Snapeの英語指南

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ビヨンセの口パク疑惑   オバマ大統領2期目就任式典

2013-01-23 18:19:16 | Snapeニュース配信

Did or didn't she? Beyonce questioned on lip sync

 

 AP通信などによると就任式で演奏した海兵隊の音楽隊の報道官は22日、ビヨンセさんの歌が口パクだったといったん明かしたが、その後、海兵隊がその発言を撤回。歌声がライブだったか口パクだったかは「知る立場にない」と修正した。同様に就任式で歌を披露した別の人気歌手、ケリー・クラークソンさんの場合は、代理人が、クラークソンさんは実際に歌ったことを明らかにした。

 4年前のオバマ大統領の最初の就任式では、チェロのヨーヨー・マ氏ら世界的音楽家4人が氷点下の寒さで楽器の音程が狂う可能性が高いと判断。実際に演奏はしたものの、会場には事前に録音した音楽をスピーカーで流していた。(共同)

On Tuesday, a spokeswoman for the U.S. Marine Band told news outlets that Beyonce had lip synced at President Barack Obama's inauguration. Master Sgt. Kristin duBois said the band was notified at the last minute that Beyonce would use a pre-recorded voice track.

But by late afternoon, the Marine Corps backed off that statement.

Marine Corps spokesman Capt. Gregory Wolf said that because there was no opportunity for Beyonce to rehearse with the Marine Band, it was determined that a live performance by the band was ill advised. Instead they used a pre-recorded track for the band's portion of the song.

ビヨンセは海兵隊のバンドと一切リハーサルをしていない。ぶっつけライブはやめたほうがよいと判断された。

"Regarding Ms. Knowles-Carter's vocal performance," Wolf's statement continued, "no one in the Marine Band is in a position to assess whether it was live or pre-recorded."

A representative for Beyonce did not respond to requests for comment.

DuBois declined to answer further questions. Earlier in the day, she told The New York Times that the rest of the inaugural performance was live and they did not know why a recorded track was used for the national anthem.

他の歌手たちの歌はライブだった。なぜアメリカ国歌だけが口パクだったのかわからない。

"It's not because Beyonce can't sing. We all know Beyonce can sing. We all know the Marine Band can play," she said.

Kelly Clarkson's representative said she sang live to perform "My Country, `Tis of Thee."

Inaugural organizers did not respond to requests for comment.

就任式典主催者側はノーコメント

All inaugural music is pre-recorded in case weather conditions or other circumstances could interrupt the program.

The use of a recording is typical in big events. In 2009, cellist Yo-Yo Ma was questioned about "hand-syncing" for Obama's first inauguration. Ma said instruments weren't functioning properly in 19-degree weather.

Even in good conditions, producing good sound can be a challenge in a large open space.

Some artists choose to lip-sync. Whitney Houston's memorable performance of the national anthem in 1991 at the Super Bowl was sung to a track.

 

 <続報>

このニュースの数日後、ビヨンセはインタビューで、口パクであったことを率直に認めた。そして、その場で「星条旗を永遠なれ」を見事に歌ってのけた。


”some people” は ”数人の人々”か? (1)

2013-01-08 12:11:19 | なるほど英文法 

数人、数日、数個、数回 ・・・・・・・・

「数_」という日本語表現について、文化庁発行の「ことばシリーズ33 言葉に関する問答集16」
(平成二年)が採り上げている。

1.当時発行されていた「国語辞典」13点の調査結果として、

2,3」または「4,5」としたもの・・・1点
2,3」または「5,6」としたもの・・・3点
3,4」または「5,6」としたもの・・・7点
4,5」としたもの・・・・・・・・・・・・・・・1点
5,6」としたもの・・・・・・・・・・・・・・・1点

※ これらのうち2点は「10に満たない」という表現を伴う。

以上を整理して以下のような指摘がある。
「13点の辞書のすべてが「5」を含んでおり、11点は「5,6」を含んでいるので、そこら辺が
基本線といえるだろう。総合すると、”主として3~6を表すが、場合によって2も含む」となるであろう」

もっとわかりやすく言うと、日本語で「数人」というのは、「4,5人」か「5,6人」である。「5人前後」という言い方もある。もっとゆるやかに捉えると、「3~6人」ということである。今日の感覚とそれほど違わないように思う。

また、「数人の」とほぼ同義に使われる「何人かの」もほぼこれに沿ったものだろう。

数人=何人か=3~6人、   数日=何日か=3~6日、    数個=何個か=3~6個 ・・・・・・・

日本語の「数_ 」についての以上のまとめに大きな異論はないだろう。日本語としてはいい。

しかし英語の some  はどうか?

