時、条件を表す副詞節では、まだ起きていないことでも未来形にせず、現在形にするという決まりがある。受験英語では、もうおなじみの定番問題である。 I walk. He walks.(現在形) I walked. He walked.(過去形) I will walk. He will walk.(未来形?) 1) If you have no money, I will lend you some. 6) Let's start at once when Mary returns. - メアリーが戻ったら、すぐに出発しよう。 条件文の帰結節(B)に will などの助動詞が不可欠ということはなく、will が使われているのは、たまたまである。実際、上記の 1) If you have no money, I will lend you some.のかわりに ”・・・ I can lend you some.“ にしてもいいような場合もある。このように変えても、未来形が現在形になったと大騒ぎしてはいけない。 will が can に変わっても、どちらも助動詞の現在形ではないか。そろそろ”will=未来形” の呪縛から解かれてほしいものだ。 さて、ここまで来たら、次の質問が出てきてもいいだろう。「will が現在形ならば、条件文の条件節(A)、つまり、いわゆる”時や条件の副詞節”に使ったっていいことになりませんか?」そろそろ質問のレベルが最高度に達してきたようだ。 さて、will はすでに見たように、未来形ではないにしても、その助動詞としての意味は、”予想”や”意志”であって、その意味は現実性に欠けるきらいがある。”Aであるならば、Bである”という条件文で、Bが成立するためにはそれに先だつ前提として、まずAという条件が成立する必要がある。 ところが、”Aであるならば・・・”と言わなくてはいけないのに、”Aだろう(will)ならば・・・”とか”Aするつもり(will)ならば・・・”では、条件として成立しないのだ。「明日雨がふるだろう(will)ならば、ハイキングには行きません。」とは言わないし、言えないだろう。このように、”予想”や”意志”の助動詞では条件節を作れないのである。したがって、帰結節(B)を引きだす土台、足がかりとしては現実性に欠けるふわふわしたwill という助動詞は避けられるのである。同様の理由で may も避けられると考えていいだろう。 ここまで、質問も、二転三転しながら、レベルを上げてきた。整理してみよう。 問1: ”Aであるならば、Bである”の”A”はなぜ現在形なのか? 答1: 実は、”A”も”B”もどちらも現在形である。( will は現在形) 問2: それでは、そもそもなぜ”A”も”B”も現在形なのか? 答2: 条件文は本来、現在形がふつうである。一般的真理と同類。 問3: will が現在形なら、むしろ条件文の”A”に使えるのではないか? 答3: will は、”予想/意志”の助動詞なので、帰結を引きだす条件として成立するには現実性に欠けるために使えない。
1) I will call you when she comes here.
2) The game will be postponed if it rains tomorrow.
3) If it is fine next Sunday, we will go on a picnic.
4) When my father returns, I'll ask him about it.
しかし、生徒によく質問を受ける。「まだ起きていないことなのに、なぜ現在形にするんですか?」と。実に率直な、いい質問ではないか。この質問に答えるためには、私の英語の時制論に付き合ってもらわなければならない。時制論といっても、大したものではない。「英語の時制には現在形と過去形の2つしかなく、未来形というものはそもそも存在しない。」というものだ。「えっ、それじゃ、 willは何なんですかあ?」 はい、はい。それでは、逆におたずねしよう。「歩く」の現在形と過去形と未来形を言ってくれ。
こんな感じで答えるだろう。さて、改めてよく見れば、英語の動詞には、ちゃんと現在形と過去形があるが、活用としての未来形というものがないことがわかる。動詞には自前の未来形が無いので、よそから助動詞を持ってきてくっつけて、それを未来形だと称しているだけである。この助動詞は、ふつう「未来の助動詞」と呼ばれているが、実はそれは大ウソである。will は実は、”予想”の助動詞である。そして、”意志”の助動詞でもある。「そんな、1つの助動詞で2つの意味があるなんて変だぞ!」と思う人は can、 may、 must を考えてみたまえ。
c a n : 能力(He can swim fast.)、 可能(Can the rumor be true?)
m a y : 許可(You may go home.)、 推量(She may know my name.)
m u s t: 義務(I must study hard.)、 推定(He must be a CIA agent.)
w i l l: 意志(I will buy an iPad.)、 予想(It will rain tomorrow.)
