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Snapeの英語指南

英語長文対策、英語速読法、英語学習法、高校生、中学生、社会人の英語学習に役立つヒントを紹介。

ウィキリークス(13) 「アサンジュ最新インタビューはCGI合成」 を証明!反論不可能!

2017-04-07 08:03:55 | 英語の読み方

ウィキリークス(13) 「アサンジュ最新インタビューはCGI合成」 を証明!反論不可能!

 

“デジタルアサンジュ” 増殖中! “デジタルアサンジュ” 増殖中!

 

アサンジュの安否が不明になって、もう3カ月が過ぎ、4カ月になろうとしている。今回の彼のインタビュー映像は不明後から2本目だが、これもCGI合成のでっち上げであることを綿密な検証に基づいて証明した YouTube ビデオである。

Hannity Interview BUSTED! "DIGITAL Assange" AGAIN! Indisputable Evidence!
https://youtu.be/fcKaHZQc4lg

あいにく今のところ英語版だけしか作っていないが、映像でほとんど理解できるはずである。

コメント欄の書き込みは日本語でも大歓迎である。ぜひ感想なり批判なりをお願いしたい。

画像は元より、映像も画像なみに簡単にでっちあげられるようになってきた。

“成りすましビデオソフト” の性能がどんどん向上して、信じやすい一般大衆を騙すのには十分なレベルになってきている時代にわれわれは生きている。デジタル映像技術の進歩に合わせて、それらを悪用するケースがますます増えてくるだろう。

 

以下、どの画像のクリックからも YouTube 動画が別ウィンドウで開く。

Hannity Interview BUSTED! "DIGITAL Assange" AGAIN! Indisputable Evidence!
https://youtu.be/fcKaHZQc4lg

 

 

 

 

 

ウィキリークス(1) アサンジュ、暗殺か? 

ウィキリークス(2) アサンジュのデッドマン・アーカイブ

ウィキリークス(3) アサンジュ、生存証明は? 

ウィキリークス(4) アサンジュ、米国に移送?

ウィキリークス(5) アサンジュ生存証明の動画?

ウィキリークス(6) アサンジュの猫はどうしてる? 

ウィキリークス(7) アサンジュ安否隠蔽工作?

ウィキリークス(8) アサンジュがついにインタビュー!? 

ウィキリークス(9) 「11/5 アサンジュ・インタビュー」 は偽装?

ウィキリークス(10) 「アサンジュ、すでに逮捕?」 YouTube

ウィキリークス(11) CIAに乗っ取られる:スタッフの証言 YouTube

ウィキリークス(12) 偽装の証拠?「11/5 アサンジュ・インタビュー」

ウィキリークス(13) 「アサンジュ最新インタビューはCGI合成」 を証明!反論不可能!

 

 


ついに愛子様の替え玉を立証! 客観的、科学的、解剖学的、数値的に証明! 反論不可能! 日本人必見!

2017-04-07 07:57:37 | 英語の読み方

ついに愛子様の替え玉を立証! 

客観的、科学的、解剖学的、数値的に証明! 

もはや反論不可能である! 日本人必見!

 

先日、宮内庁が公開した愛子様の映像がある。多くの人がテレビでそれを見て驚いたのはその 「激ヤセ」 ぶりである。顔が細くなって、「まるで別人のようだ」 と思ったひとも多いようである。

 

はっきり言おう! “別人” である!

 先入観なく見れば、印象だけでも十分そう言える。

そう言えないのは、「まさか皇室が、天皇家が国民を騙すわけがない」 と思っているからである。そして、「テレビや新聞が国民にウソを報じるわけがない」 と勝手に思い込んでいるからである。

逆に言うと、「ぜんぜん別人でも、どうせ国民は、まさか天皇家が国民を騙すわけがないと思っているから、そのまま信じるだろう」 とタカをくくっているともいえる。

たしかに、印象 というものはあくまでも 主観的 なものだ。別人だ! と主張するのなら、それなりの “客観的な証拠” が必要なんだ。そんなものはどうせ出せるわけがないから大丈夫」 と安心しきっているフシがある。

 

皇室が何年も前から愛子様の替え玉を使ってきている “疑惑” は以前からあり、それを指摘し、問題視するブログもいくつかあるので、この問題はすでに語りつくされているとわたくしザウルスは思っていた。

しかし、皇室がふてぶてしくも替え玉を使って国民を愚弄し続けているのを見ていて、ザウルスなりに “回答” する必要を感じた。このザウルスの目はごまかせないぞ、と。国民をナメるのもいい加減にしろよ、と。 トドメ を刺したろか、 と。

 宮内庁が愛子様として公式に発表している映像の人物が愛子様ではないことを、以下に科学的に、解剖学的に、数値的に実証する。

もはや、愛子様替え玉説は、単なる都市伝説的な “疑惑” などではなくなったのだ。笑い飛ばせる “トンデモ話” ではなくなって、科学的に証明された 否定不可能な“事実” となったのだ。

科学的、論理的に証明するとは、以下のようなことを言うのだ。職業的科学者でなくても簡単にできることなのだ。

 

方法としては、すでについに偽ヒラリーを立証:反論不可能な証拠:全米国民必見の動画!」 という YouTube で用いたのと同じ 目歯比率 (Eye-Tooth Ratio) である。 

 

 

  

 2つの目の瞳孔の中心を結ぶ線を長方形の1辺とし、そこから上の前歯の先端までを、もう1辺とする。

こうしてできる矩形がそのまま “目歯比率” を表すことになる。

 

