年3回あるJR東日本の「大人の休日倶楽部パス」期間が
この秋は明日まで・・・ってことで、
急遽土日で大人になってから行ったことがなかった会津への旅を計画。
一昨年の大河ドラマ「八重の桜」の舞台として興味あったのと、
実は高校時代の修学旅行で行った先ながら
当時はあまり興味なく、記憶も定かではなかったので
高校同級生の母ちゃんと「修学旅行おさらいの旅」ってことで(笑)
会津は古い街並みが残る城下町。
城下商業の中心地である七日町は散歩してても楽しい。
土蔵や木造の町家がそこここに残っている。
会津塗りの老舗もたくさんあり
「創業 安政⚪︎⚪︎年」とか「創業 寛永⚪︎⚪︎年」とか看板に書いてある。
ある店には「創業 江戸時代」と書いてあり
「ざっくりし過ぎだろう」と大笑い(^^;
ざっくりし過ぎといえば
鶴ヶ城でも隣を歩いていた地元の人たちらしき方々の話。
「このお城は誰が建てたんだっけ」
「えーっとね。ずっと昔の人」
声出さずに涙流しながら大笑いするのは大変だった(笑)
鶴ヶ城が幕末の松平容保公の城だったことは知っていたが
最初は蒲生氏郷が城主だったんだねぇ。
豊臣時代のこと。
なお、城内には千利休が切腹した後その子少庵を氏郷が匿っていたらしく
少庵が作ったとされる茶室「麟閣」が残っている。
実はここも目的の一つ。
千家が表、裏、武者小路と別れる2代前の人だけあって
3家それぞれの家元が書いた扁額が飾ってある。
さすが。
1泊した後、昨日は東山温泉へ。
(節約旅行なのでここに泊まったわけではない 笑)
ここも歴史を感じさせる鄙びた温泉街だった。
土方歳三も戊辰戦争の折、傷を癒しに来たという。
小原庄助さんの伝説はここだったんだねぇ。
ここも紅葉がきれい。
そして白虎隊殉死の地、飯盛山へ。
墓を見ると14歳から16歳、数え歳だから今で言えば中学生。
「敵に捕まり辱めを受けるより死して名誉を守る」と
お互いに刺し違えたりして亡くなったという。
痛ましい。
彼らが最後に目にした会津の街。
激戦の場所からこの洞穴を通って飯盛山に来たという。
猪苗代湖から引いた水路は300mもまっ暗闇だったらしい。
さざえ堂も彼らを見守っていたことだろう。
ところで会津も含め、旧幕府軍は心ならずも朝敵の汚名を着せられ、
徹底的に薩長軍に攻め込まれて敗退したのだが、
彼らが何か悪いことをしたわけではない。
いや、どちらかといえば武士道の忠義に従ったのは彼らの方。
ところが戊辰戦争後、新政府は
敗れた幕府軍の遺体を葬ることを許可しなかったとのこと。
そのため白虎隊の少年たちの遺体は獣に食われ鳥につつかれ
ようやく埋葬許可が出た数ヶ月後まで放っておかれたらしい。
(途中見るに見かねて埋葬した人間は罰せられ
遺骨もまた掘り出されてしまったとのこと)
一方の新政府軍の戦死者は神と祀られ、神社まで建てられた。
それが今の靖国神社。
罰せられるべき罪を犯していない者たちについて
死した者までこれほどの扱いをするというのは武士道ではない。
これは蛤御門の変や安政の大獄の私怨でしかないだろう。
あまつさえ新政府軍の戦死者のみ神と祀るなんてのは
およそ国を司ろうとする人々の所業ではない。
一級戦犯合祀以前に
だからワタシは靖国神社を認めない。
そこには国を憂いてやむなく暴力に立ち向かい
命を落としていった旧幕軍の名も無き兵士たちは祀られていない。