Snapeの英語指南

英語長文対策、英語速読法、英語学習法、高校生、中学生、社会人の英語学習に役立つヒントを紹介。

YouTube “海底考古学シリーズ” 第7弾! 大西洋の翼

2015-11-15 11:48:35 | 歴史・考古学

“大西洋の翼” ・・・何のことかと思うだろう

あなたがまったく知らない世界がこの地球にあった!

 

YouTube “海底考古学シリーズ” 第7弾!

 はたしてあなたに受け止められるか?

 

オリジナル英語版

ATLANTIC WINGS: Far Beyond Human Civilization: Seafloor Archaeology 7
https://www.youtube.com/watch?v=HjmttfHS8dU

 

(オリジナルは英語版だが、どれも日本語版がある)

人類文明を遥かに超える “大西洋の翼” 海底考古学  7
https://youtu.be/l_kWCMJm_hs

 

 

 

 

 

 


YouTube “海底考古学シリーズ” スタート

2015-08-30 09:24:46 | 歴史・考古学

YouTube “海底考古学シリーズ” スタート

 

“火星考古学シリーズ” で火星の真実を明らかにしたザウルスが地球に帰ってきた。

今度は地球の真実を明らかにする、“海底考古学シリーズ” である。

(オリジナルは英語版だが、どれも日本語版がある)

 

Civilization under the sea? : Seafloor Archaeology 1
https://youtu.be/75JFtkhqWt0


海底にある文明の証拠: 海底考古学  1
https://youtu.be/CCtd-ZCAUW4

 

 


Mysterious Tracks on a Seafloor: Seafloor Archaeology 2
https://youtu.be/Ry4aT8qAsVs

 


海底の謎の軌跡群: 海底考古学 2
https://youtu.be/eOpo9MoZ4Ho

 

 以下準備中

 


YouTube 火星考古学 6 美しい火星都市

2014-12-18 19:04:06 | 歴史・考古学

YouTube 火星考古学 6 美しい火星都市

画像処理だけでここまで明らかにできることが、否定しようのないほどに明らかになってきた。

地球外文明について関心を持っているひとには必見のYouTube である。

 

火星考古学 6  モバイル用: 美しい火星都市

http://youtu.be/uXT2oJbKinU

 

 

火星考古学 6  PC用: 美しい火星都市

http://youtu.be/6zWuXkWp6oU

 


YouTube 火星考古学 5 巨大な溝が延々と・・・

2014-10-19 01:45:57 | 歴史・考古学

ザウルスによる「火星考古学」も第5作を数えるところまできたが、まだまだ打ち切る予定はない。専門家ぶったイチャモン派も鳴りをひそめてきたようだ。

YouTube 火星考古学 5 巨大な溝が延々と・・・

 

YouTube 火星考古学 5 巨大な溝が延々と・・・

 

英語版

Mars Archaeology 5: HUGE GROOVES REVEALED for the first time!

 

 


"人面岩"論争など茶番だった!火星考古学 1 YouTube

2014-08-22 23:30:52 | 歴史・考古学

YouTube"人面岩"論争など茶番だった!火星考古学 1 

現在 YouTube コメント欄で “炎上中”!!

火星文明の素顔を、ザウルスが初めて全世界に向けて公開するYouTubeの日本語版

 この真実を受け容れられない人間はけっこう多い。あなたはどうだろうか。受け容れられない者たちが、寄ってたかって幼稚な理屈で潰しにかかっている。「画像のノイズだろ」「ただのピクセルだろ」「捏造だろ」・・・ムダなことである。しょせん、UFO母船の出現に対する地球の戦闘機の迎撃のようなものである。

あなたはどう判断するか?先入観や常識にとらわれずに、自分の頭脳と感性で判断してほしい。

“火星のマンハッタン” YouTube 日本語版

 以下、内容の一部

 

“火星のマンハッタン” YouTube 日本語版

 この真実を受け容れられない人間はけっこう多い。あなたは自分の頭脳と感性だけで判断を下せるか? 

