「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

マレー作戦の勝利と藤原(F)機関の諜報活動

2015-03-02 05:40:20 | Weblog
大東亜戦争緒戦のマレー作戦の日本の勝利は、完璧な諜報活動がもたらしたものと英国側が分析していることが英国国立公文館所蔵の秘密文書の中にあることが判明した(産経新聞3月Ⅰ日付け首都圏版1面、3面)。「イスラム国」(IS)問題で、わが国の諜報(inteligence)活動のあり方が問われている時だけに、70数年前のマレー作戦の際の日本の諜報活動が、どのようなものであったかを知るのは参考になる。

マレー作戦の諜報活動の主役は、陸軍中野学校の教官であった藤原岩市少佐(当時)率いる藤原機関であった。藤原機関は、藤原のFとFriendoshipのF,それにFreedomのFをとって、現地では(F)機関とも言われていた。たまたまであるが、僕は今年4月出版する新書「大東亜戦争とマレー昭南(シンガポール)ボルネオ(英領)虐殺の真相」(朱鳥社 ☎03-5358-3984 FAX03-5358-3986)の中で、藤原機関と当時の日本の諜報活動について詳述している。どうぞ参考にして下さい。

藤原機関は開戦前からタイのバンコクに活動の拠点を起き、開戦X日を想定して入念な準備をしていた。その主目的は「マレー英印軍内のインド兵の戦意破砕、投降と離反を促し、マレー在住70万人の反英独立運動を起こす」(「陸軍中野学校」)であったが、同時にマレー国内の地勢、住民の習慣、文化などを在留日本人ネットワークを通じて調べ上げていた。これらの情報は、上陸作戦の際「これだけ読めば戦争に勝てる」(辻政信参謀編)という冊子にして全軍兵士に配られた。

戦後昭和30年代、アニメや漫画で有名になった「怪傑ハリマオー」は、戦前からマレーに在住していた、当時理髪店の息だった谷豊を藤原機関が利用し戦闘を勝利に導いた話である。今、ハリマオーの事は日本人の間では忘れかけられているが、現地ではサルタンの墓地内にきちんと丁重に葬られているとのことだ。