指したが、今や主役は金融機関のコールセンターだ。
3年前に本社を名護から東京に移したユナイテッドワールド証券会長の林和人(43)は「金融センターを、地域振興策の感覚でやっても無理」と話す。法律事務所などインフラが沖縄には決定的に不足していた。
地域振興といえば、反射的に公共事業でハコ物づくりとなる日本では、金融センターですらダムと同じ建造物に姿を変える。前金融担当相の山本有二(55)が推進した東京・金融街構想も、今は内閣官房の都市再生本部が準備を進め、背後で不動産会社が商機を狙う。慶大教授の池尾和人(54)は「国全体で金融立国を目指すコンセンサスが欠如している」と言う。日本のビッグバンは遠い。 =敬称略
(「YEN漂流」取材班)
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「YEN漂流――縮む日本」
[1] 沈む国と通貨の物語
[2] 元経済圏の足音
[3] 気がつけば途上国
[4] 老若男女 夢持てず
[5] 北畑次官の誤算
[6] 新・通貨ウオーズ
[7] 10ミリ秒 対 2秒
[8] 「CO2本位」時代
[9] 介入大国のDNA
[10] 円が消えた日
[11] 仕送り鎖国の罪
[12] 燕は再び飛んだ
[13] 天使よ振り向け
[14] 円高恐怖 超えて
[15] 磁力ある国へ
[7] 10ミリ秒 対 2秒――金融ビッグバン不発
【「YEN漂流」縮む日本 08.01.10日経新聞(朝刊)】
IT革命と金融グローバル化の申し子のような取引が世界の株式市場で広がっている。「アルゴリズム取引」。コンピューターが刻々と変わる相場を読み、世界の市場で最も効果的な売買のタイミングと発注額を判断し自動的に数千銘柄の大量注文を瞬時にさばく。
取引速度で惨敗
「あーっ、またほかの投資家に注文をとられた」。三菱UFJ投信トレーディング部長の住本保朗(47)は舌打ちした。東京証券取引所の売買システムは、注文を出してから取引完了までの時間は2秒。わずかな時間のようだが、スピード勝負の市場ではこの瞬間にも値が動き、取引が成立しないことはざらだ。
だがこんな取引所は世界有力市場では日本だけ。ロンドン証券の処理速度は東証の2百分の1の10ミリ秒、ニューヨーク証券は数ミリ秒。千分の1秒単位のスピード競争を繰り広げているのだ。
東証は来年導入する新システムで処理速度を40ミリ秒に縮める。それでも欧米には追い付かず、その時点で世界標準は、ミリ単位の次の「マイクロ秒」になっている公算が大きい。「日本の投資家は世界標準に取り残されている認識が薄い」と野村資本市場研究所研究主幹の大崎貞和(44)は警告する。
競争の先頭に立つロンドン。日本がバブルの入り口にあった1986年にビッグバン(金融大改革)を断行、欧州の市場間競争に火を付けた日本も10年遅れでビッグバンを掲げたが、銀行の不良債権に追われ改革も失速、東京市場は地盤沈下した。90年の東証上場企業時価総額は欧州市場全体の1.5倍だったが、今や4分の1に縮んだ。
原油高で投資マネーが流入する商品先物市場。世界の商品先物の出来高は2060年まで6年で3.6倍に膨らんだが、日本の出来高は2割減。日本はここでも蚊帳の外だ。
「商品取引所というより不動産屋だな」。農産品の先物取引を扱う関西商品取引所理事長の岩村信(66)の言葉は誇張でも何でもない。取引所が07年度上期に得た売買手数料は千百60万円。神戸に保有するビル賃貸収入の1割に満たない。不動産がなければ赤字というのが寂しい現実だ。
関西商取の先祖は江戸時代の1730年に世界初の先物取引を始めた堂島の米会所。往時には千人を超す仲買人が参加し全国の価格指標になった。シカゴ市場誕生はその約百年後だ。ところが堂島の先物取引は1939年に戦時価格統制で廃止され、現在までコメ先物取引は行われていない。
市場停滞に危機感を抱いた政府は、金融と商品先物を一つの取引所で扱う総合取引所の実現に動き出した。だがその改革案にもコメ先物復活はない。
「投機的な価格変動で一生懸命に生産調整する農業の現場に混乱をきたす」と生産者団体は反発する。コメに限らず小麦、砂糖などの価格支持政策は、価格形成を市場に委ねる先物取引とは相いれない。だが、国内合意が遅れるうちに中国・大連などにコメ先物上場で先行される可能性もある。国内農業問題で歩みの遅い自由貿易協定(FTA)交渉と同じ構図だ。
特区作っても…
沖縄県名護市。サトウキビ畑の真ん中に、巨大な3棟の建物がある。02年に鳴り物入りで始まった「沖縄金融特区」の施設。税優遇や家賃補助を売り物に国家金融センターを目指したが、今や主役は金融機関のコールセンターだ。
3年前に本社を名護から東京に移したユナイテッドワールド証券会長の林和人(43)は「金融センターを、地域振興策の感覚でやっても無理」と話す。法律事務所などインフラが沖縄には決定的に不足していた。
地域振興といえば、反射的に公共事業でハコ物づくりとなる日本では、金融センターですらダムと同じ建造物に姿を変える。前金融担当相の山本有二(55)が推進した東京・金融街構想も、今は内閣官房の都市再生本部が準備を進め、背後で不動産会社が商機を狙う。慶大教授の池尾和人(54)は「国全体で金融立国を目指すコンセンサスが欠如している」と言う。日本のビッグバンは遠い。 =敬称略
(「YEN漂流」取材班)
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