 

“MANHATTAN on MARS" YouTube 英語版


YouTube 火星考古学2 NASAが困惑する証拠の数々・・・

2014-05-17 18:33:21 | 歴史・考古学

火星考古学 第2弾!
NASAが困惑する証拠の数々・・・

ちなみにNASAは火星には工作的な構築物は発見されていないと何十年も一貫して主張している。わたしは、火星には知的設計(intelligent design)に基づく工作的な構築物(artificial structures)が存在する証拠を提示している。太陽系における我々人類の存在についてあらためて考えるきっかけになれば幸いである。

火星考古学2 痕跡の研究 アーバンテクスチャー (日本語版)

 以下、内容の一部

火星考古学2 NASAが困る痕跡の数々  YouTube

 

 

 

Mars Archaeology 2: Troublesome Traces for NASA(英語版)


今年3月に発見された ロシアの巨石群 --世界最大級

2014-04-04 11:04:21 | 歴史・考古学

引用元:http://englishrussia.com/2014/03/06/huge-mysterious-megaliths/

2014年3月に“発見”された ロシアの巨石群 --世界最大級

<以下は上記の引用元記事の翻訳/青字は引用者


ショリア山 (ケメロフ地方、ロシア) の不思議な巨石群に、一般人も科学者も困惑している。積み重なった長方形の石の壁は「ロシアン・ストーンヘンジ」として既に呼ばれていたものである。一説によるとこの巨石群は古代にすでに発見されていた。

日本語でもまだ定まった呼び名がない。いつまでも “ロシアの巨石群”ではまずい。"Shorian Megaliths"  “ショリア巨石群” と呼ぶことを提案したい。

もっと辺境かと思いきや・・・


1991 年に研究者の関心を呼んだにもかかわらず資金不足のために調査は中断されていた。そして 2013 年秋になってやっと本格的調査が始まった。

花崗岩のこの巨石ブロックの大きさは圧倒的である。これらは立体的な石造技術によって壮大な壁となっている。地質学者はストーンヘンジとエジプトのピラミッドと比較する。壁は、高さ 40 m で、幅は約 200 メートルにわたり。巨石のいくつかの長さは約 20 メートル、高さ 5 7 メートルに及ぶ。巨石群すべての重量は 1000 トンを超える。

この “ショリア巨石群” は1万年前のものとされているから、ストーンヘンジやピラミッドよりもずっと古いことになる。時代的にこれに近いものは、トルコの “ギョベクリ・テペ” である。どちらも新石器時代に属し、金属器が登場するずっと以前である。

 

通路として作られたのか、単に岩のすき間か?

たしかに四角い岩の板ではある

これらの直方体に見える岩が本当に“切り出されたもの” だとしたら、何を使ったのか?金属器か石器か?

本当に積み上げたものだとしたら、どうやって積み上げたのか?

だれがどのような技術でこの巨石群を建造したのか今でもわかっていない。この巨石群の壁がどういう理由で建てられたのか、そしてどうやって1000メートルの高さに巨石ブロックを持ち上げたのかも明らかになっていない。
一つの仮説として、これらの巨石群は、ショリア山の過酷な風化作用という地質学的なプロセスによって形成されたものかもしれないとも言われている。しかしながら、地質学者たちはもっと多くの証拠が出るまで結論を控えている。

別々の四角い岩を積み木のように積んだというよりは、ひと塊りの岩山の天然の規則的な亀裂に見えないこともない

再開された調査のための秋の遠征途上でいくつか不可解なことが起きている。地質学者たちの方位コンパスの針が非常に奇妙な動きを見せ、巨石群から針が逸れるという原因不明の現象が起きた。これは何を意味するのか。負の地磁気の不可解な現象に出会ったことは明らかであった。これは古代の反重力技術の痕跡だろうか?

