Snapeの英語指南

英語長文対策、英語速読法、英語学習法、高校生、中学生、社会人の英語学習に役立つヒントを紹介。

英語は通じればいいか?

2012-06-05 15:11:07 | 勉強法、学習法

外国人に次のように訊かれたとしよう。

Where do you come from?

君は、以下のどの答え方で答えるか。

  1)  Yokohama.

  2)  From Yokohama.

  3)  I'm from Yokohama.

  4)  I come from Yokohama. How about you?

 

まず、上記の6つの文の情報量はどれもほとんど同じである。違うのは、文のスタイルと長さである。実際、1) がいちばん多く使われ(おそらく80%以上)、次に 2) (10%程度)、 3)(5%程度)、 ときて、4) がいちばん少ないだろう(おそらく2%以下)。

いちばん簡単な文が選ばれるのは、それがいちばん頭を使わないからで、同じ情報を伝えるために必要とされるコスト(思考、発声)が最少だからであろう。

この最少限主義”ミニマリズム”の立場は、「通じればいい」という”サバイバリズム”の立場と表裏一体である。この2つの立場は、相互に支えあいながら外国語学習における1つの方法論、アプローチとなって、外国語学習者につかの間の”安らぎ”と”自信”を与えている。

たしかに、Where do you come from? と訊かれて、何も言わないで黙っているよりは、Yokohama. とでも答えたほうがずっといい。ベター・ザン・ナッシングである。しかしである。英語を何年も勉強しているはずの中高生や大学生、社会人が、Yokohama.  くらいしか出てこないようでは、情けなくはないか。

コミュニケーションというものは、単に言語情報のやりとりだけではない。言語情報だけであれば、Yokohama.だけで確かに十分かもしれない。しかし、どんな対人コミュニケーションでも、言語情報以外の情報、つまり、話し手自身についての情報も同時に送っているのである。

はっきり言って、上記の1) の答え方で終わる人物は、それなりにしか見てもらえない。その程度の知的レベル、その程度の教育、 その程度のマナーの人物と見られる。もっとも、相手もその程度かもしれないが。一方、4) の答え方をする人物は、それなりに一目置かれることになる。この話し手自身についての情報の多くは、そのひとの言語スタイルから得られるのであり、同じ言語情報を伝えるのに、どういう表現の仕方をするかが重要なのである。

学校の英語の授業でも、教師が生徒たちに英語で質問して、答えるときには、「単語で答えるのではなくて、主語、動詞のある文のかたちで答えるように」と指示することがある。すると、生徒たちは「面倒くさいな、わかればいいじゃないか」と、ぶつぶつ文句を言うのである。以下の質問文を見てほしい。きみは1,2,3 のどれで答えるか。

● When do you study English?

1  After dinner.

2  I study English after dinner.

3  I usually study English after dinner.

 

● Which do you like better, tea or coffee?

1  Coffee.

2  I like coffee better.

3  I like coffee better.  How about you?

 

● Do you think it will rain tomorrow?

1   No.

2   No, I don't.

3  I hope it won't.

 

いつも1 のレベルで答えている人間の知的レベル、人間性のレベルと、3 のレベルとを比べてもらいたい。3 が無理でも、せめて2 のレベルであってほしいものだ。

文のかたちで、フルセンテンスで答えられるひとは、当然、省略した答え方もできるのである。しかし、省略した答え方でいつも済ましているひとは、もはや文が作れなくなる。作れなくなるから、ますます”最小限主義”に安住することになる。そして「通じればいいんだ」とうそぶくことになる。

問題は、文が作れないこと自体にあるのではない。問題はむしろ、きちんとした文のかたちでなくても、何とか通じてしまうことにある。そうして、レベルの低い英語に低迷したままで終わり、上達・洗練へと向かわなくなってしまうことが問題なのである。

母国語の日本語でもそうである。言葉は単なる生存(サバイバル)のための手段であるだけではない。生きるか死ぬかという状況のときはたしかにそれでけっこうである。そうでないときは、きちんと丁寧な言葉を使う、というだけのことだ。言葉はそのひとの品格、知性、価値観の表現でもある。「文は人なり」である。「通じればいい」と開き直っている者に進歩はない。そして心の豊かさも期待できない。

 


意外に知らない問題集の使い方

2012-01-18 20:21:52 | 勉強法、学習法

英語の問題集もいろいろある。文法系、単語・熟語系、英文解釈系、長文系、そして最近では、リスニング系のものもある。たしかに練習問題も数をこなすと、それなりに力はつく。それは英語に限らないだろう。しかし、その練習問題のこなし方にも方法がある。

● 2段階で使え!