"some people" = 「数人の人々」(3~6人 )  が常に成立するのだろうか?

答えは"No!" である。常に成立するわけではないのだ

英語の "some" は実は日本語の「数_ 」よりもはるかにあいまいである。ちなみにこの記事では混乱、錯綜を避けるために、可算名詞(数えられる名詞)につく"some" に話を限定させていただく。日本語の「数人、数個」は状況や文脈に依存せずに3~6 の数量を意味する。絶対参照的にこうなのである。しかし、英語の"some" で意味される実際の数量は、つねに状況・文脈に依存しているためにあいまいである。むしろ、あいまいに表現したいからこそ "some" を使うとも言える。「日本語は英語にくらべて”あいまい”だ」という一般的な通念があるが、ここでは一見逆転しているようにみえる。

しかし、"some" には”あいまい”とは言っても、ちゃんとした使い方がある。あいまいというより、正しくは不特定というべきだろう。厳密に言えば、数えられる名詞につく場合は当然不特定の複数を意味する。不特定といっても、数量を特定したくない場合、特定できない場合、そして最も多いのが、数量を特定する必要がない場合に使うのである。実際の数量、数値に重要性がない場合に使うのであって、たしかにいちいち数量を言っていたらたいへんだろう。その意味では理にかなった便利な語である。

表面的なわかりやすい理解として、「a few は一桁の前半、 some は一桁の真ん中ぐらい、several は一桁の後半の数を指し、一般的な訳語は、a few 「少数の、二三個の」、some 「いくつかの、数個の」、several 「いくつかの、複数の」」 という説があるが、これには落とし穴がある。 たとえば、以下の例である。

 1) Some people were rescued in the sinking of the Titanic. 

2) There were some people lying on the grass in the Hyde Park.

 

タイタニック号の沈没の際に一部の人々は救助された。

ハイドパークの芝生には寝転がっている人々もいた。

 

上の二つの文では、「数人の人々」では笑うべき誤りになろう。日本語の「数人」では「5人前後」ということになるだろうが、タイタニック号の沈没事故での生存者は713人であって、全乗員2,229人の34%である。また、ロンドンのハイドパークを知っている者ならば決して「数人」とは訳さないだろう。じっさい芝生に寝転がっている人々は公園内至る所にゴロゴロいるのだ。もちろん以下のような例もある。

 3) Some people at my workplace often go to the restaurant.  

4) He knows some people who can play the piano.  

 

うちの職場の一部のひとたちはよくそのレストランに行く。

彼はピアノを弾ける人を複数知っている。

 

さて、この二つの例文では「数人」という訳でも成立しそうである。しかし、日本語の「数人」は上に見てきたように、だいたい3~6人である。はたして上の二つの文でこの範囲に収まるという保証はあるだろうか。たしかに4)のピアノの例ではひとケタ台である公算が大である。しかし3)のような文では、大きな職場ではそこの従業員の一部であっても十数人、数十人ということはいくらでも考えられるだろう。”一部”もしくは”複数”という訳のほうが「数人」よりも無難、つまり論理的に正確に思えるのだがどうであろうか。もちろん複数とは数学的には2以上のすべての数だ。50 も500億も複数だ。しかし、言葉は数学ではない。そこで文脈・状況的な判断が入ることになる。つまり、実際の数量の印象は文脈依存的、状況比例的、もしくは母集団比例的にある程度絞り込まれる。

3)のsome people職場の全従業員という母集団を前提とした部分集合である。日本語の文脈・状況にまったく依存しない「数人」(3~6人)とは違い、ここでの some people は母集団との関係で部分集合として常識的にある範囲の数量が意味されてくる。状況比例的に絞られてくるのだ。 それでは、4)はどうか?ここでも母集団と部分集合との関係で考えることができる。つまり、彼の知人全体が母集団である。そのうちピアノを弾ける者が部分集合であると考える。以下の5)の文でも同様に、私の蔵書全体が母集団であって、フランス語で書かれている本は部分集合ということだ。

5) I have some books written in French.  

フランス語で書かれた本を複数持っている。

 

もっと短く言うと”部分集合のsome”である。部分集合というのは厳密なように聞こえるかもしれないが、集合の大きさには段階があって、決して絞り込めないので、非常にあいまいというか、不特定である。1,000冊のうち10冊も部分集合、500冊も部分集合である。母集団の全てでなく、1つでもなく複数の要素の集合というのが、ここでいう部分集合の意味である。

しかし、以下の場合は、また話が別である。

6) Some people believe in religion.  

7) In order to lose weight some people skip meals.  