これは天然の亀裂とは言いにく

シベリアはすべての人類の古代のふるさとであるという説がある。今回の調査隊のメンバーたちはこれらの遺跡こそがその物質的証拠であると考えている。2トンから4トンにおよぶ巨石ブロックからなる壁が見つかったのは人類史上初めてのことである。


だれが、何のために?天然の造形とはとても思えない。さらに、これらの建造物は激烈な爆発によって破壊されたと思われる痕跡が今日残存している。それは壊滅的な地震か外宇宙からの隕石の直撃であった可能性もある。

少なくともこれは天然の造形とは考えにくい

このうちの1つのブロックだけでも切り出すのにも途方もない時間と労力とエネルギーが必要となる

1万年前にはまだ農耕定住生活は始まっていない。狩猟採集生活である。

 

これほど大規模な石の壁は今までロシア領土内で発見されていない。

一方、そういったセンセーショナルな仮定に同意しない科学者もいる。証拠としてあるのは、これらの遺跡の最古の年代はせいぜい1万年であるということだ。そうした懐疑的な科学者によれば、この巨石群を“ロシアン・ストーンヘンジ”と呼ぶのは正しくない。なぜならば、現地には文化的な遺物がまったく発見されていないからである。したがって、この巨石群が人間によって造られた公算は極めて低いということになる。
今後の考古学的発掘によって、何らかの工作物が日の目をみることになるであろうか?

これだけ見ると天然造形にも見える

 

トルコで発見された “ギョベクリ・テペ” が1万1,000年前のものとされている。この “ショリア巨石群” が1万年前ということなら、時代的にかなり近い。“ギョベクリ・テペ” は狩猟採集民が建造したというのが定説である。T字型の巨石、動物のレリーフ、円形の配置が特徴である。しかし、こちらのショリア巨石群にはレリーフなどの工作の痕跡はまだ見つかっていないようだ。

“ギョベクリ・テペ” については、以下の記事がある。ぜひ比較されたい。(別ウィンドウで開く)

 “ギョベクリ・テペ” を知っていますか?

 

人間の創造力はたしかに素晴らしい。しかし、自然の創造力も決して人間にひけを取らないことを示す実例は山のようにある。この巨石群の起源についてはまだ全貌が明らかになっていない。それまでのあいだ、われわれは限りない想像力を羽ばたかせることができるだろう

 

以下、YouTube

 

6分

https://www.youtube.com/watch?v=9Icglz353Os

 

12分

https://www.youtube.com/watch?v=y18BgFsC2fk

 

21分

https://www.youtube.com/watch?v=kwefYfuQNZQ

 


ギョベクリ・テペという古代文明

2013-11-17 14:01:23 | 歴史・考古学

“ギョベクリ ・ テペ” を知っていますか?

 Göbekli Tepe

今から20年ほど前の1994年に、トルコの一農夫が偶然掘り当ててしまった古代遺跡、ギョベクリ・テペ。

現在も発掘が続いており、全体の5%ほどが明るみに出てきていますが、発掘完了にはまだあと50年以上かかる見込みです。

 

人類史の書き換えを迫るような、とんでもない発見ですが、なぜかあまり知られていません。おそらくあまりにも今までの定説に反する事実が出てきてしまったために、説明がつかないためでしょう。

 ご注意ください。これは、いわゆる“トンデモもの”ではありません。れっきとした研究者、研究団体によって承認されている議論の余地のない考古学的大発見です。ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティー、BBC放送、ヒストリー・チャンネル、ディスカバリー・チャンネル、スミソニアン博物館などが取りあげて、ビデオなどを制作して公開しています。日本ではすでに数年前にNHKがテレビ放送をしていますし、TBSの「世界ふしぎ発見」でも取り上げられていますので、知っている人は知っています。

 

にもかかわらず、一般にはほとんど知られていません。テレビで見たひとも忘れてしまっています。なぜでしょうか。おそらく考古学、人類学、歴史学、先史学などの学界ではまだこの “ギョベクリ・テペ” のきちんとした位置づけができずにいるからです。さらに言えば、これを受け容れるということは、今までの文明史の定説をすべてひっくり返すことになるからです。アカデミズムの世界は腰が重いのです。自分たちが営々として築き上げてきた権威ある理論、説明原理を否定する事実に正面から向き合うことにはなかなか乗り気になれないのです。おそらくあと20年、30年経っても学校の歴史の教科書に出てくることはないでしょう。事実が“公認”されるのにはとてつもない時間がかかるものです。そこにはたいへんな“見えざる抵抗”があるのです。学界の権威者にとってはたしかに不都合な真実でしょう。あなたが今初めて知ったということも、この事実が今リアルタイムで実にゆっくりでしか広まっていないことを物語っています。ウィキペディアでの記述も実に貧弱なものです。

