西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

109-菊寿草摺

2009-11-30 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
杵屋正次郎―30「菊寿草摺」


血気にはやる五郎を、少将が留める。

『女の撚れる黒髪に(女の色気を駆使すれば)
 引かれて留まる心なら(どんな男も、いちころのはず)
 やらじと引けば 時宗は(行かないで、と引き止めれば、時宗は)
 日頃の本望 父の仇(やっと父の仇を討つ日が来たのだ)
 妨げなすなと 突き飛ばし(邪魔立てするなと、突き飛ばし)
 廓のじゃれとは違うぞよ(廓の遊びじゃないのだぞ)
 放せ 留めた』


女の黒髪で編んだ綱には、いかな大象も引くことができる、
魔力があるという。
つまりは、どんな堅物の男も、女の魅力には魅かれる、
ということの喩えだ。

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tea breaku・海中百景
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108-菊寿草摺

2009-11-29 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
杵屋正次郎―29「菊寿草摺」


『勢い和朝に名も高き(その気勢は日本中に轟く)
 曾我の五郎時宗が
 逆沢潟の鎧蝶(さかおもだかの鎧を引っさげ) 
 裳裾にすがる鶴の丸(裾にすがるは鶴の丸)
 素襖の袖をかき撫でて 
 留めるは鬼か小林の(留めるのは鬼の小林か)
 朝比奈ならぬ優姿(朝比奈とは似ても似つかぬ、やさ姿)』

鎧蝶とは、五郎のトレードマーク、蝶の模様をいう。
鶴の丸は、朝比奈役の衣装につける紋のこと。
今回は、女朝比奈の少将だが、紋は踏襲したようだ。

ちなみに、この曲は唄い出しが「いきおい和朝に名も高き」
とあるので通称を「いきおい」という。

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107-菊寿草摺

2009-11-28 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
杵屋正次郎―28「菊寿草摺」


曲の内容は、
【和田一門の酒宴で、父の仇、工藤祐経を見つけた五郎は、
「時こそ来たれ!」とばかり、逆沢潟(さかおもだか)の鎧を引っさげ
勢いだって駆け出す。
それを見た小林朝比奈(曾我兄弟の後見人)が草摺を掴み引き止める。
「放せ」と五郎、「留めた」と朝比奈。
二人が互いに草摺を引き合う】という単純なもの。

これを”草摺引き”といい、”草摺物”というジャンルを形成するほど、種類が多い。
今回の曲は、朝比奈の代わりに五郎の愛人少将が留める、という趣向。

そもそも五郎は、17歳まで箱根権現に預けられ、
山を下りた翌年、兄十郎と共に祐経に本懐を遂げた。
しかし、兄はその場で斬られ、
生け捕りとなった五郎は、その仇討ちが正当なものであったにもかかわらず、
頼朝の私情によって 斬首となったのだから、
鎌倉化粧坂にある遊郭で、ちゃらちゃら遊んでいたとは考えにくい。
少将というのはそこの遊女だ。

これも後々のバリエーションの一つで、
狂言作者が、気の毒な五郎クンにちょっと色気を付けてやったのだろう。

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106-菊寿草摺

2009-11-27 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
杵屋正次郎―27「菊寿草摺」

「高砂丹前」で顔見世が終わった桐座は、
翌年、順調に初春興行の幕を開けた。
だが、一月の終りに湯島から出た火で、中村座もろとも焼け落ちてしまった。

しばらくの休座を経て、正次郎が次に作ったのは(伝存曲としての意)
翌年(1787)の初春狂言の所作「菊寿草摺」(きくじゅのくさずり)。

草摺とは、鎧の胴の下に垂れている、ひらひら状のもの。
あれで太腿を保護する。

この時代は、初春狂言は、”吉例曾我物”という習慣が根付きだした頃で、
各座が競って曾我狂言を出すようになった。
だから時代が下るにつれて、どんどんバリエーションを広げ、
次々と、種々様々に趣向をこらした曾我物が現れるようになった。
現在もそれが混在して残っていて、
初春狂言には、取っかえ引っかえ、登場するようです。

曾我兄弟については、2009年2月5、6日のブログを参照して下さい。

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105-高砂丹前

2009-11-26 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
杵屋正次郎―30「高砂丹前」

次はチラシとなる。
再び謡曲の「高砂」に戻る。


『西の海(九州の) 
 青木が原の波間より
 顕われ出でし 朝香潟(顕われ給うた住吉の神)
 玉藻苅るなる岸陰の(美しい海の岸陰の)
 松根に寄って腰をすれば(松の根に寄りそい、腰をおろせば)
 千年の緑 手に満てり(千年の命を手に感じる)
 指す腕(かいな)には悪魔を払い(差し出す手は悪魔を払い)
 おさむる手には寿福を抱き(おさめる手は寿福を抱く)』

そして、顔見世大入りを願う歌詞で段切れとなる。

『入り来る 入り来る  
 花の顔見世 貴賤の袂(身分のへだてなく)
 袖を連ねてさっさっの(袖を連ねてさあさあさあ)
 声ぞ楽しむ いさぎよや(嬉しそうな声、なんともいいものだ)』

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