この比率はかなり若い時期に確定し、終生変わらない。もちろんこの比率は指紋のように個々の人間にとってユニークなものではない。同じ比率の人間はいくらでもいる。つまり、同じ比率で全く違う顔の別人ということはざらにあるのだ。

同じ身長の人間がいくらでもいるのと同じことである。身長が同じだからといっても同じ人間であるとは限らないことは言うまでもないが、この “目歯比率” についても同じことが言える。

 

しかし、もし “目歯比率” が歴然と違っていたら、別人であると断言できる。それもたった1枚の写真ではなく、複数の写真によって、“目歯比率” の誤差が限りなく少なくなれば、もう覆しようもなく、別人ということになる。

 

 

ここまで、最近のニュース映像に現れた愛子様とされる人物の “目歯比率” が 1 : 1.18 であることを見てきた。比率を単に 1.18 と言ってもかまわない。

 

 

次に、この人物が登場する以前の、本物の愛子様の “目歯比率” を確認しよう。

  

これが本物の愛子様である。 比率は替え玉の 1.18 よりもずっと小さく、 1.11 である。

 

 

 

   

 

 

 

さて、次に以下の写真をご覧いただきたい。

  

 

ニセモノの上に本物の “目歯比率矩形” を載せたものである。これの意味することは、本物の愛子様の歯の先端を示す白い線を、このニセモノの前歯がかなりオーバーランしているということであり、すなわち明らかに別人であるということだ。

 

 

 「似ている、似ていない」 といった議論はもはや不要である。「痩せている、太っている」 といった議論も意味がない。

 “目歯比率” がこれだけ違っていたら、同一人物ということはあり得ないのだ。解剖学的に言って明らかに別人なのである。

「なんか違う感じがする」 という印象の一部は、これが原因なのである。

ちなみに、目歯比率が多少成長過程で変化するとしても、それは非常に微々たるもので、ここで比較している二人のそれぞれの誤差範囲がかぶるほどの変化すら生じない。つまり、ここで得られている目歯比率は、この二人を全くの別人として判定するには十分な精度であるということだ。 

この方法にイチャモンをつけるひとは必ず、「成長過程」 と 「撮影角度」 のいずれかもしくは両方を言うのだが、複数の写真を使って算出すると、ある程度安定した一定の比率が出てくるのだ。1枚だけの写真ならイチャモンはつけられるが、複数の写真をもとにした検証の場合は、まるで反論にならない。

1.11 と 1.18 となると、どう足掻いたって、誤差のすそ野すらカブらないほど離れているのである。

 

目歯比率 1.11 と 1.18 の差はこのくらいあると思って頂いていい。

 

  

ニセモノの顔は誰が見ても本物より長い。この愛子様の写真はかなり幼いころのものであるが、 “目歯比率” はこの頃にはほぼ定まっている。 

 

 

 身体的成長の結果、顔が長くなったのだろう」 という幼稚な理屈を持ち出すひとが繰り返し出てくる。しかし、自分の知性のレベルの低さをさらけ出しているだけである。なぜならば、いくら顔が長くなっても、“目歯比率” は10歳を過ぎるとほとんど一定であり、顔が長くなれば、そのぶん、目と目の距離も当然開いてくるからである。比率というものはそういうもので、DNAでほぼ決定されていて、極端に大きく変化することはない。

 

 

 成長過程でたとえ比率に多少の変化が生じても、ここで比較されている二人の比率を複数の写真でそれぞれで平均すると、両者の比率の分布域はかぶることはなく離れたままである。つまり、ここの二人を別人として判定するには、目歯比率は十分に役立っているということだ。

 

これだけひん曲がった顔をしても、目歯比率はほぼ一定である。

 

 誤解のないようにお願いしたいが、

目歯比率はどんな場合でも常に役に立つというものではない。そんなことはどこにも一言も言っていない。比較される二人の比率がほぼ同じ場合だったということはいくらでも起こり得る。そういった場合は、残念ながら目歯比率はたしかに全然役に立たないと言える。

この方法は、或る程度の開きが複数の写真で確認できてはじめて役に立つ方法である。

 

異なる目歯比率の二人のそれぞれ複数の顔写真の計測結果は、理想的には以下の写真のように、分布域が離れている。そして、今回の愛子様の本物とニセモノの分布域も、さいわいに同様に理想的に離れていて、全然かぶっていないのである。

この目歯比率が、あたかも常に万能の判定方法であるかのように勝手に解釈して批判してくるせっかちなひとが必ず出てくるので、ご注意願いたい。

目歯比率は決して万能ではないが、十分に離れた比率の二人の持ち主については、別人であると断言することを十分に可能ならしめるものである。

 

 

以下の写真は、目歯比率が10歳には確定することを示している。

 

この写真はわたしの動画 FAKE Japanese Princess: Eye-Tooth Ratio Reveals Multiple Child Abuse https://youtu.be/G1YgW76qphk の一視聴者 Fibonacci Hemachandra 氏が提供してくれたものである。

 

 同氏は以下のように言っている。

 "Eye-Tooth Ratio" almost never change after the age of 10.

 

 

 

 

こうして並べてみると、“目歯比率” の差だけでなく、“耳の高さ” の差も歴然と違う。

本物の愛子様の耳の高さは目とほぼ同じであるが、ニセモノのほうは目よりずっと上である。

 

 

八重歯の有無

次に、これは数値化するまでもなく明白な相違がある。ニセ愛子には、八重歯があり、これは否定のしようがない。

同一人物だとした場合、これをどう説明するのか?

