“ギョベクリ ・ テペ” を知っていますか?
Göbekli Tepe
今から20年ほど前の1994年に、トルコの一農夫が偶然掘り当ててしまった古代遺跡、ギョベクリ・テペ。
現在も発掘が続いており、全体の5%ほどが明るみに出てきていますが、発掘完了にはまだあと50年以上かかる見込みです。
人類史の書き換えを迫るような、とんでもない発見ですが、なぜかあまり知られていません。おそらくあまりにも今までの定説に反する事実が出てきてしまったために、説明がつかないためでしょう。
ご注意ください。これは、いわゆる“トンデモもの”ではありません。れっきとした研究者、研究団体によって承認されている議論の余地のない考古学的大発見です。ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティー、BBC放送、ヒストリー・チャンネル、ディスカバリー・チャンネル、スミソニアン博物館などが取りあげて、ビデオなどを制作して公開しています。日本ではすでに数年前にNHKがテレビ放送をしていますし、TBSの「世界ふしぎ発見」でも取り上げられていますので、知っている人は知っています。
にもかかわらず、一般にはほとんど知られていません。テレビで見たひとも忘れてしまっています。なぜでしょうか。おそらく考古学、人類学、歴史学、先史学などの学界ではまだこの “ギョベクリ・テペ” のきちんとした位置づけができずにいるからです。さらに言えば、これを受け容れるということは、今までの文明史の定説をすべてひっくり返すことになるからです。アカデミズムの世界は腰が重いのです。自分たちが営々として築き上げてきた権威ある理論、説明原理を否定する事実に正面から向き合うことにはなかなか乗り気になれないのです。おそらくあと20年、30年経っても学校の歴史の教科書に出てくることはないでしょう。事実が“公認”されるのにはとてつもない時間がかかるものです。そこにはたいへんな“見えざる抵抗”があるのです。学界の権威者にとってはたしかに不都合な真実でしょう。あなたが今初めて知ったということも、この事実が今リアルタイムで実にゆっくりでしか広まっていないことを物語っています。ウィキペディアでの記述も実に貧弱なものです。
現地での発掘も慎重で綿密な作業のために現在 5%しか済んでいません。あとの 95% を済ますのにまだまだ50年以上かかります。
同じ事実を今受け容れることと、50年後に受け容れることの差はどこにあるのでしょうか。自分の頭で考えるひとは、知った時点でその情報に信頼性があるかどうか判断したうえで、定説があるか無いかに関係なくその事実を受け容れるかどうかすることでしょう。自分の頭で考えないひとは同じ事実が数十年後に定説とともに教科書に載るようになってやっと受け容れる、というよりは従うことになるでしょう。“50年待ちピープル”はつねに世の中の絶対的多数派です。
現在率先して発掘作業に当たっているドイツの考古学研究チームはすでに20年近く現地で発掘作業を続けています。リーダーのクラウス・シュミット博士は現地のトルコ女性と結婚して定住し、この発掘に生涯をかけています。しかし、彼の生きている間に発掘作業が完了することはないでしょう。
クラウス・シュミット博士
ギョベクリ・テペ: この古代遺跡の特徴
●異常に古い:
放射性炭素年代測定法によって1万1千年から一万2千年の間のものであることが証明されている。古代エジプトの大ピラミッドよりもさらに7000年古いことになる。これは客観的・科学的・物理的事実であって、説明や解釈ではないので、反論や突っ込みはまったくない。これだけでも大変なことである。
●神殿である:
居住空間、つまり村や都市ではなく、神殿、つまり “宗教的、呪術的意味をもつ施設” と推定される。儀式、祭礼のための施設であった可能性がある。居住生活の痕跡がほとんどない。
●素朴であるが、高度な技術:
ストーンヘンジよりも5000年以上さかのぼるにもかかわらず、ストーンヘンジよりも複雑で、より洗練されたスタイルを持っている。
●金属器以前の新石器時代に属する:
金属器を持たない狩猟採集民による建造物である。石の切り出し、石の彫刻には金属の道具ではなく、石器が使われたと考えられる。ちなみに土器も見つかっていない。
●農耕、牧畜以前である:
穀物栽培、家畜の飼育の痕跡が出てこない。人類史において、農耕が始まる5000年以上も前の建造物である。付近で発掘されるまとまった動物の骨はすべて野生動物のものである。
●文字がない:
動物の絵や抽象的な図形、シンボルは彫られているが、文字らしきものは見つかっていない。当然話し言葉はあったであろうが、それをとどめる術(すべ)としての文字をまだ持っていなかった狩猟・採集民による建造物である。
●人類史の定説を覆す:
“農耕 → 食糧・富の蓄積 → 階級の発生 → 都市の発生 → 宗教施設の建造“ という従来の文明史、考古学の常識を覆す “オーパーツ” である。
●保存状態がよい:
1万年以上昔の遺跡にしては例外的に保存状態が良い。意図的に埋められていたために未曾有といえるほど損壊を免れている。考古学者にとって夢のような遺跡である。
●名前の由来:
“ギョベクリ・テペ” という名前は、この遺跡が発見された、下の写真に見える丘の名前である。現地語で“太鼓腹の丘”という意味である。実はこの丘の隆起は自然のものではなく、人工的なものであった。
1994年に、この古代遺跡を偶然掘り当てたトルコの農夫