I will buy an iPad. 「iPad を買うつもりです。」 現在の意志 (未来ではない)
It will rain tomorrow. 「明日は雨が降るだろう。」 現在の予想 (未来ではない)
このように、will を、”意志/予想の助動詞”と考えると、未来時制という実体のないものをでっち上げる必要がなくなるのだ。そもそも”未来”というものがどこに存在しているというのだ。はっきり言って、いわゆる未来と呼ばれているものは、われわれの”意志”と”予想”の中にしか存在していないではないか。いわゆる”未来時制”なるものは、虚構である。虚構にも役に立つ虚構というものもあるが、未来時制という虚構は、役に立たない、むしろ不要な混乱を招く有害な虚構である。ここまでが、私の”未来時制不要論”であって、これを踏まえて、最初の論点にもどる。
4) When my father returns , I will ask him about it.
「まだ起きていないことなのに、なぜ現在形にするんですか?」
この文の中に、現在形と未来形があると思うから、疑問が出てくるのだ。「どうして両方とも未来形じゃないんだろう。」と。さっきの”未来時制不要論”を踏まえて、よおく見直してもらいたい。ここには、現在形と現在形があるだけである。この文の後半のI will ask him about it. は、「彼に訊くつもりです。」であって、will は意志の助動詞の現在形である。繰り返すが、英語には、現在時制と区別されるような未来時制は、そもそも存在しないのだ。どうだろうか、とりあえずここまでは理解できたであろうか。はい、わかっているぞ、次の質問はこうだろう。「それじゃ、未来のことなのに、どうして逆に全部現在形なんですか?」 そうそう、そうこなくっちゃ。はい、答えはこうだ。ついて来たまえ。
さて、if を使った“条件文”というものがある。仮定法の文との違いで、ときどき引き合いに出されることがあるが、以下のようなものである。通常、これは現在形で表現される。現在形にもいろいろあるが、その中の1つが ”意志/予想の助動詞”の will である。動詞部分に注意して、よく見たまえ。
- もしもお金が無いのなら、貸してあげます。
2) If she can get up at five, she can catch the first train.
- 彼女は、5時に起きられるなら、始発に乗れます。
3) If you are going to buy a car, I recommend a small one.
- もし車を買うつもりなら、小型車をお勧めします。
4) If he gets lost, he may call you immediately.
- もし迷子になったら、すぐに電話してくるかもしれませんよ。
5) I give you a thousand yen if you have solved the puzzle.
- そのパズルを解いたら、千円あげるよ。
そして、when などの“時の接続詞” を使った“準”条件文ともいうべき、以下のような文がある。"when" だけではない点に注意されたい。
1) Please turn it on when the temperature drops below 18℃。
- 温度が18℃以下に下がったら、その電源を入れて下さい。
2) When the taxi comes, I will call you soon.
- タクシーが来ましたら、すぐにお呼びしましょう。
3) We have to clean this room before the guests arrive.
- 客が来る前に、この部屋を掃除しなければならない。
4) You had better ask him questions while he is working with us.
- 彼がわれわれと仕事をしているうちに、彼に質問したほうがいいよ。
5) I will repair his motorbike by the time he comes to retrieve it.
