西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

杵屋正次郎(初世)

2011-02-02 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
杵屋正次郎(初世)


正次郎は、
始めは浅草奥山(浅草寺本殿の左奥辺り。吉原への抜け道となる)
で、独楽の曲芸“松井源水一座”の三味線を弾いていた。
それがあまりに巧いので、杵屋六三郎が引き抜き、長唄を突貫で仕込んだ。

デビューは、1768年(明和5)の森田座顔見世で、
1775年(安永4)に、市村座のタテ三味線になった。

正次郎作曲で、伝存する最初の曲は「狂乱雲井の袖」(1784・天明4年・桐座顔見世)。
これは中村仲蔵の所作ゆえ、通称「仲蔵狂乱」ともいう。

市村座が、この年資金繰りに行き詰まり閉座、
控櫓の桐座が営業を受け継いだばかりの、記念すべき第一作でもある。

大名題は『重重人重小町桜』(じゅうにひとえこまちざくら)といい、
この顔見世からタテ作者となった瀬川如皐、ピカピカの作だ。
如皐は、瀬川菊之丞の兄七蔵で、昨年役者を止めて狂言作者に転向した。

これからは弟の専属作者として生きる。
あくまでも菊乃丞を引き立てるための黒子に徹するというのだ。

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tea break・海中百景
photo by 和尚