中学生の女子に3年で八重歯が生えたのか?八重歯のない状態から八重歯のある状態にわざわざ “審美歯科矯正” したというのか? “チャームポイント” を作ったというのか、中学生に? 天皇家が?

まともな歯科医で、この二人が歯科学的に言って同一人物であると本気で主張する人間はいないであろう。

上の2016年の少女と2014年の少女が同一人物であると主張する者は、この八重歯の有無を説明する義務がある。両者の “目歯比率” の違いと併せてきちんと説明してもらおうではないか!

 

八重歯について調べてみると、なんと “付け八重歯” なるものがあるそうだ。1本数万円で付けっぱなしのものと、着脱可能なものがあるとのことだ。

すると、満足に登校もできていない愛子様に、皇太子夫妻が “付け八重歯” を付けさせていたということになるのだろうか?そうならば、その目的は何か?中学生の本人のたっての願いか?母親の雅子様の趣味か?常識的に言って、合理的な説明がつくとはとうてい思えない。

そもそも仮に “付け八重歯” だとしても、それで問題解決というわけには全然ならない。“目歯比率” の相違は説明できないままではないか!“目歯比率” は “八重歯” と違って、変えられないのだ。

やはり、いちばんわかりやすい無理のない説明は、 「両者は別人である」 という当たり前の説明である。これほど一貫性があり、整合的で、証拠がそろっている説明が他にあるだろうか?

 

 

 さて、客観的、科学的、解剖学的、数値的な証明を見てきたうえで、あらためて両者を見比べて頂きたい。

 

 

 

 

「似ている、似ていない」 「可愛い、可愛くない」 以前に、内面からにじみ出てくるものがまったく違う。

それぞれ別の人格が顔を通して現れていると言えないであろうか? 

 

ということは、“天皇家” が “日本国民” を騙しているということにならないか?

  

右はじで手を振っているのは、ニセ愛子である。これを知っているのは皇太子夫妻だけということはありえない。まだ幼い秋篠宮悠仁様以外の天皇家全員が知っているはずだ。知らなかったとは言わせない。 「皆さん、ご存じだったんでしょう? どうなんですか? そうでしょう? はっきり言って下さい!」

彼らは当然本物の愛子様をよく知っているはずであり、このニセモノが本物の代わりに使われていることを十分承知しているはずである。共犯も同然である。天皇家総ぐるみである。

ニセモノを使って本物と思わせる行為ひとを騙す行為 であり、ウソ であり、詐欺 である。大がかりな場合は 立派な犯罪 である。違うだろうか?

 

偽ルイ・ヴィトンも、 オレオレ詐欺も、 ニセ愛子も、 犯罪である。“ニセ愛子” は日本国民を欺く 国家的詐欺罪 である。

 

皇族の面々や宮内庁の関係者も、遅かれ早かれ必ずこの記事を目にすることになるだろう。今からはっきり言っておこう。

皇族たるものは、決して国民を欺いてはならない。

皇族の “不逮捕特権” は、皇族が後ろめたいことをするわけがないという前提のもとにあるのだ。皇族、天皇家の人々は、俗世に横行するウソや諍(いさか)いや虚栄をはるかに超越した人々であるはずだという一般的な日本人の観念を決して裏切ってはならない。

そういった一般人にはできない世間離れした理想的な生活をしてくれていると思われているからこそ、多大な特権を享受することも許容されているのである。日本という国の “象徴” を務めるということは、そういうことだ。

まともな日本人なら、わたしのこの主張に同意するはずである。

  

 

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 YouTube 動画 「愛子様と替え玉: 目歯比率が照らし出す児童虐待?」 コメント欄炎上中!

  

 

 

 

 最新記事!! 愛子様:卒業式 と 入学式 の写真比較  やはり別人!もうごまかせない!

 

 

 ザウルスの 世界の化けの皮” シリーズ

 

ついに偽ヒラリーを立証:反論不可能な証拠:全米国民必見の動画!

 日本人向け(日本語あり)

  

 

 

 プーチンは死んでいる part 1:  元妻の証言!今のは“替え玉”

日本語版

  

プーチンは死んでいる part 2:  処刑前のプーチン、絶体絶命

日本語版

 

 

 現タイ国王はニセ者!(1) 世界は10年騙された

 

 左が10年前に死んだ本物、右が先日死んだニセモノ。

これが同一人物だと言うほうがどうかしている。あなたはどう思うか?

しかし、タイ国民は騙されてきたのである。

                                  

 日本語版

 

YouTube 現タイ国王はニセ者(2)“国王承認”クーデターも無効

  

 左が10年前に死んでいた本物の国王で、右は先日死んだニセモノ国王である。

顔のプロポーションがまったく違う!よくもこんなお粗末なニセモノでタイ国民を騙してきたものだ!

    日本語版

 

 

以上の動画はすべてザウルスが制作した英語版を、わざわざ日本語に訳したものである。

オリジナルの英語版は以下のとおりである。

 

Fake Hillary Exposed with Indisputable Evidence: Every American Must Watch
https://youtu.be/EYV0klJrUEw

 

 

Putin Is Dead!  part 1:  Ex-wife testifies all.  Listen to the truth!
https://youtu.be/daim906rtlY

 

Putin Is Dead!  part 2:  Footage of Putin Before Execution
https://youtu.be/mjsWoCpTbxc

 

 

 

Fake King in Thailand (1): That is not Bhumibol! Wake up, Thai people!
https://youtu.be/zBhwWxMmbww

 


Fake King in Thailand (2): Royal Approval of Coup is INVALID
https://youtu.be/oF-WpyAsbZg

 

 

 YouTube 動画 「愛子様と替え玉: 目歯比率が照らし出す児童虐待?」 コメント欄炎上中!