たとえば、文法系の問題集の場合、現在完了形とか受動態といった各項目ごとに分かれているのがふつうであるが、その中で問題が難易度で2段階になっているものが多い。基礎編と応用編、ステップ1とステップ2、標準編と実戦編、といったぐあいである。そういった2段階になっている問題集を選びたまえ。そして、まずは各小章、各項目の最初の第1段階だけをやりたまえ、2つめの、応用編・ステップ2・実戦編は、最初はあえて手をつけないことだ。まず各項目の第1段階だけで最後の章まで終えることだ。

とにかく第1段階で1冊終えると、早く一区切りついて、自信がつく。そして英語の文法の全体の輪郭を早くつかむことができる。これが大事だ。それから振り出しに戻って、最初の章からこんどは第2段階、つまり、応用編・ステップ2・実戦編に入りたまえ。そして、同じ進行形でも第1段階をやってから数カ月して同じ項目の第2段階をやるときには、いきなりではなく、第1段階でやったところをざっと見てから、始めることだ。特に自分がどこを間違えたかをよく見て、思い出すことだ。この思い出すことが大事である。

● 誤答は消さずに、赤で直せ!

誰でも間違いはしたくないものだ。誤答は、いわば汚点であって、残したくないのは人情だ。しかし、勉強においては、自分の間違いは、貴重なデータである。自分の弱点を反映した貴重なデータというふうに客観的に考えよ。答え合わせの時に、自分が間違えたところを、いちいち消しゴムで消して、そこに新たにシャーペンで正解を書いている生徒を見て愕然としたことがある。その生徒は自分がどこをどう間違えたかという事実のせっかくの貴重なデータを、そばから消しているのである。その生徒の問題集は、すべて正答だけがきれいに残ることになるが、それなら別冊解答を見ればいいことだ。

● 問題集は、解答用ノートを作るべきか?

問題集の多くは書き込み式である。わざわざ別にノートを作らなくても書き込むスペースはある。たしかに問題集解答用のノートを使うメリットはある。ただそれは、そこに答えを書かないことによって、繰り返し使えるという点が、誰もが思いつく最大のメリットだろう。しかし、実は、ノートを使うことのあまり知られていないメリットがある。それは、自分の間違えた問題だけに印をつけておける点だ。こうしておくと、印の箇所だけをやり直すことによって、自分の弱点を強化することができる。たしかにこのメリットは非常に有益なものであるが、そのための労力はたいへんなものだ。問題集に直接書き込んでいたら、このメリットの恩恵は望むべくもない。書き込みをした場合は、少なくとも印をつけることはできるだろう。

一方、そのまま書き込むことによるメリットは、再利用可能という経済的なメリットをはるかにしのぐものだ。まず、なんといっても1冊で済む。常に2冊でなければ仕事にならない不便さは、持ち運びの面でも、机に広げるときにもつきまとう。問題集とノートの両方を右ひだりと見なければならないこのデメリットは致命的とも言えるほどである。どうしても再利用したければ、もう1冊買えば済むことだ。

● 解答には、印を合理的につけよ!

合っていたら○で、間違っていたら×をつけるというのが、一般的であり、自分でする答え合わせでも、基本的にはそれでいいと思う。ただ、自分が間違えた個所、できなかった箇所が重要なので、そちらが目立つように、○は小さく記入するか、いっそのこと省略するとよい。小学校の先生のように、でかでかとマルを描いていると、肝心の、自分の間違えた個所が見づらくなってしまう。

また、正答ではあっても、選択問題などの場合、あまり自信がなく、ほとんど当てずっぽうでまぐれで正答だった場合もあるだろう。そういった問題にふつうの○をつけてしまうと、見直す時にとうぜん見落としてしまう。そういう解答は、いくら正答であっても普通の○にせず、○の上に△を重ねて書いておくとよい。そうすれば、見直すときにもチェックできるだろう。

● 誤答では、解答編の解説を必ず見よ!

解答の解説を見ておくと、次から類似問題で間違えることが少なくなる。答え合わせは、○か×かよりも、なぜ間違えたかを確かめる作業である。○の数と、点数だけで終わって、なぜ×だったかを考えない者は、×になったのと同じ問題が出たら、また間違えてしまうものだ。

● 失敗をおそれるな!

