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「YEN漂流――縮む日本」
[1] 沈む国と通貨の物語
[2] 元経済圏の足音
[3] 気がつけば途上国
[4] 老若男女 夢持てず
[5] 北畑次官の誤算
[6] 新・通貨ウオーズ
[7] 10ミリ秒 対 2秒
[8] 「CO2本位」時代
[9] 介入大国のDNA
[10] 円が消えた日
[11] 仕送り鎖国の罪
[12] 燕は再び飛んだ
[13] 天使よ振り向け
[14] 円高恐怖 超えて
[15] 磁力ある国へ
[2] 元経済圏の足音――強い外貨じわり浸透
【「YEN漂流」縮む日本 08.01.03日経新聞(朝刊)】
ドルやユーロと違い、国際通貨でないはずの中国の人民元が日本で存在感を増している。その「先兵」になっているのが、日本の人口の約十倍、13億枚の発行枚数を誇る「銀聯(ぎんれん)カード」だ。
銀聯カード攻勢
「東京で6百万円の腕時計を買った会員がいる」。中国銀聯でアジア営業を担当する副総経理、魏志宏(36)は自慢げに語る。日本で使われるクレジットカードの利用額は一回当たり平均で1万円。銀聯カードは3万円、しかも百万円を越す買い物もざらだ。
中国人が海外に自由に持ち出せる外貨は1回の旅行で5千ドル(56万円)。中国にある預金から買い物代金を引き落とす銀聯のカードを使えば預金残高の範囲内でいくらでも使える。
2007年10月1日から1週間の国慶節休みに、銀聯カードによる中国人の海外での買い物学は14億2千万元(約220億円)。06年に比べ倍増した。外貨持ち出し制限の抜け穴となる銀聯カードの普及で、中国人富裕層の購買力が、バブル期の日本人のように海外に噴き出してきた。
中国経済はまだバブル期の日本に匹敵する大きさや豊さではないが、いずれ経済規模は日本を抜き、人民元も強くなるとの見通しが多い。銀聯のようなカード決済だけではなく、中国のように購買力を増した国の通貨がじわじわと日本国内に浸透し始めている。
07年に、円との両替用に銀行を通じて日本に持ち込まれた人民元は7億7千万元(120億円)。7年前の3百倍で「韓国ウォンを抜き、アジア通貨で最大になった」(香港上海銀行)。両替は中国への旅行の際に買い物で使うのが主な目的だが、なかには将来の人民元値上がりを期待した「タンス預金」もまじっているもようだ。
「お客様が外貨での支払を希望される場合はお断りしません」――。宝飾大手の田崎真珠の店頭ではこんな営業方針をとる。東京・赤坂の店舗「パールギャラリー」のレジの横のパソコンにはドル、ユーロ、スイスフラン、カナダドルなど7種類の通過の相場表が映し出されている。最近はユーロ高で欧州からの観光客が増え、全国の63店舗合計で、07年10月期のユーロによる支払いは前年度比2.8倍に膨らんだ。
ウォン使えます
下関市のグリーンモール商店街。電器店など約30店舗で、06年から韓国のウォンを使えるようにした。下関港から歩いて5分ほどの商店街は郊外の大型店におされ、シャッターを閉じたままの店が目立つ。町の衰退を防ごうと目をつけたのが釜山港からのフェリーで毎日、下関港に降り立つ韓国人観光客だ。最近は日本語とハングルで「ウォンが使えます」と書いたポスターも張り出した。
ユーロ、人民元、ウォン――。急上昇中、あるいは将来上昇が見込まれる通貨を持つ人々は購買力を増し、強い通貨は買い物などでも広く受け入れられるようになる。
中国に近いアジアの国をみれば状況はよりはっきり見えてくる。タイ北部、メコン川沿いの街チェンセーンなどではゲストハウスや土産物店などで人民元が使える。河川を行き交う貨物船の大半は中国籍。タイでトロピカルフルーツを買い、中国から雑貨などを運んでくる。外貨との交換を厳しく制限されているにもかかわらず“元経済圏”がじわじわと広がりつつある。
日本でも将来、人民元の決済や預金が認められるようになれば、一気に人民元が表舞台に登場する可能性がある。単一通貨が長く続き、国内で流通する通貨は円が常識になった日本。国内に入ってきた外貨とどうつきあうのかの覚悟もまだできていない。
かつて「YEN」も上り坂の時期があった。1970年代半ば、政府は円を経済力に見合った国際通貨にしようと「円の国際化」の旗を振った。だが、資本規制や市場開放などの自由化は遅れ、国際化もしないまま日本のバブルは崩壊、経済力も衰えてきた。一方、中国をはじめ近隣のアジアは疾走を続ける。そんな現実を今の弱い円は映しているようにも見える。 =敬称略
(「YEN漂流」取材班)
