西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

芸の伝承

2012-03-14 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
芸の伝承


私も今藤綾子師の恩恵にあやかり、お二人の国宝の会には
毎回出させていただいた。

NHK-TVのお正月番組も綾子・佐登代はレギュラーで、
亡くなるまで毎年放送されたものだ。

杵屋佐登代が平成9年(1997)に、今藤綾子が平成15年(2003)に亡くなってからは、
貴音康(稀音家康改め)と、今藤文子が両巨頭に繰り上がったが、
今藤文子も今は亡く、前時代長唄の心髄を伝える人はもういない。

古典芸能とは、こうして新陳代謝をくりかえしながら、
伝承されてきたものだが、
次なる時代にバトンを渡す身としては、
先人の残したかぐわしい移り香が、
いつまでも失せないようにと願うばかりだ。

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女性人間国宝

2012-03-13 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
女性人間国宝


「繭の会」のメンバーは、昭和長唄界を風靡した
いずれ劣らぬ名人上手の教えを受けた筋金入りばかりだ。

「繭の会」の動きに刺激を受けた女性たちによる、
小さな勉強会も続出したし、今までは男性中心だった舞踊の地にも
「繭の会」同様、女性グループが進出した。

折しも「男女雇用機会均等法」(昭和47年・1972)が
制定・施行された年と重なる。

そして国連で採択(昭和54年・1979年)された
「女子差別撤廃条約」が日本で締結されると(昭和60年・1985)、
三味線の今藤綾子と、唄の杵屋佐登代の二人が
長唄界では初となる人間国宝に認定(昭和62年・1987)された。

この快挙に女流長唄界は俄然活気づき、文化庁・国立劇場・NHKなどが
至宝シリーズとして「国宝の会」をどんどん企画した。


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「繭の会」その3

2012-03-05 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
「繭の会」その3

私が大学2年生の時(昭和44年・1969)だった。
当時九段下にあった日刊工業新聞社7階のホールで、
第一回「繭の会」が開催されたのは。

斯界の先輩たちが、黒紋付で入り口付近に立たれていた姿が、
とても眩しかったことを覚えている。

満席の会場には、
芳村伊十郎(7世・伊十衛の師)・杵屋五三郎(当時五三助・静子の師)
日吉小三八(小暎の師)・杵屋佐登代(佐臣の師)・今藤綾子(美知の師)
菊岡裕晃(伊勢弥生の師)などなど、長唄界重鎮の姿があり、
はれがましい緊張感が漂っていた。

伊十郎はすでに人間国宝だったが、
菊岡を除く他の方々も後にみな
国宝の認定を受けることになるのだから。

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「繭の会」その2

2012-03-03 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
「繭の会」その2


ところが「繭の会」は違った。
仕事で沖縄に行く船の中で、勉強会の話がまとまったのだという。

自発的に発案し、おのおのが師匠に了解をとったのだ。

「繭の会」の発足は昭和44年、時まさに1960年代後半。
アメリカで始まったウーマン・リブ、
女性開放運動の波が日本に上陸した頃だ。

“繭の会のお父さん”と言われている芳村伊十衛などは、
まさしく「女流長唄開放」の旗を振るジャンヌ・ダルクだろう。


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女流長唄

2012-03-02 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
女流長唄


戦後女性は強くなったといわれるが、長唄の世界も然りだ。

それまでは舞台に立つのは男、稽古は女、
という役割に疑問を持たず徹してきた。

ところが「稀音会」が先鞭をつけた形の女流演奏会が
長唄社会に意識改革を促した。

もちろん「稀音会」は幸の父、浄観が命じたのだろうし、
「清和会」も伊十郎と長十郎が提案したものだ。

まだまだ男の後ろ盾がなくては動けぬ時代だ。

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