 

現地での発掘も慎重で綿密な作業のために現在 5%しか済んでいません。あとの 95% を済ますのにまだまだ50年以上かかります。 

同じ事実を今受け容れることと、50年後に受け容れることの差はどこにあるのでしょうか。自分の頭で考えるひとは、知った時点でその情報に信頼性があるかどうか判断したうえで、定説があるか無いかに関係なくその事実を受け容れるかどうかすることでしょう。自分の頭で考えないひとは同じ事実が数十年後に定説とともに教科書に載るようになってやっと受け容れる、というよりは従うことになるでしょう。“50年待ちピープル”はつねに世の中の絶対的多数派です。

現在率先して発掘作業に当たっているドイツの考古学研究チームはすでに20年近く現地で発掘作業を続けています。リーダーのクラウス・シュミット博士は現地のトルコ女性と結婚して定住し、この発掘に生涯をかけています。しかし、彼の生きている間に発掘作業が完了することはないでしょう。

 クラウス・シュミット博士

 

ギョベクリ・テペ: この古代遺跡の特徴

●異常に古い: 

放射性炭素年代測定法によって1万1千年から一万2千年の間のものであることが証明されている。古代エジプトの大ピラミッドよりもさらに7000年古いことになる。これは客観的・科学的・物理的事実であって、説明や解釈ではないので、反論や突っ込みはまったくない。これだけでも大変なことである。

 

●神殿である: 

居住空間、つまり村や都市ではなく、神殿、つまり “宗教的、呪術的意味をもつ施設” と推定される。儀式、祭礼のための施設であった可能性がある。居住生活の痕跡がほとんどない。

 

●素朴であるが、高度な技術: 

ストーンヘンジよりも5000年以上さかのぼるにもかかわらず、ストーンヘンジよりも複雑で、より洗練されたスタイルを持っている。

 

●金属器以前の新石器時代に属する: 

金属器を持たない狩猟採集民による建造物である。石の切り出し、石の彫刻には金属の道具ではなく、石器が使われたと考えられる。ちなみに土器も見つかっていない。

 

●農耕、牧畜以前である: 

穀物栽培、家畜の飼育の痕跡が出てこない。人類史において、農耕が始まる5000年以上も前の建造物である。付近で発掘されるまとまった動物の骨はすべて野生動物のものである。

 

●文字がない:

動物の絵や抽象的な図形、シンボルは彫られているが、文字らしきものは見つかっていない。当然話し言葉はあったであろうが、それをとどめる術(すべ)としての文字をまだ持っていなかった狩猟・採集民による建造物である。

 

●人類史の定説を覆す:

“農耕 → 食糧・富の蓄積 → 階級の発生 → 都市の発生 → 宗教施設の建造“ という従来の文明史、考古学の常識を覆す “オーパーツ” である。

 

 ●保存状態がよい:

1万年以上昔の遺跡にしては例外的に保存状態が良い。意図的に埋められていたために未曾有といえるほど損壊を免れている。考古学者にとって夢のような遺跡である。

 

 ●名前の由来: 

“ギョベクリ・テペ” という名前は、この遺跡が発見された、下の写真に見える丘の名前である。現地語で“太鼓腹の丘”という意味である。実はこの丘の隆起は自然のものではなく、人工的なものであった。

 

1994年に、この古代遺跡を偶然掘り当てたトルコの農夫

 

  

ここにそびえる巨石群は、金属器も土器もまだ知らなかった人々によって、約 1万1千年前に石器によって切りだされ、刻まれたものです。

 