【 これらの記事を発想の起点にしてメルマガを発行しています 】
「YEN漂流――縮む日本」
[1] 沈む国と通貨の物語
[2] 元経済圏の足音
[3] 気がつけば途上国
[4] 老若男女 夢持てず
[5] 北畑次官の誤算
[6] 新・通貨ウオーズ
[7] 10ミリ秒 対 2秒
[8] 「CO2本位」時代
[9] 介入大国のDNA
[10] 円が消えた日
[11] 仕送り鎖国の罪
[12] 燕は再び飛んだ
[13] 天使よ振り向け
[14] 円高恐怖 超えて
[15] 磁力ある国へ
[2] 元経済圏の足音――強い外貨じわり浸透
【「YEN漂流」縮む日本 08.01.03日経新聞(朝刊)】
ドルやユーロと違い、国際通貨でないはずの中国の人民元が日本で存在感を増している。その「先兵」になっているのが、日本の人口の約十倍、13億枚の発行枚数を誇る「銀聯(ぎんれん)カード」だ。
銀聯カード攻勢
「東京で6百万円の腕時計を買った会員がいる」。中国銀聯でアジア営業を担当する副総経理、魏志宏(36)は自慢げに語る。日本で使われるクレジットカードの利用額は一回当たり平均で1万円。銀聯カードは3万円、しかも百万円を越す買い物もざらだ。
中国人が海外に自由に持ち出せる外貨は1回の旅行で5千ドル(56万円)。中国にある預金から買い物代金を引き落とす銀聯のカードを使えば預金残高の範囲内でいくらでも使える。
2007年10月1日から1週間の国慶節休みに、銀聯カードによる中国人の海外での買い物学は14億2千万元(約220億円)。06年に比べ倍増した。外貨持ち出し制限の抜け穴となる銀聯カードの普及で、中国人富裕層の購買力が、バブル期の日本人のように海外に噴き出してきた。
中国経済はまだバブル期の日本に匹敵する大きさや豊さではないが、いずれ経済規模は日本を抜き、人民元も強くなるとの見通しが多い。銀聯のようなカード決済だけではなく、中国のように購買力を増した国の通貨がじわじわと日本国内に浸透し始めている。
07年に、円との両替用に銀行を通じて日本に持ち込まれた人民元は7億7千万元(120億円)。7年前の3百倍で「韓国ウォンを抜き、アジア通貨で最大になった」(香港上海銀行)。両替は中国への旅行の際に買い物で使うのが主な目的だが、なかには将来の人民元値上がりを期待した「タンス預金」もまじっているもようだ。
「お客様が外貨での支払を希望される場合はお断りしません」――。宝飾大手の田崎真珠の店頭ではこんな営業方針をとる。東京・赤坂の店舗「パールギャラリー」のレジの横のパソコンにはドル、ユーロ、スイスフラン、カナダドルなど7種類の通過の相場表が映し出されている。最近はユーロ高で欧州からの観光客が増え、全国の63店舗合計で、07年10月期のユーロによる支払いは前年度比2.8倍に膨らんだ。
ウォン使えます
下関市のグリーンモール商店街。電器店など約30店舗で、06年から韓国のウォンを使えるようにした。下関港から歩いて5分ほどの商店街は郊外の大型店におされ、シャッターを閉じたままの店が目立つ。町の衰退を防ごうと目をつけたのが釜山港からのフェリーで毎日、下関港に降り立つ韓国人観光客だ。最近は日本語とハングルで「ウォンが使えます」と書いたポスターも張り出した。
ユーロ、人民元、ウォン――。急上昇中、あるいは将来上昇が見込まれる通貨を持つ人々は購買力を増し、強い通貨は買い物などでも広く受け入れられるようになる。
中国に近いアジアの国をみれば状況はよりはっきり見えてくる。タイ北部、メコン川沿いの街チェンセーンなどではゲストハウスや土産物店などで人民元が使える。河川を行き交う貨物船の大半は中国籍。タイでトロピカルフルーツを買い、中国から雑貨などを運んでくる。外貨との交換を厳しく制限されているにもかかわらず“元経済圏”がじわじわと広がりつつある。
日本でも将来、人民元の決済や預金が認められるようになれば、一気に人民元が表舞台に登場する可能性がある。単一通貨が長く続き、国内で流通する通貨は円が常識になった日本。国内に入ってきた外貨とどうつきあうのかの覚悟もまだできていない。
かつて「YEN」も上り坂の時期があった。1970年代半ば、政府は円を経済力に見合った国際通貨にしようと「円の国際化」の旗を振った。だが、資本規制や市場開放などの自由化は遅れ、国際化もしないまま日本のバブルは崩壊、経済力も衰えてきた。一方、中国をはじめ近隣のアジアは疾走を続ける。そんな現実を今の弱い円は映しているようにも見える。 =敬称略
(「YEN漂流」取材班)
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