Snapeの英語指南

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”some people” は ”数人の人々”か? (1)

2013-01-08 12:11:19 | なるほど英文法 

数人、数日、数個、数回 ・・・・・・・・

「数_」という日本語表現について、文化庁発行の「ことばシリーズ33 言葉に関する問答集16」
(平成二年)が採り上げている。

1.当時発行されていた「国語辞典」13点の調査結果として、

2,3」または「4,5」としたもの・・・1点
2,3」または「5,6」としたもの・・・3点
3,4」または「5,6」としたもの・・・7点
4,5」としたもの・・・・・・・・・・・・・・・1点
5,6」としたもの・・・・・・・・・・・・・・・1点

※ これらのうち2点は「10に満たない」という表現を伴う。

以上を整理して以下のような指摘がある。
「13点の辞書のすべてが「5」を含んでおり、11点は「5,6」を含んでいるので、そこら辺が
基本線といえるだろう。総合すると、”主として3~6を表すが、場合によって2も含む」となるであろう」

もっとわかりやすく言うと、日本語で「数人」というのは、「4,5人」か「5,6人」である。「5人前後」という言い方もある。もっとゆるやかに捉えると、「3~6人」ということである。今日の感覚とそれほど違わないように思う。

また、「数人の」とほぼ同義に使われる「何人かの」もほぼこれに沿ったものだろう。

数人=何人か=3~6人、   数日=何日か=3~6日、    数個=何個か=3~6個 ・・・・・・・

日本語の「数_ 」についての以上のまとめに大きな異論はないだろう。日本語としてはいい。

しかし英語の some  はどうか?

"some people" = 「数人の人々」(3~6人 )  が常に成立するのだろうか?

答えは"No!" である。常に成立するわけではないのだ

英語の "some" は実は日本語の「数_ 」よりもはるかにあいまいである。ちなみにこの記事では混乱、錯綜を避けるために、可算名詞(数えられる名詞)につく"some" に話を限定させていただく。日本語の「数人、数個」は状況や文脈に依存せずに3~6 の数量を意味する。絶対参照的にこうなのである。しかし、英語の"some" で意味される実際の数量は、つねに状況・文脈に依存しているためにあいまいである。むしろ、あいまいに表現したいからこそ "some" を使うとも言える。「日本語は英語にくらべて”あいまい”だ」という一般的な通念があるが、ここでは一見逆転しているようにみえる。

しかし、"some" には”あいまい”とは言っても、ちゃんとした使い方がある。あいまいというより、正しくは不特定というべきだろう。厳密に言えば、数えられる名詞につく場合は当然不特定の複数を意味する。不特定といっても、数量を特定したくない場合、特定できない場合、そして最も多いのが、数量を特定する必要がない場合に使うのである。実際の数量、数値に重要性がない場合に使うのであって、たしかにいちいち数量を言っていたらたいへんだろう。その意味では理にかなった便利な語である。

表面的なわかりやすい理解として、「a few は一桁の前半、 some は一桁の真ん中ぐらい、several は一桁の後半の数を指し、一般的な訳語は、a few 「少数の、二三個の」、some 「いくつかの、数個の」、several 「いくつかの、複数の」」 という説があるが、これには落とし穴がある。 たとえば、以下の例である。

 1) Some people were rescued in the sinking of the Titanic. 

2) There were some people lying on the grass in the Hyde Park.

 

タイタニック号の沈没の際に一部の人々は救助された。

ハイドパークの芝生には寝転がっている人々もいた。

 

上の二つの文では、「数人の人々」では笑うべき誤りになろう。日本語の「数人」では「5人前後」ということになるだろうが、タイタニック号の沈没事故での生存者は713人であって、全乗員2,229人の34%である。また、ロンドンのハイドパークを知っている者ならば決して「数人」とは訳さないだろう。じっさい芝生に寝転がっている人々は公園内至る所にゴロゴロいるのだ。もちろん以下のような例もある。

 3) Some people at my workplace often go to the restaurant.  

4) He knows some people who can play the piano.  

 

うちの職場の一部のひとたちはよくそのレストランに行く。

彼はピアノを弾ける人を複数知っている。

 

さて、この二つの例文では「数人」という訳でも成立しそうである。しかし、日本語の「数人」は上に見てきたように、だいたい3~6人である。はたして上の二つの文でこの範囲に収まるという保証はあるだろうか。たしかに4)のピアノの例ではひとケタ台である公算が大である。しかし3)のような文では、大きな職場ではそこの従業員の一部であっても十数人、数十人ということはいくらでも考えられるだろう。”一部”もしくは”複数”という訳のほうが「数人」よりも無難、つまり論理的に正確に思えるのだがどうであろうか。もちろん複数とは数学的には2以上のすべての数だ。50 も500億も複数だ。しかし、言葉は数学ではない。そこで文脈・状況的な判断が入ることになる。つまり、実際の数量の印象は文脈依存的、状況比例的、もしくは母集団比例的にある程度絞り込まれる。

3)のsome people職場の全従業員という母集団を前提とした部分集合である。日本語の文脈・状況にまったく依存しない「数人」(3~6人)とは違い、ここでの some people は母集団との関係で部分集合として常識的にある範囲の数量が意味されてくる。状況比例的に絞られてくるのだ。 それでは、4)はどうか?ここでも母集団と部分集合との関係で考えることができる。つまり、彼の知人全体が母集団である。そのうちピアノを弾ける者が部分集合であると考える。以下の5)の文でも同様に、私の蔵書全体が母集団であって、フランス語で書かれている本は部分集合ということだ。

5) I have some books written in French.  

フランス語で書かれた本を複数持っている。

 

もっと短く言うと”部分集合のsome”である。部分集合というのは厳密なように聞こえるかもしれないが、集合の大きさには段階があって、決して絞り込めないので、非常にあいまいというか、不特定である。1,000冊のうち10冊も部分集合、500冊も部分集合である。母集団の全てでなく、1つでもなく複数の要素の集合というのが、ここでいう部分集合の意味である。

しかし、以下の場合は、また話が別である。

6) Some people believe in religion.  

7) In order to lose weight some people skip meals.  

 

宗教を信じる人々もいる

痩せるために食事を抜く人もいる

 

この2つの例は”一般論のsome" とわたしが呼びたいものであって、「数人の人々」というほほえましい訳からは程遠いものである。6)ではその数は地球上で40億人を軽く超えるだろう。7)であってもおそらく世界に数十万人はいるのではないか。4)のように”一部”を使って、「一部の人々は宗教を信じる」 と言っても同じであろう。ただ、私がここで特に”一般論の”と呼ぶのは、世間一般、世の中一般、人間一般という、常識的に考えて最も上限というか最大の母集団が想定されているからである。

これに対して4)はどこかの職場の全職員という非常に限定された集団が母集団である。そして、さかのぼって、1)ではタイタニック号の乗員全員が母集団であり、2)ではハイドパークに憩う人々全員が母集団なのである。さらに、個人レベルの4)、5)についてもそれぞれ限定された母集団が暗に前提されている。”部分集合some” と呼ぶのであるが、より正確には”部分集合としての some” となろう。

しかし、わたしが言う、”一般論のsome" は、部分集合のように限定されていない、無限定の集団についての話である。特定の限定された集団、グループについてではなく、社会一般、人間一般なので ”一般論に使うsome"と呼ぶほうが正確かもしれない。さらに厳密には、”一般論に使う、部分集合としての some”  である。


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1 コメント

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Unknown (七星)
2013-01-09 01:01:12
勉強になります。
(社内メールで、“a”や“the”がいつも抜けているぞ、と指摘されている私です・・・)
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