 

 

 

            


なぜ英語ができないのか ― 英語以前の問題

2013-11-10 12:17:29 | 英語の読み方

同僚の先生たちに訊かれた。

「先生、どうしてうちの生徒は英語ができないんでしょうかね」

以下はわたしの答えである。

「たしかに英語ができない生徒が多いですが、英語以前にそもそも日本語がダメですよね。まともな日本語を組み立てることができない生徒が多いんじゃないでしょうか。

普通の会話でもメールでも、短い文で互いにわかりあってしまう。ちょっと複雑なことを言葉できちんと言い表すということができないですね。日本語でできないことが英語でできるわけがないです。」

==========================

 

高校生に和訳を言わせると、「・・・みたいな感じじゃないっすか。」とか「・・・というか、その、あれですよ、ほら。」といった調子で、言いたいことが相手に伝わらないことに苛立ちを覚えていることがよくある。そこで、「その、アレですよ、ほら。」というふうに認知症の老人のような話しぶりになってくる。17歳、18歳の高校生が、70歳、80歳の老人と同じような認知症的症状を呈してくるのである。

英文和訳をさせると、日本語の実力が本当によくわかる。漢検などよりもずっとよくわかる。漢検はしょせん漢字の知識だけであって、ほとんど暗記でクリアできるものであるが、英文和訳は日本語の運用能力、論理的思考、一般常識が要求される。国語の先生には申し訳ないが、現代国語のテストよりも英文和訳のテストのほうがその生徒の日本語の実力、いや、一般的な言語運用能力がわかるのだ。一部の国語の先生は、このことが分かっている。そういう国語の先生は例外なくある程度英語ができる先生である。英語が苦手で国語の教師になったようなタイプの先生は、はっきり言ってそもそも言葉のセンスがない。考えても見たまえ。外国語に興味を持たない人間に言葉のセンスを期待するほうが間違っている。

さて、以下の文を中学生、高校生、いや普通の日本人に訳させるとどうなるか。

She is studying in her room now.

「彼女は彼女の部屋で今勉強しています」   10人中9人以上がこう訳す。

「彼女は今自分の部屋で勉強しています」 と訳す生徒が1クラスに1人いれば上等である。

 

My father is a teacher. How about yours?

「わたしの父は教師です。あなたの父はどうですか?」 

こう訳して平然としている生徒がほとんどである。たいていの教師もそれを直さないどころか、当人もそう訳して授業している。

「わたしの父は教師です。あなたのお父様何をなさっていますか?」 と訳せるのは大学生にも少ない。日本語の常識では、ひとの親を指して「あなたの父」、「あなたの父親」と言うのはとんでもない失礼なことである。残念ながら、こういうことは学校の国語の授業でも決して教えない。あなたは教わったことがあるか?

 

This library is 28 years old but our shcool is 60 years old.

「この図書館は28歳ですが、わたしたちの学校は60歳です」 と訳して事足れりとしている人間の言葉のセンス。「言いたいことが伝わればいいではないか」という居直りこそが言葉の貧困を招いている。

「この図書館は築28年ですが、うちの学校は創立60年です」

 

Ninety-nine out of a hundred women may have given up, but Marie Curie was that hundredth woman.

「100人の女性のうち99人は諦めたかもしれないが、マリー・キュリーはあの100番目の女性であった」 

この訳はかなりいいところまでいっている。しかし、that  でつまづいている。

「100人の女性のうち99人は諦めたかもしれないが、マリー・キュリーはその100番目の女性であった」  ちなみに、キュリーという名前を知らない高校生は意外に多い。

 

To Benjamin Franklin social responsibility was as much his busisness as trying to discover whether the ant possessed some system of thought communication or to understand how sea shells could be found in the rocks of mountains a mile above the surface of the sea.

この英文和訳問題は大学入試レベルであるが、きちんと訳せる受験生はまれである。たしかに構文は複雑であり、高度ではある。しかし、非常に具体的な事柄を挙げてはいないだろうか。 ant,   sea shells,   rocks of mountains,    the surface of the sea ...  これほど具体物をたくさん挙げている文は珍しいくらいである (蟻、 貝殻、山々の岩、海の表面 ・・・)  この文が何のことを言っているのかの手掛かりは山ほどあるのだ。にもかかわらず、この文の言っていることがつかみきれないのは、一重(ひとえ)に科学的常識、論理的思考が不足しているためである。つまり、そうしたものが欠如している人間にはこれが日本語で書かれていても即座に理解できない内容なのである。そういう頭の人間にどれだけこの英文が和訳できるか。

「ベンジャミン・フランクリンにとって、社会に対する責任は非常に大事なことであった。それは蟻には情報伝達の何らかのシステムがあるのかどうか突きとめようとしたり、海抜1マイル以上の山々の岩の中にどうして貝殻が見つかるのか理解しようとするのと同程度に大事なことなのであった。」

英語以前の問題は多く、それぞれ重大である。英単語をたくさん覚えれば解決するようなことではないのだが、英語教師の側でもそれがわかっている人間は少ない。


”some people” は ”数人の人々”か? (2)

2013-01-04 19:16:23 | 英語の読み方

英語の some という語は実に奥が深く、前回の考察だけでは捉えきれていないというのが本当のところだ。

早い話が、次のような単純な文はどう見る?”部分集合としての some ” ではどう説明するのか?

