行政も司法も現場をまったく知らないのか?!
学校における卒業式や入学式において、何が何でも「君が代」斉唱の形を作り上げる。たとえ子どもの心身を傷つける可能性があろうとも、教員の仕事の責任(合理的配慮)を放棄させることにつながろうが、「君が代」起立斉唱職務命令は絶対的にあることを、今回の判決は示しています。
以下、原告奥野泰孝さんから届きました。どうかお読みください。
「合理的配慮」無視の「君が代」戒告処分撤回裁判の判決が5月17日大阪地裁で出ました。原告(私)の請求は棄却されました(敗訴)。
「国歌斉唱時の着席が合理的配慮だったのか」という考察が判決理由ではほとんどされていません。裁判の中に「君が代」強制の判断が入ってくると「合理的配慮」だからという着席理由も十分検討されない判決になるんだなと思いました。
合理的配慮についての判断
判決で裁判所の判断として次の記述があります。
「原告が、てんかん発作の予防というAに対する合理的配慮を目的として本件行為に及んだと認めることは困難であり、原告が、Aのてんかん発作の予防に仮託して、本件卒業式の国歌斉唱時に起立斉唱することを回避しようとしたという疑いを払しょくすることはできないといわざるを得ない。」
被告側の主張に沿った判断です。私は2013年の減給処分以後、卒入学式で式場外に追いやられていました(受け持ち生徒が式場に居ても)。判決では「以前に行われたAが出席していた式典に立ち会たことはなかった」と述べて、だから原告の判断が間違ってるといていますが、式場に担任を入れないという府教委の暴挙が問題にされていません。原告はしかたなくその職務命令に従っていました。しかしA君が2年生の時卒業式に出て周りが起立斉唱している時に発作を起こした事実があるのです。立てない生徒の横で周りが立ってもいつもの担任が横で座っていれば生徒は安心します。発作を持っていようがいまいが、それが普通の判断です。しかしA君の場合、その精神的不安が発作に繋がる可能性が高かったのです。私が処分を受けたくなくて起立斉唱を回避しようとすれば、管理職の求めるとおりに式場外に居れば済むことでした。起立斉唱を回避するために「合理的配慮」を理由に持ち出しているなどとは歪んだ論理です。また裁判官は「本件卒業式の際、Aはてんかん発作を起こさなかったことが認められる。」と述べ、だからAが発作を超す心配はなかったというように述べているのですが、それは逆さまで、「原告が座っていたから発作を起こさなかった」という推測の方が正確です。原告が座ったのに発作が起きていたら「横で座っていると発作が起きにくい」という原告の主張を否定しやすくなるというのが普通の論理です。
事情聴取での弁護士立会が認められなかったことについて
また事情聴取の時、弁護士の立会を認めなかったことに対し、裁判官は「原告は自身の意見を忌憚なく述べていることが認められることから、本件処分に手続違反の違法があるとはいえない」と述べています。准校長がどのような「不起立報告書」を出しているのか示されない状況で、相談する相手もなく、処分前提の事情聴取で、どうして忌憚なく自分の意見を言えるのでしょうか。
原告の過去の処分歴が判断に必要だろうか
判決理由では、冒頭の「第2 事案の概要」と10頁からの「第3 当裁判所の判断」でそれぞれ約半頁「原告の過去の懲戒処分歴」が述べられています。原告に対する偏見から判決作成が始まっているかのようです。被告と原告でくいちがう証拠や証言は、判断基準は述べず被告側の主張を選び取っています。
今後
傍聴席はいっぱいで報告集会も30人以上の方が来てくれました。自分のことのように怒り悔しがってくださり感謝でした。熱心に活動してくださった弁護士方は納得いかないので控訴すべきという意見でした。
判決の分析はこれからですが、控訴の方向で動いています。
「君が代」強制のためにいくつもの本末転倒が起こっています。小さなことではありません。済んだことではありません。このまま放っておけません。
(判決1週間後に記す 奥野泰孝)