ここにそびえる巨石群は、金属器も土器もまだ知らなかった人々によって、約 1万1千年前に石器によって切りだされ、刻まれたものです。
ギョベクリ・テペの発掘現場の航空写真
ギョベクリ・テペの位置: トルコのシリア国境の近く
ギョベクリ・テペの建設想像図
シュミット教授の説によると、ギョベクリ・テペは石器時代の神殿であり、この説は考古学、歴史学、先史学の専門家にも支持されています。放射性炭素年代測定法によってばかりでなく、比較文化的、様式的分析によっても、ギョベクリ・テペは歴史上最古の宗教的施設であるとされています。クラウス・シュミット教授によれば、この “丘の上の大聖堂” は周囲100マイル(160km)に住んでいた人々の巡礼地として信仰されていたものです。
ライオンとイノシシのレリーフ
この神殿の周辺で当時の現地の動物種、たとえば鹿、ガゼル、ブタ、ガチョウの骨が大量に発掘されていますが、いずれも野生種で、食用に狩猟されたものです。
ギョベクリ・テペは最大級の考古学的発見であり、人類史における重要な転機の理解に根底からの変更をせまるものであるとして、スタンフォード大学のイアン・ホッダー教授は、ギョベクリ・テペは人類史のすべてを変えてしまうと言っています。「ギョベクリ・テペはリンゴを荷車ごとひっくり返してしまう。我々の理論はすべて間違っていたのだ。」
"…It overturns the whole apple cart. All our theories were wrong."
ヨハネスブルグ、ウィットウォータースランド大学考古学部のデビッド・ウィリアムズールイス教授は、「ギョベクリ・テペは世界で最も重要な考古学的遺跡である」 と言います。
記念碑的な巨石群の建造という大事業が、今まで想定されていたような定住型農業社会だけでなく、狩猟採集民の能力内にあったことを示しています。発掘者クラウス・シュミットはそれを、「まず神殿ができ、それから都市ができる」 と言います。
神殿の規模の大きさだけでなく、林立する個々の多数の巨石の存在によってギョベクリ・テペの遺跡はユニークなものとなります。
ニューズウィーク誌はこう評しています。
「シュミット氏の説は単純かつ大胆である。信仰の欲求、それこそが人類を協力させ、歴史上最初の都市型生活へと導いたのであった。この神殿を建設し、管理する必要性こそが彼らに安定した食糧源の確保、つまり穀物栽培や家畜の飼育に駆り立てたのである。そして、自分たちの新しい生活様式を堅持するために定住生活へと移行したのである。つまり、神殿が都市を生んだのである。
Schmidt's thesis is simple and bold: it was the urge to worship that brought mankind together in the very first urban conglomerations. The need to build and maintain this temple, he says, drove the builders to seek stable food sources, like grains and animals that could be domesticated, and then to settle down to guard their new way of life. The temple begot the city.
この新説は人間起源の通説の年表を逆転させる。通説では、原始人は1万年から1万2千年前の新石器革命を経たとされる。こうした旧来の説明モデルでは、羊飼いや農民が最初に出現し、それから陶工や村落民、都市、専業労働、王、文字、技芸、そしてついには飛行機の出現に至る過程の、その途中のどこかで組織化した宗教が発生することになっている。ジャンジャック・ルソーの時代から、思想家たちは社会的集約都市が最初に形成されて、その後、大寺院を擁する“高度な”宗教ができるとしてきた。こうした人類史のパラダイムは米国の高校などでもいまだに教えられている。
This theory reverses a standard chronology of human origins, in which primitive man went through a "Neolithic revolution" 10,000 to 12,000 years ago. In the old model, shepherds and farmers appeared first, and then created pottery, villages, cities, specialized labor, kings, writing, art, and --- somewhere on the way to the airplane --- organized religion. As far back as Jean-Jacques Rousseau, thinkers have argued that the social compact of cities came first, and only then the "high" religions with their great temples, a paradigm still taught in American high schools.
