「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

サイパン玉砕と大本営発表

2014-06-11 05:35:42 | Weblog
大東亜戦争の敗戦を決定づけたのは、昭和19年(1944年)6月―7月のサイパン玉砕戦であった。同地での戦闘は11日の空襲、12日の艦砲射撃についで15日、米国海兵隊が上陸を開始し、迎え撃つ第43師団との間に激しい戦闘が繰り広げられたが、多勢に無勢、25日、大本営は奪回不可能と判断、7月9日”バンザイ突撃”をもって組織的な戦闘は終了した。一方海上でもマリアナ沖海戦で空母三隻を失うなど壊滅的な被害を蒙った。

当時、国民はこの敗北をどのように受け止めていたのか。亡父の6月16日の日記には大本営発表として”敵軍二度、上陸を企てたが撃退され、三度目の企図に対して目下、撃退中”と書いている。しかし、その後日記には戦闘について記述がなく18にの日記には”警戒警報まだ解けず、サイパンは一体どうなっているのか”と懸念している。米軍のサイパン上陸以来、日本全土に出ていた警戒警報は19日解除されたが”中部太平洋方面の戦闘は発表も情報もないと再度心配している。その後7月4日の日記には”サイパン血戦につき大本営発表あり。同時に情報局からも意味深長な声明あり”と記し、国民はこの時点でサイパン陥落を知っていたようだ、しかし、サイパン玉砕が公式に発表になったのは18日、東條内閣総辞職の時であった。

先日、6月6日のノルマンディ上陸作戦の70周年を記念して、現地で関係国首脳が集まって式典があった、のをテレビで知った。自国の戦闘ですら”大本営発表”しか情報源はなかった。当然、亡父の日記にはこの記述はない。藤田嗣治画伯の「サイパン島民臣節を全うす」という戦争画を見た。玉砕前の島民を描いたものだが、米国側の資料を見ると、戦闘前に捕虜になった方も多かったようである。