「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”一貫三百はどうでもよい” 江戸時代をを偲ぶ本門寺のお会式

2016-10-11 05:49:11 | 2012・1・1
日蓮宗の大本山、東京池上の本門寺で11日から13日まで、日蓮上人入滅の命日「お会式」が催される。お会式の期間中、30万人の信徒が参詣し、都内をはじめその近郊から3000を超す万灯が集まる。東京では昔から、お会式を迎えると秋が深まるといわれているが、今朝の東京も秋冷を感じた。

戦前、僕が住んでいた五反田は、本門寺に通じる脇道、中原街道の起点に当たり、お会式には都心からの万灯の通過点で、万灯の御練の「お逮夜」(おたいや)には、中原街道の出発点、大崎広小路を万灯を掲げ、鉦や太鼓、笛の音賑やかに、数十の集団が通過していった。その賑やかさは、70余年過ぎた今でも僕の脳裏にある。小学生だった僕らは、昼間、団扇太鼓を叩きながら、どこから聞いてきたのであろう。訳も解からずに”ここは池上本門寺、一貫三百はどうでもよい。テンテンテレツク”とはやしながら練り歩いて遊んだものだ。

後年、”一貫三百”という囃子言葉について、”一貫三百”は江戸時代の職人の一日の日当で、職人たちはお会式に参加するには日当など要らないという意味だと知った。そのぐらい、江戸っ子にとっては賑やかな行事だったのであろう。そういえば、今、当時の東京を振り返ってみると、まだまだ”江戸時代”が、そんなに遠くではなく残っていたのだ。戦前の昭和10年代初めを起点にすると、”江戸時代"は僅か80年ほど前だったのだ。街の横町からは、女の子たちの江戸時代からの里謡、”天神様の細道”や”隣の牡丹”の遊びが見られた。五反田でも藁葺屋根の家や江戸時代の長屋がまだあった。