 

ギョベクリ・テペの発掘現場の航空写真

 

 

 

ギョベクリ・テペの位置: トルコのシリア国境の近く

 

 

 

ギョベクリ・テペの建設想像図

 

 シュミット教授の説によると、ギョベクリ・テペは石器時代の神殿であり、この説は考古学、歴史学、先史学の専門家にも支持されています。放射性炭素年代測定法によってばかりでなく、比較文化的、様式的分析によっても、ギョベクリ・テペは歴史上最古の宗教的施設であるとされています。クラウス・シュミット教授によれば、この “丘の上の大聖堂” は周囲100マイル(160km)に住んでいた人々の巡礼地として信仰されていたものです。

  

 

 ライオンとイノシシのレリーフ

 

 

この神殿の周辺で当時の現地の動物種、たとえば鹿、ガゼル、ブタ、ガチョウの骨が大量に発掘されていますが、いずれも野生種で、食用に狩猟されたものです。

  

 

ギョベクリ・テペは最大級の考古学的発見であり、人類史における重要な転機の理解に根底からの変更をせまるものであるとして、スタンフォード大学のイアン・ホッダー教授は、ギョベクリ・テペは人類史のすべてを変えてしまうと言っています。「ギョベクリ・テペはリンゴを荷車ごとひっくり返してしまう。我々の理論はすべて間違っていたのだ。」

 "…It overturns the whole apple cart. All our theories were wrong."

 

 

ヨハネスブルグ、ウィットウォータースランド大学考古学部のデビッド・ウィリアムズールイス教授は、「ギョベクリ・テペは世界で最も重要な考古学的遺跡である」 と言います。

 

 

記念碑的な巨石群の建造という大事業が、今まで想定されていたような定住型農業社会だけでなく、狩猟採集民の能力内にあったことを示しています。発掘者クラウス・シュミットはそれを、「まず神殿ができ、それから都市ができる」 と言います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神殿の規模の大きさだけでなく、林立する個々の多数の巨石の存在によってギョベクリ・テペの遺跡はユニークなものとなります。

  

 

 

 
ニューズウィーク誌はこう評しています。

「シュミット氏の説は単純かつ大胆である。信仰の欲求、それこそが人類を協力させ、歴史上最初の都市型生活へと導いたのであった。この神殿を建設し、管理する必要性こそが彼らに安定した食糧源の確保、つまり穀物栽培や家畜の飼育に駆り立てたのである。そして、自分たちの新しい生活様式を堅持するために定住生活へと移行したのである。つまり、神殿が都市を生んだのである。

 Schmidt's thesis is simple and bold: it was the urge to worship that brought mankind together in the very first urban conglomerations. The need to build and maintain this temple, he says, drove the builders to seek stable food sources, like grains and animals that could be domesticated, and then to settle down to guard their new way of life. The temple begot the city.

 


この新説は人間起源の通説の年表を逆転させる。通説では、原始人は1万年から1万2千年前の新石器革命を経たとされる。こうした旧来の説明モデルでは、羊飼いや農民が最初に出現し、それから陶工や村落民、都市、専業労働、王、文字、技芸、そしてついには飛行機の出現に至る過程の、その途中のどこかで組織化した宗教が発生することになっている。ジャンジャック・ルソーの時代から、思想家たちは社会的集約都市が最初に形成されて、その後、大寺院を擁する“高度な”宗教ができるとしてきた。こうした人類史のパラダイムは米国の高校などでもいまだに教えられている。

 This theory reverses a standard chronology of human origins, in which primitive man went through a "Neolithic revolution" 10,000 to 12,000 years ago. In the old model, shepherds and farmers appeared first, and then created pottery, villages, cities, specialized labor, kings, writing, art, and --- somewhere on the way to the airplane --- organized religion. As far back as Jean-Jacques Rousseau, thinkers have argued that the social compact of cities came first, and only then the "high" religions with their great temples, a paradigm still taught in American high schools.

