西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

大江戸芝居年中行事の23

2019-06-30 | 浮世絵
安達吟光(嘉永6〜明治35・1853〜1902年)の
「大江戸芝居年中行事」の23、「さし出しかんてら」だ。

さし出しかんてらとは、今でいうスポットライトのようなものか。
踊っているのは中村富十郎とある。
彼は生涯に1000度もこの「娘道成寺」を踊ったという。
この図がその始めらしい。

   

書き入れ
「さし出しかんてら
 昔の芝居には さし出し 俗に面灯(つらあか)りととなえ
 役者が指すて引く手と共に 左右より燭を持って之を照らし
 又舞台前かんてらと称し 蝋燭立てをさす
 此の図はその昔三ヶの津(日本)第一の立おやま 中村富十郎が
 始めて京鹿子娘道成寺の所作を演じたる所を写し さし出しかんてらのさまを示す
 千村誌

 さし出しや さくらの如く 舞う胡蝶」
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大江戸芝居年中行事の22

2019-06-29 | 浮世絵
安達吟光(嘉永6〜明治35・1853〜1902年)の
「大江戸芝居年中行事」の22、「猿若狂言」だ。

「書き入れ」にもある通り、明暦3年(1657)1月に起きた振袖火事で、江戸の大半が焼け落ちた。
猿若勘三郎は実際に猿若座再建までの間、息子勘二郎等を伴い御所に参内している。
この後、勘二郎は明石を名乗るのだが、それが赤い着物からきていたとは知らなかった。

  
  

書き入れ
「猿若狂言
 明暦三年五月 中村勘三郎京都へ上り 内裏へ召されて猿若狂言を演じたる時
 その倅の衣裳赤きゆえに あかしあかしと呼び給いしを以て
 それより代々倅を明石と名付く
 その節拝領の品々 今に中村勘三郎の宝庫に蔵(おさ)む
 その後は座元代替わり または甲子年には必ずこの舞を興行す
 ここに絵図では猿若の狂言にして その他門松 新発意(しんぱち)太鼓の二種あり郁に
 江戸芝居の始めは 中村勘三郎を祖宗となす
 千村識」
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大江戸芝居年中行事の21

2019-06-28 | 浮世絵
安達吟光(嘉永6〜明治35・1853〜1902年)の
「大江戸芝居年中行事」の21、「木戸羽織」だ。

昔はこうやって、木戸番が入り口で客を呼び込んだのだ。

    


書き入れ
「木戸羽織
 昔の木戸番は長羽織を着て 手ぬぐいに頬を包み 扇をかざし
 木戸前に並び 客を招き札を売る
 長羽織は立おやまよりの仕着せにて 何れも五ツ紋の裾模様
 六尺手ぬぐいと扇は座頭より贈るものにて その紋所を染め出だしたり
 木戸番はこれが為に寒さを凌ぐとぞ
 千村

 木戸番の着たる羽織も手ぬぐいも 永く続いた大入り芝居」 

木戸番の手ぬぐいと扇には三升の紋所が入っている。
座頭は市川団十郎だ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

料理

2019-06-27 | プライベート
きょうは超久しぶりにわが家で料理を作りました。

5月6月は坂出に行ったり来たりで、東京にいる時間が少なく、
落ち着きませんでしたが、やっとゆっくりとわが家で過ごせます。

体調も回復しておりますので、スーパーに買い物に行き、
冷蔵庫も久しぶりに一杯になりました。
 
    アジのカルパッチョです。
    ショウガ入りのカルパッチョソースで美味しかったです。
    
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大江戸芝居年中行事の20

2019-06-26 | 浮世絵
安達吟光(嘉永6〜明治35・1853〜1902年)の
「大江戸芝居年中行事」の20、「お目見得」だ。

  

書き入れ
「お目見得
 下り役者のお目見得は その役者の好みにより 所作に狂言にいろいろ替われども
 大概だんまりの幕にて 下に描く如き出立(きつけ)にてせり出し
 立回りながら口上のせりふを述ぶるを例となす
 千村

 御ひいきの 引幕開けてお目見得の 顔も檜の舞台恥ずかし」
  
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする