Snapeの英語指南

英語長文対策、英語速読法、英語学習法、高校生、中学生、社会人の英語学習に役立つヒントを紹介。

自爆テロは、ほとんどCIAとモサドの工作

2012-06-16 17:52:43 | Snapeニュース配信


自爆テロというと、イラクのバグダッドあたりで連日のようにやっていたものだが、今度は舞台がシリアに移ってきた。実はいわゆる”自爆テロ”というもののほとんどはCIAとモサドによる政治的破壊工作であることが5月にトルコの新聞「アイディンリク」によって暴露された。

「CIAとモサドは、イラク、パキスタン、リビヤなどいくつかの国でこの自爆攻撃を行ってきた」と、アイディンリク紙は月曜日の記事で報じていた。

 このレポートは、イラク占領時にCIAとモサドの工作員がモスクを爆弾攻撃することでシーア派とスンニー派の間の軋轢を増幅させてきたことを示している。

 「これらの工作員は、シーア派とスンニー派のモスクを標的にすることで自分たちの目的を達成してきた。全ての爆弾攻撃は自爆攻撃と宣言され、自爆犯は死亡したと発表されてきたが、事実はそうではない」とアイディンリク紙は報じている。

 この新聞はCIAとモサドは同じ方法をコフィ・アナン特使の国連のシリアに向けた計画を挫折させる目的でシリアでも使用している、と指摘している。

ダマスカスでの高性能爆弾による爆弾テロ

 

 「政治アナリストによれば、この手の自爆攻撃はこれからシリア内で増えるであろうが、疑いなくモサドとアメリカの情報機関が黒幕である」と、このトルコの記事は記している。

 けっきょくこういうことである。アメリカとイスラエルは、自爆テロを日常茶飯事に起こして、アフガニスタンやイラクといったアラブ諸国を荒廃させ、治安が悪化しているように見せて、アメリカ軍の駐留・支配の正当化に利用してきた。彼らにとってのメリットはまだある。スンニ派とシーア派との宗派間対立に見せかけた自爆テロを繰り返してはイスラム教のモスクを破壊し、イスラム教徒を大量に殺戮し、真に受けたイスラム教徒を今度は互いに殺し合わせてきたのである。ユダヤ教徒のイスラエル人は陰で高笑いをしていたわけである。「自爆テロ」とメディアに報道させているが、実際は自爆ではなく、遠隔操作爆弾であって、何度でも”自爆”できるのである。CIAとモサドは、何も知らないアラブ人を好きなように殺戮し、それをあろうことかアラブ人自身の仕業であるようにメディアを操作して巧みに演出しているのである。

そして今度は、シリアで同じ手を使っているのである。自爆テロでなくともいいのだ。無差別テロで繰り返し市民を殺戮できればいいのだ。仕掛けた高性能爆弾を遠隔的に爆発させるだけだ。離れたビルの窓から見ながらボタンを押しているのだろう。携帯電話を使う場合もある。非常に簡単な方法だ。そして偽の犯行声明や偽の目撃証言で好きなような記事に仕立て上げることができる。シリアの一般市民を無差別に殺し、治安が悪いのはアサド政権が悪い、責任はアサド政権にあるとして退陣を迫ったり、「シリア市民を守るため」と称して軍事介入するためである。首都ダマスカス以外にも広がることが懸念される。

Turkish Daily: CIA and Mossad behind Syria Bombings

The Turkish daily Aydinlik said that suicide bombings represent a way of incitement carried out by the CIA and Mossad agents in Iraq, and are applied now in Syria, Lebanese daily Al-Benaa reported.

“CIA and Mossad agents have carried out – and still – various attacks in several countries including Iraq, Pakistan and Libya,” Aydinlik stated in a report published Monday.

The report made it clear that the agents have bombed mosques during the occupation of Iraq in order to incite Shiites against Sunnis and vice versa.

“Those agents have achieved their goal where most of their operations were targeting Shiite and Sunnite mosques. All bombings were declared suicide attacks, while the suicide bombers were announced killed, but the fact is contrary to what was claimed,” the daily added.

The newspaper pointed out that CIA and Mossad are adopting the same method now in Syria in order to thwart the plan of UN envoy to the country, Kofi Annan.

“Political analysts stress the suicide attacks level will increase in coming days in Syria, where the Mossad and the U.S. intelligence officials will be undoubtedly responsible,” the Turkish report stated.