外国語の学習では特に言えることだが、ミスをおそれないこと、間違いにいちいちくよくよしないことが大切だ。進歩、向上する人は、人一倍失敗しているものだ。失敗せずに進歩することはない。ただし、同じ失敗を繰り返さないようにしなければ本当の進歩はない。同じ失敗を繰り返している者は、前へ進んでいない。いくらたくさん失敗をしてもそれが同じ失敗の繰り返しだったら進歩はない。進歩しているのは、同じ失敗はせず、新しい失敗をしているひとだ。上級レベルの失敗でくやしがっている人だ。

● たくさん間違えろ!

上にも書いたが、失敗したり、間違えたりするのは、どんな勉強でもふつうのことである。進歩しないひとは、そもそも失敗の数が少ないのだ。練習問題の絶対量も少ないので、間違いも少ない。練習問題の絶対量が多ければ、間違いの数もとうぜん多くなる。できるひとというのは、ひとよりも先に、ひとよりもたくさん間違いをしているひとである。しかし、同じ間違いを繰り返す人と、同じ間違いをほとんどしない人では、同じ回数の間違いをしていても、進歩の差は大きく開くことになる。同じ間違いをほとんどしないひとは、間違いをしていても、常に新しい間違いをしているわけで、新しい領域、次のレベルに上がっている。いっぽう、同じ間違いを毎回繰り返しているひとは、いつまでも同じ場所、同じレベルにとどまっていることになる。つまり、進歩するためには、「新しい間違いをたくさんしろ!」と言えるだろう。


英語が伸びない本当の理由

2009-12-11 17:45:41 | 勉強法、学習法
「英語が好きなのに、できない」「勉強してるのに、伸びない」 という生徒たちをたくさん見てきた。そしてさまざまな方法で彼ら、彼女らの問題を解決してきた。多くの場合、非常に簡単なことに気がついていないだけのことが多い。ただ、その簡単なことが実は無数にあるのだ。

私は30年以上にわたって、数千人の生徒を教えてきている。その経験からしても、勉強の方法を変えるだけで、英語が面白くなり、成績も上がったというケースはけっこうある。「勉強の方法を変える」と言ったが、実は、Aの方法をBの方法に変えるといった単純なものではないのだ。Aの方法を、B1+B2+B3+B4+C1+C2の方法にするという感じである。こう言うと負担が増えるのではないかと心配するひともいるだろう。実際は、勉強の仕方にバラエティが出てきて、英語の勉強が楽しくなり、飽きなくなってくるのである。

英語への多様なアプローチの仕方を教わり、英語じたいの言語としての豊かさ、奥深さ、面白さ、便利さ、身近さ、素晴らしさ、に気がつき出すと、教師が説教しなくても勝手に勉強するようになる。これは一種の知的 "離陸" である。この "離陸" のための手助けをするのが、私の本来の仕事だと思っている。

離陸して独りで大空を飛び回れるようになるためには、どんなパイロットも地上でさまざまなシミュレーションをして訓練しなければならない。それを合理的に、短時間で、楽しみながらする方法は、学校で教えることはない。私自身も自分の学校ではいろいろな制限があるので、自分が蓄積してきたノウハウ、テクニックを授業ですべて公開して生徒に勧めるということは実際はできない。

生徒がこぼす「英語の成績が伸びない」ことの学校での公式の理由は、「勉強が足りないから」である。しかし、実際は違う。生徒自身の英語の勉強法が単に古いからである。さらに言えば、英語の教授法が古すぎるからである。これを学校でうっかり言うと同僚批判になりかねないので、私も学校ではおとなしいものである。学校の教師が学校でできることにはどうしても限界がある。その限界を超えて、生徒たちに少しでも手助けをしたいと思って、このブログを作った。


なぜ英語の配点が高いのか?

2009-08-09 22:30:46 | 勉強法、学習法

英語120分 / 数学60分 / 国語50分 / 理科50分 / 社会50分

英語(筆記)60分 / 英語(リスニング)30分 / 数学 60分 / 国語 60分

英語の時間が他の教科より長いこともあれば、定期考査などで、英語が2科目ということもある。その場合、英語としての実質配点は2倍ということになる。

なぜ英語の配点が高いのか?

