電脳筆写『 心超臨界 』

どんな財産も誠実にまさる富はない
( シェークスピア )

沖縄の五十歳以上の人は円という通貨にこだわりは少ない――糸数青修

2024-05-14 | 08-経済・企業・リーダーシップ
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
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「YEN漂流――縮む日本」
 [1] 沈む国と通貨の物語
 [2] 元経済圏の足音
 [3] 気がつけば途上国
 [4] 老若男女 夢持てず
 [5] 北畑次官の誤算
 [6] 新・通貨ウオーズ
 [7] 10ミリ秒 対 2秒
 [8] 「CO2本位」時代
 [9] 介入大国のDNA
 [10] 円が消えた日
 [11] 仕送り鎖国の罪
 [12] 燕は再び飛んだ
 [13] 天使よ振り向け
 [14] 円高恐怖 超えて
 [15] 磁力ある国へ


米軍による占領から1972年5月の本土復帰まで沖縄の人々が使うお金の名前は三たび変わった。第一幕は終戦から3年後の48年の「円消滅」だ。米軍が円の流通を全面的に禁止し、法定通貨をB円(ビーエン)に一本化したのだ。第二のショックは「ドル化」だ。68年9月に米軍がB円流通を禁じ、法定通貨をドルに切り替えたのだ。そして第三のショックは72年の沖縄の本土復帰に伴う「円復活」だ。


[10] 円が消えた日――沖縄通貨激変の戦後
(「YEN漂流」縮む日本 08.01.14日経新聞(朝刊))

ニクソン・ショック、プラザ合意。戦後、何度かの為替ショックにさらされた日本。だがもっと過酷な運命に翻弄(ほんろう)された地域があった。沖縄。ここでは文字通り通貨が漂流を続けた。


B円からドル化

米軍による占領から1972年5月の本土復帰まで沖縄の人々が使うお金の名前は三たび変わった。

第一幕は終戦から3年後の48年の「円消滅」だ。米軍が円の流通を全面的に禁止し、法定通貨をB円(ビーエン)に一本化したのだ。B円の正式名称は「B号円表示補助通貨」。米軍が軍費を賄うため発行した軍票の一種で占領直後から沖縄で使われ始めた。

終戦直後は円とB円の両方が流通していたが、激しいインフレに苦しんだ本土から沖縄のモノを買い求める形で円が流入し、物価が急上昇。米軍は円流通禁止を決断した。

基地建設を急ぎたい米軍は、本土から資材を安く輸入できるように、円とB円の交換比率を「3対1」と円安・B円高に設定した。この結果、B円時代の十年で沖縄の本土からの輸入の伸びは、輸出の伸びを大きく上回った。

米軍占領下の沖縄で中央銀行の役割を果たした琉球銀行に勤務し、後に県福知事になった牧野浩隆(67)は「B円のレート設定が沖縄の輸入依存を高め、製造業の発展を阻害した」とみる。

「形も違うしお金でないようだった」。那覇市に住む山内昌尚(71)は子供のころ初めて目にしたB円をまだ覚えている。大学卒業後の初任給は月4千8百70B円(当時の円換算で1万4千円強)だった。

第二のショックは「ドル化」だ。68年9月に米軍がB円流通を禁じ、法定通貨をドルに切り替えたのだ。山内の給料は半年ももたないうちに月45ドルに変わった。B円からドルの移行期にはインフレが進み、山内の生活は苦しくなったが「不満をいえない弱い立場だった」と振り返る。

そして第三のショックは72年の沖縄の本土復帰に伴う「円復活」だ。

「固定相場から変動相場移行の混乱期と重なり大変な作業になった」。当時沖縄北方対策庁で通貨変更の作業にかかわった元大蔵省次官の小村武(68)は言う。

本土復帰交渉の時点では1ドル=360円の固定相場だったが、復帰まで1年を切った71年8月のニクソン・ショックで円高が進んだ。本土復帰時のドルと円の交換レートを1ドル=360円で準備を進めていた小村らは、円高・ドル安による受け取り額の目減り分を補填する特例措置の策定に追われた。


残る不信の根

それでも混乱は避けられなかった。地場企業オリオンビールで働いていた外間政吉(74)は、本土復帰直後の社内宴会を今でも覚えている。復帰前は1ドル(360円)で済んだ会費が突然3千円に跳ね上がったのだ。レストランでも1ドルだったステーキが千円に値上がりした。商品価格をドルから円に書き換える際に、悪質な便乗値上げが続発。本土復帰後1年の物価上昇は17%に達した。

沖縄の人々の生活は、手にする通貨が変わるたびに、大きく揺れ動いた。72年の本土復帰後は米軍基地周辺を除けば流通通貨は円だけだが、それでも通過への信頼は完全には戻っていないようにみえる。

国際投信投資顧問が運用する世界の債券に投資する投資信託「グローバル・ソブリン・オープン」。沖縄県内の純資産残高は昨年末時点で約915億円。人口1万人当たりの平均残高は全国平均の1.5倍だ。昨年まで沖縄営業所長をつとめていた糸数青修(59)は「度重なる通貨ショックにあった沖縄の五十歳以上の人は円という通貨にこだわりは少ない」と言う。

流通する通貨が目まぐるしく変わり、インフレなどで手元のお金の価値が急に下がる経験を繰り返した沖縄。中長期的な通貨への信認は小手先の為替介入などでは守れない。日本の経済そのものを強くし、人々の円への信認を高めることこそが重要なことを、沖縄の経験は教えてくれる。  =敬称略

(「YEN」漂流取材班)
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