- 彼が引き取りに来るまでに彼のバイクを修理します。
さて、条件文と、時の接続詞を使った“準”条件文を見てもらったが、あることに気がつかなかっただろうか。これらの文で使われている“現在形”は、実際の現在の時間をあらわしているのではないのだ。この現在形は、むしろ一般的真理をあらわす場合の現在形に近い意味がある。条件文は、“Aならば、Bである“というかたちをとり、規則的・法則的な性格があるために、不変の真理の場合と同じ意味で現在形が使われると考えられる。そして、帰結節(”、Bである”)に will が出てくるのは、現在形と区別しての未来形ではなく、単に予想や意志の意味でたまたま使われている助動詞に過ぎない。他の助動詞の can 、should、 had better などと同列である。will という助動詞を特別視するのが間違っている。
最新の画像[もっと見る]
- 愛子様:卒業式 と 入学式 の写真比較 やはり別人!もうごまかせない! 8年前
- 愛子様:卒業式 と 入学式 の写真比較 やはり別人!もうごまかせない! 8年前
- 愛子様:卒業式 と 入学式 の写真比較 やはり別人!もうごまかせない! 8年前
- 愛子様:卒業式 と 入学式 の写真比較 やはり別人!もうごまかせない! 8年前
- 愛子様:卒業式 と 入学式 の写真比較 やはり別人!もうごまかせない! 8年前
- 愛子様:卒業式 と 入学式 の写真比較 やはり別人!もうごまかせない! 8年前
- 愛子様:卒業式 と 入学式 の写真比較 やはり別人!もうごまかせない! 8年前
- 愛子様:卒業式 と 入学式 の写真比較 やはり別人!もうごまかせない! 8年前
- 愛子様:卒業式 と 入学式 の写真比較 やはり別人!もうごまかせない! 8年前
- 映画評 「クリミナル 2人の記憶を持つ男」 “ジェリコ” は 「コンサルタント」 だ!(ネタバレ満載) 8年前
とてもわかりやすい説明で、
疑問が解消されて頭の中がすっきりしました
ありがとうございました。
途中まで自分で考えたことと同じだったのですが、
if節のほうが現実性が低い(フワフワ感、五分五分感)があって、
willのほうが現実性が強い(強い推量、強い意志)から使わないのかと思ってました。
mayはすでにifにフワフワ感の意味が入っているので使わないのかと・・・。
"時条件を表す副詞節は未来形にならない"という中学の頃から暗記を強制されてきた呪文の真意が理解できました。本当にありがとうございます。
いろんなことがやっと理解できました!
ありがとうございます!!!!
そして質問があります!
学校の教科書に未来進行形の所で
【すでに“確定”している未来の予定】
「~することになっている」
I will be meeting him on Wednesday afternoon.
という例文がありました。
willは予想と意志の助動詞であるということであって未来形ではないということで私は納得できたので、その考え方でこの文を理解したいです!
どこから“確定”がでてきたと思いますか?
それか他にいい考え方があったら教えてください!!!
まず、教科書の文法用語にいつまでも惑わされていてはいけない。
I will be meeting him on Wednesday afternoon.
提示されている例文中の “will ” は予想・予定の “will ” であることは明白である。“未来”という観念は捨て去っていただきたい。
さて、進行形になっているためにただの予想・予定とは違う意味合いが出ているのは確かである。しかし、進行形にすることによって予定が “確定” するわけではない。 進行形にすることによって加わる意味は、その動作が進行中、つまり、ありありと現前に行われているような描写である。
要するに、進行形は予定の意味を強く押し出していると言える。 “強化” していると言える。“強化”ということは程度の差にすぎない。単に予定の意味を強めているにすぎない。つまり、わたしに言わせれば、“強い予定” “強い予想” である。
これを 「確定」 と呼ぶのは、しょせん流動的な “予想・予定” が、進行形にすることによって、「あら不思議、完全に固まった!」 と言うようなもので、子供だましである。
条件節で主語の強い意思を敢えて表現したい時には will を使いますね。
この場合 話し手の will (予測) では無く主語の will (意思) なので使っても不具合にはならないのですね。
使えないのではなく使わないのが自然だから、不自然でなければ自由に使ってイイんですね。