考古学者のシュミット氏が正しければ、宗教というものは都市生活が始まるよりもずっと以前の段階で出現しているように思える。だからこそ、宗教というのは文化の産物や神の啓示によるというよりもむしろ人間の遺伝的形質によるものだと考える人もいる。かつて考古学者ジャック・コーヴァンは「神々の始まりが農耕の始まりである」と喝破したが、ギョベクリ・テぺの遺跡はその実例となるかもしれない。」
Religion now appears so early in civilized life --- earlier than civilized life, if Schmidt is correct --- that some think it may be less a product of culture than a cause of it, less a revelation than a genetic inheritance. The archeologist Jacques Cauvin once posited that "the beginning of the gods was the beginning of agriculture," and Göbekli may prove his case.
ギョベクリ・テペのトーテム
http://twitter.com/GobekliTepe http://GobekliTepe.info.tr/
現時点では、ギョベクリ・テペは考古学や先史学に対して与える回答よりももっと多くの問いを投げかけます。定住生活以前の社会という条件下にあって、どのようにしてこれだけ複雑な構築物を築いて管理するほどの動員力を持ち得たのかまだ解明されていません。
研究者たちはギョベクリ・テペの巨石群のレリーフの絵柄を“解読”できていません。それらの動物のレリーフが何のために彫られたのか確かなことはわかりません。ライオン、イノシシ、鳥、昆虫といった多種多様な動物種がいったい何のために描かれたのかについて、決定的な説明があるわけではありません。
遺跡には居住生活の痕跡がほとんどありませんし、描かれている動物は主に捕食動物であることから、これらの巨石群は何らかの魔除けの意味があったのかもしれません。また、これらはトーテムとして機能していた可能性もあります。
これらの巨石群に囲まれた大きな円形もしくは楕円形の部屋はどれも直径30メートル弱のものです。
これらの円形の“部屋”は数十年ごとに埋められて、その上にひと回り小さな新しい“部屋”が同心円的に造られていますが、わざわざ埋めた意味も解明されていません。それらの“部屋”の中心にT字型の巨石が建てられています。そして、それぞれの巨石には動物や抽象的なシンボルが彫り込まれており、今から一万2千年前の人間社会の文化的記憶と象徴的世界を表しています。
この神殿に人間の埋葬があったかどうかは不明です。この遺跡群が周到に埋め戻されていることの理由も不明です。しかし、意図的に埋め戻されていたために、ギョベクリ・テペの遺跡群は保存状態が非常に良好です。地表に露出したままだったら、一万年ももたなかったかもしれません。この遺跡の背景となる文化、そしてこの遺跡じたいの意味について何らか確実なことを結論付けるためには、まだまだ証拠を積み上げる必要があると言えるでしょう。
巨石に施された彫刻はどれも一万二千年前の私たちの祖先の石材加工における素晴らしさ、その卓越した技術を証明するものです。
T 字形の石柱は腕を広げた人間の姿を様式化したものと考えられています。
石柱の多くは写実的なスタイルの立体的レリーフとして刻まれています。
将来的な計画として、博物館の建設、遺跡周辺の考古学的公園化が考えられていますが、いずれもギョベクリ・テペ古代遺跡が発見されたときの状態をできるだけそのまま保存する目的に沿ったものです。
2010 年、世界遺産基金 (GHF) はギョベクリ・テペ遺跡を保存するための長期的保全プログラムに着手することを発表しました。後援者には、クラウス ・ シュミット教授とドイツ考古学研究所、ドイツ研究振興財団、Şanlıurfa 自治体、トルコ観光文化省大臣が含まれます。
歴史上知られているうちでの最古の等身大の人間像
ギョベクリ ・ テペについての一つの説は、こうした立像を設置して、そばの小さな穴々に火を灯したのではないかというものです。
Sources:
https://docs.google.com/file/d/0B8yAiUCdzj53U2w5aEJaZXVFcVU/edit
https://www.facebook.com/gobeklitepe