生徒だけではない。教師も思う。英語の教師も思うし、英語以外の教師はなおさらであろう。どうして英語だけ配点が高いのかと。そして、ありふれた説明に落ち着く。英語は大事で、今の社会では重要視されているからである、と。たしかにそうも言えるかもしれないが、私は違う理由があると思っている。

まず、私は英語は2倍の配点でちょうどよいと思っている。他教科が60分なら、英語は120分が相当である。それはこういうことである。

120分のうち、半分の60分が英語の力をテストするためである。それでは、残りの60分は何なのか?あえて言おう、30分は日本語の能力をテストするためである。そして、あとの30分は論理的思考力をテストするためである。

まともな英語の教師はわかっているのだ。自分の英語の授業の一部分はほとんど日本語の授業だと。生徒は英語の授業で、国語の授業のとき以上に日本語に向き合っていると。和訳でも、英訳でもそうである。母国語とは違う外国語を学ぶことによって母国語を客観的に学びなおすことが可能になるのである。その生徒の言語能力は、国語のテストよりも英語のテストによるほうがはるかによく測定できるのだ。

それでは、残りの30分の論理的思考力のテストは何か?これは言語能力よりもさらに高度な知性をさす。外国語を通して、母国語以外の文法、論理を通して物事を見、考えることによって客観的かつ論理的な思考が身につくのである。英語の教材の中には非常に優れた内容のものがあり、そういったものに恵まれる場合もある。

大学入試でも、英語の試験に倍の時間を配当し、倍の配点をするのは、大学側がそれによって受験生の英語の能力以上のものを測定できると確信しているからであって、たしかにその確信は正しいのである。

日本という国ではもう1500年以上も前から、学力、知性のテストに外国語を使ってきている歴史がある。外国語?そうである、漢文である。漢文は中国語であって、漢文が読めない、書けない貴族の男子はバカにされ、漢文の素養のない武士は軽蔑されてきた。なぜか?大和言葉や日本語による試験よりも学力、知性のレベルがはっきりわかるからである。外国語を使って計ったほうが頭がいいか悪いかがはっきりわかるから、日本ではずっと漢文でテストしてきたのである。その漢文が明治時代から少しずつ英語に置き換わってきただけである。簡単にいえば、漢文が英語になっただけである。こう説明してもまだわからないひとがいるだろうか。


失敗の痕跡を残すこと

2009-07-15 08:55:14 | 勉強法、学習法

英語にしても、数学にしても、どの教科にしても、学習者は問題を解きながら学習することが多い。学校で定期試験、小テスト、実力模擬テスト、自宅で問題集、教科書の問題等々、問題を解くのが勉強だと思っている生徒もいるだろう。そしてふつうそうした問題は、採点、答え合わせがなされ、点数がつき、自分の達成度、理解レベルがわかる仕組みになっている。

 さて、教科書に出てくる問題は、ふつうノートに解答するだろう。問題集のほうは直接答えを書きこんだり、ノートのほうに答えを書いて、問題集は書きこみをしないようにするひともいるだろう。それはどちらでもよいだろう。 大事なことは、答え合わせのときに、自分の間違った答えを消さないことだ。正しい答えをそのそばに赤ペンなどで書くのは当然だが、そのときに自分の誤答をまちがっても消しゴムで消さないことだ。英語の学習にかぎらず、失敗、ミスをおかさずに前進することはできない。大事なことは、”同じ失敗”をいつまでも繰り返さないことだ。そのためには、自分がどこを間違えたかをはっきり痕跡として残す必要がある。

失敗、ミスをおかさずに前進することはできないと言った。その通りである。ならば、ミスをすればするほど前進するか?君はどう思うか?YES か NO か? 答えは後者である。なぜか?ミスをすればするほど前進する、という命題は誤りを含んでいるからである。平たく言えば、「とは限らない」からである。同じ失敗を相も変わらず繰り返しているひとは前進せず、同じ場所で足踏みしていることになろう。しかし、新しい失敗をしているひとは、前へ進んでいることになる。つまり、こういうことになる。同じ失敗を繰り返しているひとは前進していない。”新しい失敗”をすればするほど前進する

同じ失敗をしないというのは、言うのは簡単だが、ふつうのひとにはとても難しいことである。3人称単数現在の s を付けるのを忘れてしまった。完了形の文なのにyesterday をつけてしまった。last Sunday に前置詞をつけてしまった。find の過去形のスペルを間違えてしまった。as の意味を理由の意味だと気がつかなかった。等々、等々。同じ失敗を2度としないようなひとはふつうのひとの10倍以上速く前進するだろう。しかし、同じ失敗を2度としないということは言語の学習にあっては、ほとんどありえないことである。誰でも多かれ少なかれ同じ失敗をしている。そもそも母国語の日本語でもけっこう間違えているくせに、英語にだけ完璧主義になるのは無理があるだろう。