 


考古学者のシュミット氏が正しければ、宗教というものは都市生活が始まるよりもずっと以前の段階で出現しているように思える。だからこそ、宗教というのは文化の産物や神の啓示によるというよりもむしろ人間の遺伝的形質によるものだと考える人もいる。かつて考古学者ジャック・コーヴァンは「神々の始まりが農耕の始まりである」と喝破したが、ギョベクリ・テぺの遺跡はその実例となるかもしれない。」

 Religion now appears so early in civilized life --- earlier than civilized life, if Schmidt is correct --- that some think it may be less a product of culture than a cause of it, less a revelation than a genetic inheritance. The archeologist Jacques Cauvin once posited that "the beginning of the gods was the beginning of agriculture," and Göbekli may prove his case.

  

ギョベクリ・テペのトーテム

http://twitter.com/GobekliTepe http://GobekliTepe.info.tr/

 

現時点では、ギョベクリ・テペは考古学や先史学に対して与える回答よりももっと多くの問いを投げかけます。定住生活以前の社会という条件下にあって、どのようにしてこれだけ複雑な構築物を築いて管理するほどの動員力を持ち得たのかまだ解明されていません。

  

研究者たちはギョベクリ・テペの巨石群のレリーフの絵柄を“解読”できていません。それらの動物のレリーフが何のために彫られたのか確かなことはわかりません。ライオン、イノシシ、鳥、昆虫といった多種多様な動物種がいったい何のために描かれたのかについて、決定的な説明があるわけではありません。

遺跡には居住生活の痕跡がほとんどありませんし、描かれている動物は主に捕食動物であることから、これらの巨石群は何らかの魔除けの意味があったのかもしれません。また、これらはトーテムとして機能していた可能性もあります。

これらの巨石群に囲まれた大きな円形もしくは楕円形の部屋はどれも直径30メートル弱のものです。

  

これらの円形の“部屋”は数十年ごとに埋められて、その上にひと回り小さな新しい“部屋”が同心円的に造られていますが、わざわざ埋めた意味も解明されていません。それらの“部屋”の中心にT字型の巨石が建てられています。そして、それぞれの巨石には動物や抽象的なシンボルが彫り込まれており、今から一万2千年前の人間社会の文化的記憶と象徴的世界を表しています。

  

 

この神殿に人間の埋葬があったかどうかは不明です。この遺跡群が周到に埋め戻されていることの理由も不明です。しかし、意図的に埋め戻されていたために、ギョベクリ・テペの遺跡群は保存状態が非常に良好です。地表に露出したままだったら、一万年ももたなかったかもしれません。この遺跡の背景となる文化、そしてこの遺跡じたいの意味について何らか確実なことを結論付けるためには、まだまだ証拠を積み上げる必要があると言えるでしょう。

 

 巨石に施された彫刻はどれも一万二千年前の私たちの祖先の石材加工における素晴らしさ、その卓越した技術を証明するものです。

 

 

 

T 字形の石柱は腕を広げた人間の姿を様式化したものと考えられています。

 

 

 

石柱の多くは写実的なスタイルの立体的レリーフとして刻まれています。

 

  


 

 

 

 

 

 

 

 

 

将来的な計画として、博物館の建設、遺跡周辺の考古学的公園化が考えられていますが、いずれもギョベクリ・テペ古代遺跡が発見されたときの状態をできるだけそのまま保存する目的に沿ったものです。

 

 2010 年、世界遺産基金 (GHF) はギョベクリ・テペ遺跡を保存するための長期的保全プログラムに着手することを発表しました。後援者には、クラウス ・ シュミット教授とドイツ考古学研究所、ドイツ研究振興財団、Şanlıurfa 自治体、トルコ観光文化省大臣が含まれます。

 

 

  

歴史上知られているうちでの最古の等身大の人間像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギョベクリ ・ テペについての一つの説は、こうした立像を設置して、そばの小さな穴々に火を灯したのではないかというものです。

 

 

Sources:
https://docs.google.com/file/d/0B8yAiUCdzj53U2w5aEJaZXVFcVU/edit
https://www.facebook.com/gobeklitepe