 

宗教を信じる人々もいる

痩せるために食事を抜く人もいる

 

この2つの例は”一般論のsome" とわたしが呼びたいものであって、「数人の人々」というほほえましい訳からは程遠いものである。6)ではその数は地球上で40億人を軽く超えるだろう。7)であってもおそらく世界に数十万人はいるのではないか。4)のように”一部”を使って、「一部の人々は宗教を信じる」 と言っても同じであろう。ただ、私がここで特に”一般論の”と呼ぶのは、世間一般、世の中一般、人間一般という、常識的に考えて最も上限というか最大の母集団が想定されているからである。

これに対して4)はどこかの職場の全職員という非常に限定された集団が母集団である。そして、さかのぼって、1)ではタイタニック号の乗員全員が母集団であり、2)ではハイドパークに憩う人々全員が母集団なのである。さらに、個人レベルの4)、5)についてもそれぞれ限定された母集団が暗に前提されている。”部分集合some” と呼ぶのであるが、より正確には”部分集合としての some” となろう。

しかし、わたしが言う、”一般論のsome" は、部分集合のように限定されていない、無限定の集団についての話である。特定の限定された集団、グループについてではなく、社会一般、人間一般なので ”一般論に使うsome"と呼ぶほうが正確かもしれない。さらに厳密には、”一般論に使う、部分集合としての some”  である。


”some people” は ”数人の人々”か? (2)

2013-01-04 19:16:23 | 英語の読み方

英語の some という語は実に奥が深く、前回の考察だけでは捉えきれていないというのが本当のところだ。

早い話が、次のような単純な文はどう見る?”部分集合としての some ” ではどう説明するのか?

a) I have some Blu Ray Discs.   ブルーレイディスクを何枚か持っている。

たしかに、いろいろな "disc" のうちの Blu Ray Discs という部分集合であるという捉え方は無理がある。実際、今日ではDVDは持っていなくてもBlu Ray Disc は持っているというひとがいてもおかしくない。

この文と、すでに見た以下の文とを比べてみよう。

b) I have some books written in French.  フランス語で書かれた本を複数持っている。

 

上記の二つの文は非常に似ているが、よく見ると違う。b)では母集団を books, 部分集合を books wriiten in French" と理解できる。しかし、a)ではこれと同じように集合的な階層を想定するのには無理がある。単独の文としては無理である。

なぜ無理なのか。文法的な限定句がない、もしくは文脈的・状況的な限定がないからである。実際には some を含むほとんどの文では何らかの限定があるのがふつうである。単独の文としては限定句がなくても、その前の文やあとの文で何らかの状況が与えられているのである。たとえば、以下のような例である。

 

The railway accident happened in the station. The express train crashed into the train which was waiting to start in the station. The station turned into Pandemonium(地獄絵). It was the worst accident in the last 60 years in the city. Some people were killed instantly.

 

最後の Some people were killed instantly.  はやはり文脈からして「一部の人々」と訳すべきであって、「数人の人々」ではまずいであろう。文脈的、状況的、母集団的に考えて、”数人=5人前後”というわけにはいかないだろう。つまり、some を含む文であって、文の内外から何らかの限定のないケースはむしろ例外であり、たいていは限定がある。以下の例を見ていただきたい。

 

c) Some countries have no nuclear power plants.

d) There are some countries where women have no right to vote.

 

c) 一部の国々には核発電所がない。

d) 女性に選挙権がない国もある。 

 まず、世界の国の総数は現在200弱である。これがc)、d)共通の上限であって自明なことである。ちなみに核発電所を持たない国のほうが世界では多数派である。次にd)であるが、女性に選挙権が無い国のほうが少数派である。

さて、ここまで "some people" が「数人」や「何人かの人々」 という理解ではとらえられない場合があることをみてきた。しかし、このステレオタイプの”一つ覚え”の「数人の人々」がこれほどまでに根を張っているのはなぜだろうか。これはおそらく中学で最初に習う時に刷り込まれたままで来ているひとが多いせいであろう。子どもの世界は家庭と教室であって、人数も母集団比例的にみても"some"といえばたしかに「数人」である場合が多いのだ。また英語の授業の例文でも、some students, some classmates, some books,  some CDs,  some pencils, some apples ・・・ というような材料が使われているので実際に、"some"=「3~6」にあてはまる場合が多いのである。高校くらいになるとsome cities in Europe, some people in Japan というふうに世界が広がってきてそれにつれて母集団比例的な理解が必要になってくるのだが、教師の側も気づかずに生徒が「日本の何人かの人々は・・・」と訳してもマルにしているのである。

結論: "some"は状況依存的、母集団比例的に理解せよ。