大事なことは、そういうものとしてあきらめるのではなく、自分の同じ失敗を見据えて乗り越えようと努力することだ。そのために、自分の失敗、ミスの箇所をはっきり残し、自覚する必要がある。であるからこそ言うのだ、自分の間違った答えを消すなと。考えようによっては、自分の解答ミスは自分の弱点を知る上での貴重なデータである。同じミスにはパターンがある。これらを振り返って見たり、分析すれば、同じ失敗を大きく減らし、成績向上にも役立てることができるはずである。


勉強時間の使い方

2009-05-10 11:08:21 | 勉強法、学習法

●勉強時間の使い方は大きく分けて以下の2つだろう。

 

短時間集中型 と 長時間リラックス型

 

短時間集中型は、いいところばかりのようだが、長続きしないし、疲れる。だいたい60分から90分が限度であろう。

長時間リラックス型は、実際ごくふつうの勉強のスタイルがこれである。学校の授業然り、自宅での勉強もこれ然り。一方的に喋りまくっている先生の授業、自宅で音楽を聞きながらの予習・復習などもこれだ。リラックス型と言うのは、実は多少の皮肉を込めて言っている。実態は、長時間ダラダラ型である。何時間でもできる。テレビを見ながら、クッキーを食べながら、途中、携帯メールを打ったり・・・。

 

長時間リラックス型の勉強がまったくダメだというわけではない。教室であれ、自分の勉強部屋であれ、少なくとも机に向かって勉強しているのであれば、ゲーセンやリビングルームで時間を潰しているよりはいいだろう。

 

問題は、勉強というと、長時間リラックス型だけでいつも過ごしているために、短時間集中型の勉強の機会がほとんどないことである。この2つのパターンを上手に使い分けてメリハリを出すことが必要である。

 

学校では、先生たちはこの短時間集中型を作り出すために、定期試験を実施したり小テストをやったりするわけである。

 

それでは自宅ではどうか?生徒諸君はふだんの自宅学習で、短時間集中型の勉強時間を作り出しているか。問題はここである。自宅での勉強というと、相も変わらずダラダラ学習の一辺倒ではないか?試験勉強のときも、けっきょく短時間集中型にはならず、長時間ダラダラ型の延長で終わっているのではないか。夜遅くまで勉強したり、徹夜したりしていても、けっきょくダラダラ型だからそれも可能なのである。

 

● では、どうしたら短時間集中型の密度の濃い勉強が可能になるか。

まずは、タイマーを使うことである。時間を制するものが勉強を制すると考えるべきである。ダラダラ型にならずに集中するためには、問題集を解くときなども時間制限を設けることである。時間を区切ることによって集中力を高め、密度を上げるのである。

 

次に、問題集を解くときも、まずは他に何も見ずにやることである。時間制限、たとえば、1ページ15分とかで決めて、教科書等を何も見ずに解くことである。こうした縛りをかけてやってみてはじめて、自分ができる個所と、できない個所、自分が分かっているところと、わかっていないところが見えてくる。これが第1段階である。第2段階は、自分ができなかったところ、不正解だった箇所を、教科書その他を使ってわかるまでじっくり調べ、類似問題をさらにやってみることである。大事なことは、時間を区切り、2段階で取り組むことである。つまり第1段階短時間集中型である。そして第2段階長時間リラックス型である。このメリハリなしに、最初から最後まで長時間リラックス型でダラダラが一番いけないのである。

 

問題集の使い方で、いちばん悪いのは以下のパターンである。

 

1) 時間を区切らずに漫然と始める。

2) わからない箇所は、そばから教科書、参考書で調べながら解答していく。

3) 途中で携帯メールが着信したら、勉強を中断してメールを見る。

 

どんな勉強の仕方でも、とにかく机に向かって勉強しているんだから、いちいち細かいことは言われたくない、という声が聞こえてきそうである。ただ、誤解のないようにしてほしい。問題は、勉強をするかしないかではない。10代のころは、学校の勉強ばかりでなくいろいろなことに興味があって当然であるし、すべての時間を勉強に注げと言っているのではない。むしろ逆である。青春の限られた時間をいかに有効に使うかが問題なのである。能率の悪い勉強法で時間を下手に無駄に使うことは大きな損失である。