a) I have some Blu Ray Discs.   ブルーレイディスクを何枚か持っている。

たしかに、いろいろな "disc" のうちの Blu Ray Discs という部分集合であるという捉え方は無理がある。実際、今日ではDVDは持っていなくてもBlu Ray Disc は持っているというひとがいてもおかしくない。

この文と、すでに見た以下の文とを比べてみよう。

b) I have some books written in French.  フランス語で書かれた本を複数持っている。

 

上記の二つの文は非常に似ているが、よく見ると違う。b)では母集団を books, 部分集合を books wriiten in French" と理解できる。しかし、a)ではこれと同じように集合的な階層を想定するのには無理がある。単独の文としては無理である。

なぜ無理なのか。文法的な限定句がない、もしくは文脈的・状況的な限定がないからである。実際には some を含むほとんどの文では何らかの限定があるのがふつうである。単独の文としては限定句がなくても、その前の文やあとの文で何らかの状況が与えられているのである。たとえば、以下のような例である。

 

The railway accident happened in the station. The express train crashed into the train which was waiting to start in the station. The station turned into Pandemonium(地獄絵). It was the worst accident in the last 60 years in the city. Some people were killed instantly.

 

最後の Some people were killed instantly.  はやはり文脈からして「一部の人々」と訳すべきであって、「数人の人々」ではまずいであろう。文脈的、状況的、母集団的に考えて、”数人=5人前後”というわけにはいかないだろう。つまり、some を含む文であって、文の内外から何らかの限定のないケースはむしろ例外であり、たいていは限定がある。以下の例を見ていただきたい。

 

c) Some countries have no nuclear power plants.

d) There are some countries where women have no right to vote.

 

c) 一部の国々には核発電所がない。

d) 女性に選挙権がない国もある。 

 まず、世界の国の総数は現在200弱である。これがc)、d)共通の上限であって自明なことである。ちなみに核発電所を持たない国のほうが世界では多数派である。次にd)であるが、女性に選挙権が無い国のほうが少数派である。

さて、ここまで "some people" が「数人」や「何人かの人々」 という理解ではとらえられない場合があることをみてきた。しかし、このステレオタイプの”一つ覚え”の「数人の人々」がこれほどまでに根を張っているのはなぜだろうか。これはおそらく中学で最初に習う時に刷り込まれたままで来ているひとが多いせいであろう。子どもの世界は家庭と教室であって、人数も母集団比例的にみても"some"といえばたしかに「数人」である場合が多いのだ。また英語の授業の例文でも、some students, some classmates, some books,  some CDs,  some pencils, some apples ・・・ というような材料が使われているので実際に、"some"=「3~6」にあてはまる場合が多いのである。高校くらいになるとsome cities in Europe, some people in Japan というふうに世界が広がってきてそれにつれて母集団比例的な理解が必要になってくるのだが、教師の側も気づかずに生徒が「日本の何人かの人々は・・・」と訳してもマルにしているのである。

結論: "some"は状況依存的、母集団比例的に理解せよ。

 

 


”キンドル3” 無料主義的活用法 

2011-06-11 07:36:29 | 英語の読み方

「本は、アナログの最後の砦」

2007年にアマゾンのCEOのジェフ・ベゾスが、キンドルを発表したときに、彼が「本はアナログの最後の砦」と言ったのが、頭からずっと離れない。彼はこのように言っていた。「なぜ本はアナログ最後の砦なんでしょう。本はデジタル化を頑なに拒んできました。高度に進化し、本という器に最適なかたちになったため置き換えが困難なのです。本の一番大事な機能は「姿を消す」ことです。つまりわれわれは読書する時にはみんな状況の流れが飲み込めているので、糊、紙、縫合などそんなことは何一つ考えなくて良いわけですね。残されたものは作家の世界だけ。そこに真っ直ぐ飛んでいける。」 私は、この男ほど本というものについて考えている人間はいないなと思い、以来一目置いていた。

ネット書籍店のアマゾンが、電子書籍端末という”自殺行為的”な商品を発売し始めた4年ほど前から、いつか買うことになると思っていたが、つい先週、メリットのほうが大きいといよいよ判断して購入した。今まで気になりながらも買わずにきたのは、以下の理由からだった。

1) 紙の本への愛着 (たとえば、読んだ後、その本が身辺にゴロゴロしていないとさみしい)

2) キンドル版書籍のほうが安いといっても、アマゾンマーケットで中古本を安く買うほうが安い

3) ベストセラーはさほど読まず、多く読むのは専門書が多く、キンドル版が少ない

4) インターネットと同様、電子書籍はできるだけ無料で読まなくては、という”無料主義”(単に金が無くてケチな人間のスタンス)

5) 版権切れの無料で読める人類の知的遺産は、キンドルでなくともパソコンで無料で読める

6) 新しい本は無料版が少ない

7) 価格が自分にはまだ高い(無料主義の私だが、さすがに端末にまで無料を求めてはいない)

 

無料主義者、キンドルの軍門に下る

ところが、円高の影響で、最後の、7)の価格の問題が小さくなってきた。キンドルのあたらしいバージョン、キンドル3が1万6千円くらいで買えるようになってきた。キンドルが初めて出てきた4年前には三万5千円以上はしていたはずだ。iPadの旧タイプでも6万円しているのに比べると、たしかに別種の端末ではあるが、割安感はある。人間、現金なもので、安いとなると、上の買わない理由の1)から6)までも全部見直し始めることになる。1)の理由も今度は、本の置き場所に困るという、読書家の永遠の悩みを解消することこそ電子書籍の福音の最たるものではないかと思えてくる。2)、3)は、キンドルを手に入れても両立するので、より安いものがあればそちらを買うし、キンドル版がなければ紙の本を買うだけである。4)は今でも変わらないが、実は、私が読むものは、書籍だけではなく、ネット上で公開されている論文などもある。それらをダウンロードしてキンドルで読めるように変換する方法があることを知った。これはすごいと思った。実際にやってみたが、そんなにむずかしくない。5)の版権切れ書籍については、別のページで「プロジェクト・グーテンベルク」の話でも触れたが、キンドル版に変換してあるものがどんどん増えてきている。6)について言えるのは、新刊本で無料のキンドル版であって、この自分にとって読むに値するようなものは非常にまれであって、探し出す労力にほとんど値しない。

 

せめてファイルはタダで集めよう!