“However, suicide bombs will be the most dangerous tools for incitement and chaos in Syria, but, unfortunately, the Turkish borders will be the rear front of those operations for they will host Mossad and CIA perpetrators, or in other words, possible to say, that Turkey is a partner of these planned operations against the administration of President Bashar al-Assad,” according to Aydinlik daily.

 


英語は通じればいいか?

2012-06-05 15:11:07 | 勉強法、学習法

外国人に次のように訊かれたとしよう。

Where do you come from?

君は、以下のどの答え方で答えるか。

  1)  Yokohama.

  2)  From Yokohama.

  3)  I'm from Yokohama.

  4)  I come from Yokohama. How about you?

 

まず、上記の6つの文の情報量はどれもほとんど同じである。違うのは、文のスタイルと長さである。実際、1) がいちばん多く使われ(おそらく80%以上)、次に 2) (10%程度)、 3)(5%程度)、 ときて、4) がいちばん少ないだろう(おそらく2%以下)。

いちばん簡単な文が選ばれるのは、それがいちばん頭を使わないからで、同じ情報を伝えるために必要とされるコスト(思考、発声)が最少だからであろう。

この最少限主義”ミニマリズム”の立場は、「通じればいい」という”サバイバリズム”の立場と表裏一体である。この2つの立場は、相互に支えあいながら外国語学習における1つの方法論、アプローチとなって、外国語学習者につかの間の”安らぎ”と”自信”を与えている。

たしかに、Where do you come from? と訊かれて、何も言わないで黙っているよりは、Yokohama. とでも答えたほうがずっといい。ベター・ザン・ナッシングである。しかしである。英語を何年も勉強しているはずの中高生や大学生、社会人が、Yokohama.  くらいしか出てこないようでは、情けなくはないか。

コミュニケーションというものは、単に言語情報のやりとりだけではない。言語情報だけであれば、Yokohama.だけで確かに十分かもしれない。しかし、どんな対人コミュニケーションでも、言語情報以外の情報、つまり、話し手自身についての情報も同時に送っているのである。

はっきり言って、上記の1) の答え方で終わる人物は、それなりにしか見てもらえない。その程度の知的レベル、その程度の教育、 その程度のマナーの人物と見られる。もっとも、相手もその程度かもしれないが。一方、4) の答え方をする人物は、それなりに一目置かれることになる。この話し手自身についての情報の多くは、そのひとの言語スタイルから得られるのであり、同じ言語情報を伝えるのに、どういう表現の仕方をするかが重要なのである。

学校の英語の授業でも、教師が生徒たちに英語で質問して、答えるときには、「単語で答えるのではなくて、主語、動詞のある文のかたちで答えるように」と指示することがある。すると、生徒たちは「面倒くさいな、わかればいいじゃないか」と、ぶつぶつ文句を言うのである。以下の質問文を見てほしい。きみは1,2,3 のどれで答えるか。

● When do you study English?

1  After dinner.

2  I study English after dinner.

3  I usually study English after dinner.

 

● Which do you like better, tea or coffee?

1  Coffee.

2  I like coffee better.

3  I like coffee better.  How about you?

 

● Do you think it will rain tomorrow?

1   No.

2   No, I don't.

3  I hope it won't.

 

いつも1 のレベルで答えている人間の知的レベル、人間性のレベルと、3 のレベルとを比べてもらいたい。3 が無理でも、せめて2 のレベルであってほしいものだ。

文のかたちで、フルセンテンスで答えられるひとは、当然、省略した答え方もできるのである。しかし、省略した答え方でいつも済ましているひとは、もはや文が作れなくなる。作れなくなるから、ますます”最小限主義”に安住することになる。そして「通じればいいんだ」とうそぶくことになる。

問題は、文が作れないこと自体にあるのではない。問題はむしろ、きちんとした文のかたちでなくても、何とか通じてしまうことにある。そうして、レベルの低い英語に低迷したままで終わり、上達・洗練へと向かわなくなってしまうことが問題なのである。

母国語の日本語でもそうである。言葉は単なる生存(サバイバル)のための手段であるだけではない。生きるか死ぬかという状況のときはたしかにそれでけっこうである。そうでないときは、きちんと丁寧な言葉を使う、というだけのことだ。言葉はそのひとの品格、知性、価値観の表現でもある。「文は人なり」である。「通じればいい」と開き直っている者に進歩はない。そして心の豊かさも期待できない。