西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

吉原俄

2015-10-31 | 浮世絵
これは細田栄之(宝暦6~文政12・1756~1829年)の浮世絵
「青楼万歳俄 関の松がえ」だ。
制作年代は1789~1792(天明9~寛政3)年とある。

芸者衆による吉原の年中行事、「俄」を描いている。
面白いのは「関の松がえ」という長唄を唄っているのが、
荻江節の連中ということだ。

荻江節は長唄の唄方、荻江露友が始祖で、
露友は歌舞伎を離れ吉原の座敷長唄に活路を見いだした人だから、
荻江節の名取りが長唄を唄っても何の不思議もないが、
吉原の見番にこんなに多くの荻江節の男芸者がいたというのが驚きだ。

露友は吉原で精力的に荻江節を広めていたのだ。
ちなみに露友は1787(天明7)年に没している。

    



会合

2015-10-30 | 仕事関係
きょうは朝の10時から、夏期・秋季長唄協会の合同演奏委員会がありました。

夏期の女子長唄協会は順調に運営されているのですが、
秋季の男子長唄協会が出演者が少なくなり、今後どういった運営をするべきか、
といったことを話し合ったわけです。

時代の変遷にともなって、長唄の演奏会というものも変わらざるをえない。
そういった柔軟性のある意見がお互いに出たりして、なかなか意義のある会合でした。

    仲良くやりましょう。
    

芸者

2015-10-29 | 浮世絵
これは鳥居清長(宝暦2~文化12・1752~1815年)の浮世絵
「隅田川月見の宴」だ。
制作年は1787(天明7)年とある。
座っている芸者は1の糸を糸巻きに巻こうとしているから、
箱から出して準備をし始めた所だろう。
対岸の見世も賑わっている。

   

居続け

2015-10-28 | 浮世絵
これは喜多川歌麿(1753?~1806・宝暦3~文化3)の浮世絵
「居続之堅舗」(いつづけのけんほ)だ。
制作年代は1804(享和4)年とある。

雪で帰れなくなったのだろう、
引け四つ(閉店)を過ぎて居続けた客が出窓に座って歯をみがいているようだ。
障子はずして掃除していたのだろうか、昔は。
洗面たらいを運ぶかむろ、火をおこす新造たち。

屏風に手をかけているのが「バンシン」(番頭新造)
火箸を持っているのが「オビシン」(不詳)
ちろりを持っているのが「フリシン」(振袖新造)とある。

肝心の遊女は座敷のしつらえが終わった頃、おもむろに登場するのだろう。
しかし、客が居続けるとまわりが大変だ。
もっともその分、勘定が高くなるのだろうが…
   
   

歌舞伎座

2015-10-27 | 仕事関係
きょうは西川扇蔵米寿記念の「西川会」が歌舞伎座でありました。

東銀座の地下鉄から地上に出ると、歌舞伎座の前は着物を着たご婦人方でごった返していました。
賑々しい看板が立てられ、記念撮影をなさっている方もたくさんいらっしゃいました。
大きな流儀の大きな会です。

人ごみを抜け、歌舞伎座の楽屋口に向かいましたが、
旧楽屋口と違って、妙にモダンであっけらかんとしている入り口です。
    

入るとバリアフリーの設計で、広々とした空間が広がっています。
頭取部屋の隣に楽屋稲荷が鎮座しています。
これもきれいぎれいと、何だかモダンです。
    

正面入り口横にある歌舞伎稲荷明大神も何だかぺらっとモダンだし、
新しい歌舞伎座は肝心要の所がちょっと軽い感じですね。

舞台はやはり広い!
新築なって2年目ですが役者さんたちの気が籠り、演りいい舞台に育っているようです。
私たちは荻江の「松竹梅」を演りました。