さて、いま現在での使い方であるが、まず無料ダウンロードして今の私のキンドルに入っているファイルは以下のようなものである(2週間後にはだいぶ変わっているだろう)。読みたいからというより、どんなものがネット上で無料で手に入れられるかという立場で試験的にざっと集めてきただけなので、この私のふだんの読書傾向とはだいぶ違う。キンドル本体には金を払ったが、中身はとにかくタダだ。

Le Journal d'Anne Frank.............. Felderer Dietlieb 

A Hunger Artist .......................... Franz Kafka

Aesop's Fables ........................... Aesop

Robinson Crusoe ........................ Daniel Defoe

蜘蛛の糸 ..................................... 芥川龍之介

In the Penal Colony .................... Franz Kafka

The Hoax of the 20th Century ...... Arthur R Butz

The Third Truth of 911 ................. Dimitri Khalezov

Stand By Me ............................... B. E, King

 これからも無料本をガンガン集めるつもりである。

ちなみに、最後の Stand By Me は、YouTubeからMP3 で入れた歌である。キンドルはウォークマン代わりにもなる。スピーカ付きで、しかも両角に付いていてステレオである。これは便利である。私はYouTubeなどで公開されているいろいろな人の講演やインタビューもよく聞くのだが、それらもMP3の形式で取り込めるのは、キンドルのうれしいオマケだ。

左が初代キンドル(2007年)、 右が現在のキンドル3(2011年)

(続く)

加筆(1):

さて、キンドルに音声再生機能が付いていることは、すでに少し触れたと思う。英語の本を音声で聴くことができるということは買った最初からわかっていた。ただ、それはオーディオブック版の書籍がキンドルで再生できるということなのだろうと思っていた。自分で勝手にお金をかけずにダウンロードしたインターネット上のテキストまで読んでくれるなどとはまったく期待していなかった。ところが、違ったのである。英文テキストであれば、何だって読み上げてくれるのである。これには驚いた。別に小説でなくたって読み上げてくれるし、テキストの内容にかかわらず何でも英語なら読んでくれるのだ。ふつう、機械的な音声読み上げというものは駅のアナウンスにしても、電話のメッセージにしても、どうしても不自然なものである。しかし、このキンドルの英文読み上げは、確かに機械読み上げではあるが、日本語の機械読み上げほど不自然ではない。ネイティブの耳にもよおく注意して聞かないと機械読み上げとはわからないようである。つまり、われわれ日本人には十分使えるものである。液晶画面でテキストを見ながら音声での読み上げを聞いてもいいし、テキストをいっさい見ないままイヤフォンで音声朗読だけ聴いていてもいいだろう。音声読み上げだからといって余分の料金が発生するわけではないのである。これってスゴくないだろうか。おそらく視覚障害者にとっては大きな福音となっていることだろう。私のこのサイトでも英語の勉強に役立つものをいろいろ紹介してきているが、この電子書籍の端末機は価格的にも、必要な機能の観点からしても優にアップル社のipad を凌ぐものだろう。

加筆(2):

ネット上でダウンロードできる英語の書籍は、版権切れのものにかぎらない。最近出版されたばかりの本もあったりする。さまざまなものが、本一冊まるごとダウンロードできる場合もめずらしくない。また、書籍のかたちになっていなくても、ありとあらゆる著述業の人間が、自分のサイトで自説を公開している。最新の論文を、本のかたちになる前に電子書籍で読み、かつ朗読で聴くことができる。さて、今まで書き忘れていたが、キンドルの読み上げ機能は、スピードの切り替えが可能である。ノーマル、速い、ゆっくり の3段階である。語学学習に理想的である。ノーマルでわからなかったら、ゆっくり、で始めるといい。ノーマルで聴いてわかるなら、速い、で聴いてみるとよい。速聴の訓練になる。

 


イソップ物語をタダで速読する

2010-05-06 08:00:06 | 英語の読み方

イソップ物語のいくつかは、英語でも読んだことがあるだろう。短くて、わかりやすいので、英語の初級の教材としてはよく使われる。これを今度は、速読の教材として使ってみたまえ。イソップ物語をほとんど網羅した英語の本もさがせばあるだろうが、お金をかけることはない。速読で読むものにお金を使うことはない。

「イソップ物語」は著作権が無い。版権が無い。著作権切れの作品は、ネット上で無料で手に入れられる場合がある。以前にも紹介した、Project Gutenberg に行けば、いくらでもあるのだ。それもなかなかいい挿絵つきだ。人類の知的遺産を、遠慮せずに大いに活用しようではないか。

プロジェクト・グーテンベルク 「イソップ物語」

http://www.gutenberg.org/files/19994/19994-h/19994-h.htm

 数多くある話の中から、一つだけ紹介しておこう。

THE DOG AND HIS REFLECTION

A Dog, to whom the butcher had thrown a bone, was hurrying home with his prize as fast as he could go. As he crossed a narrow footbridge, he happened to look down and saw himself reflected in the quiet water as if in a mirror. But the greedy Dog thought he saw a real Dog carrying a bone much bigger than his own.

If he had stopped to think he would have known better. But instead of thinking, he dropped his bone and sprang at the Dog in the river, only to find himself swimming for dear life to reach the shore. At last he managed to scramble out, and as he stood sadly thinking about the good bone he had lost, he realized what a stupid Dog he had been.

It is very foolish to be greedy.

(最後に教訓がついている)

 

 


永遠の英語教材: 英字新聞

2010-02-22 17:53:00 | 英語の読み方
以前にも書いたことだが、英語の勉強に役立つ教材の中で、私は英字新聞を第一に挙げている。新聞とは言っても、最近は必ずしも紙の新聞ではなくて、ネット上の電子的新聞の場合もあろう。新聞とは、要するに”ニュース”である。新しい情報が活字で提供されていれば、それは”新聞”である。

政治、文化、スポーツ、芸能、経済、科学、テクノロジーといった分野にわたって、世界中で新しい情報が日々発信されている。たとえば、日本ではいちばん信頼性のある英字新聞とされているJapan Times を1部買ってみよう。この1部10数ページの新聞の含んでいる英語での情報量は相当なものである。もちろん広告も多いが、広告も世の中を反映する重要な情報と言える。

また、記事の内容によっては、中高生にほとんど縁が無いようなページや記事も多い。それでも、テレビ番組欄もあれば、マンガもあれば、スポーツ欄もあれば、投書欄もある。そもそも新聞と言うものは、自分の興味のあるところだけ読むものである。すべてのページの、すべての記事を読む人もいるだろうが、おそらく他にすることのない、ヒマすぎてかわいそうな人だろう。

新聞の記事が英語の教材に使えるということは理屈では分かっている。それでは、われわれ英語の教師がそんなに頻繁に英字新聞を授業などで使っているかと言うと、そうでもない。それにはわけがある。

第一に、英語の教師自身が全員英字新聞を読んでいるわけではない。たしかに、英字新聞を購読していなくても、英字新聞を読むことはできる。問題は、記事の選択にある。中高生にふさわしい記事というのは英字新聞に掲載されている無数の記事のうちで、はたしてどれだけあるだろうか。「北朝鮮、核施設査察拒否」「「カブールで自爆テロ、26人死亡」・・・ 生徒には明るい話題でなくてはいけない、と言うつもりはない。パンダの赤ちゃんが生まれた、○○さんがスペースシャトルに乗る、ハリーポッターの新作映画が公開された、もいいだろう。しかし、そういった口当たりのよく、甘い記事は決して多くはない。また、中高生自身もそういったニュースばかりでは物足りなく、飽きてしまう。

中高生が好むような記事はたしかにある。しかし、それは少ない。少ないということは探すのに時間、手間がかかるといことだ。しかも、何の編集もせずにそのまま使えるものはさらに少ない。長すぎるものは短縮、圧縮するといったった手間がかかる。

実は”中高生が好むような記事”というのが、くせものである。というのは、中高生は大人になる途上にあるわけで、好みも流動的である。さらに、教師・大人は、生徒・子供を固定的に考えず、知的レベルを引き上げ、彼らの世界、視野を広げてやるという視点も持つべきであろう。お菓子ばかり食べさせないで、まともな食事も摂らせる必要があるということだ。チョコレートやクッキーだけでなく、ブロッコリーやレバーも食べさせるということでる。

そのためには、あえて、生徒たちが現時点では自分からは興味を示さないような記事も適度に”混ぜて”いく必要があるだろう。彼らの世界を広げる意味で、そういった編集、配合をすれば、自然とお子様ランチを脱することができるようになるだろう。

たとえば、以下のような配合で、生徒たちに新聞記事を提供していく方法がある。私が実際に教材としたものから挙げてみる。


●以下の第一のタイプの記事は、言うなれば、”クッキータイプ”の記事であって、生徒が手を出す、生徒に食べやすい記事である。

11-year-old Japanese girl to become pro Go player

1st Japanese convenience store opens in Vietnam

Raccoons damage Japan World Heritage sites

Avatar breaks Titanic's box-office record

Harry Potter Author J.K. Rowling Accused of Plagiarism

John Lennon Museum in Saitama to be closed

EcoChic Fashion Preserves Biodiversity

Saudi Girl Sentenced to 90 Lashes for Carrying Cell Phone to School

Woman Who Hid Anne Frank from Nazis, Dies at 100


●以上のような記事のあいだに、以下の第2のタイプ、”ブロッコリータイプ”の記事も入れていく。比率としては、クッキー3回につき、ブロッコリーを1回くらいから始めて、最終的には2:1ぐらいにもっていく。受験生は1:1でもいいだろう。

Australia may file appeal against Japan's whaling

WHO: Risk of Epidemics in Haiti Increasing

China sternly protests Obama, Dalai Lama meeting

Truck, Bus Texting- While-Driving Banned

Researchers Unravel Soybean's Genetic Code

Japan's oldest human bone discovered in Okinawa

Researchers Discover Stuttering Gene

Study: King Tut Died From Malaria, Broken Leg


●「新しい情報が活字で提供されていれば、それは”新聞”である。」と最初に書いた。しかし、その情報がリアルタイムで新情報ではなく、古いものでも、子供や生徒にとって、また大人にとってもそれが”未知”の情報、興味を引くようなものであれば、それは”ニュース的価値”がある。たとえば、以下のようなものである。こういうものはストックしておいて、いつでも使えるメリットがある。これら日持ちのする漬け物タイプは、言わば、”ピクルスタイプ”である。こういうタイプもときどきおかずとして出すのがいい。

How To Fall Asleep: Some Tips

Low Calorie Oatmeal Cookies: Recipes

Fun Facts About Jupiter and its Moon

How to Make Pancakes


ノンフィクションの英語は小説より楽だ

2009-12-15 14:52:18 | 英語の読み方
映画でも本でも、英語というとフィクションや小説を思い浮かべるひとがほとんどだ。映画というとファンタジーでも、アクションでも、ロマンスでも、フィクションがほとんどだろうし、英語のペーパ-バックというと、やはり小説が大半を占めるだろう。たしかに小説などのフィクションのジャンルは読者を楽しませるのが目的であるから、それなりに読者を惹きつけるようにできている。

しかし、である。小説やフィクションは語学の勉強にとって最良の教材かどうかは疑問であると常々私は思っている。私が英語の文章教材としてまず頭に思い浮かべるのは、時事ニュース(新聞、ネット)である。次にインターネットの英語サイト、次に科学系英語(新聞、雑誌、ネット)、そして最後に、小説である。この順になる根拠を以下に挙げよう。


1) 面白いこと、興味を惹くこと

この点では、すべての教材はだれかにとっては面白いものである可能性があるだろう。ただし、フィクションの小説はたしかに娯楽として人気がある。しかし、ノンフィクションに入る科学ものや歴史ものが面白いというひともけっこういるわけであるから、この基準に関して、小説がトップであるとは必ずしも言えない。



2) 手に入れやすいこと、費用が安価であること

英語の小説、特にペーパーバックは、日本語の本に比べてたしかに安いと言える。しかし、ネットで得られる時事ニュースはタダ同然で、いつでも最新のものがいくらでも飛び込んでくる。蛇口をひねって出てくる水よりも安いと言える。また、ノンフィクション系の英語の本もペーパーバックでけっこう安く手に入るので、ここでもフィクション、小説がトップに挙がってくることにはならない。



3) 文章、文が短いこと、難しい語が少ないこと、文が難しくないこと

この点に関しては、時事ニュースがいちばんであろう。小説よりは新聞記事のほうが短いだろう。また、作家やジャンルにもよるが、小説の文は読者を惹きつけるためにレトリック、仕掛け、暗示的表現、省略が多く、ある意味で読みにくく、意味が取りにくく、わかりにくい。逆にいうと、そういうヒネリによって作家は読者を楽しませているのであって、それこそが作家の本領なのだ。ノンフィクション系、特に科学系の英語は、そういったヒネリがほとんど無いので、科学的な語彙に慣れさえすれば、すいすい読めることが多い。

たとえば、小説ではたいてい会話文が出てくる。そして、会話文の箇所はふつう文も短いので特に易しいと思っている人も多い。ところが、必ずしもそうではないのだ。省略やヒネリが多用されているので、上滑りな理解で読み進んでいると話がわからなくなってしまうのだ。こういった盲点に気がつかないで英語の小説を読んでいるひとがけっこう多い。


4) 予備知識が援用できること、種類が豊富であること

時事ニュースの場合は特に他の情報チャンネル(TV、ラジオ、ネット、口コミ)からの同内容の情報があふれているので、英語でも内容がつかみやすい。さらに、映像、画像などによって理解が助けられていることも多い。また、時事ニュースでは時々刻々と新しいものが出てくるので、自分の興味のあるものだけを選ぶことができる。

予備知識とは言えないかもしれないが、英語の小説を、先に日本語の翻訳で読んでおいてから、取り組むという方法もある。特に惚れ込んだ作品の場合は、ぜひお勧めしたい方法だ。多少費用が割高になるが、気に入ったものならば惜しくはないだろう。

ノンフィクション系の英語の場合も、すでに持っている知識に助けられて、たとえば、火星の水についての記事、マルコポーロについての記事を読むこともできる。そういった系統の情報は書籍でもネット記事でも手に入る。書籍ならば、やはり アマゾンドットコムで探すのがいちばんだろう。アマゾンでは、最初の数ページをネット上で見せてもらえるので、難易度もある程度チェックできる。

以上、自分の経験をふまえて、小説以外のジャンルの英語のメリットを挙げてきた。ノンフィクションとしては、上に挙げてきたような科学系、歴史系以外にもいろいろある。ハウツーもの、伝記もの、趣味のもの、旅行ガイド 等々。

私自身、小説も好きだが、ノンフィクションの科学系も好きでよく読む。科学系は小説より難しそうに思え、とっつきにくいイメージがあるようだが、実際は小説よりも読みやすい。もちろん自分が興味を持っているテーマのものを選ぶべきだろう。UFOでもいい、アリの生態でもいい、肥満の原因についてでもいい、環境問題でもいい。頭の中の日本語の科学知識が徐々に英語に変換されていくのを感じるはずだ。

易しすぎる!英語の数字の読み方

2009-12-09 11:10:53 | 英語の読み方

次の数字を英語で読んでみたまえ。

 

1)     10,000 yen  (日本語では、  1万円)

2)   100,000 yen  (日本語では、10万円)

中学生、高校生で上記の数字を即座に英語で言える生徒は少ない。なぜか。それは、英語が、日本語に比べて、数の表現体系が実は呆れるくらい簡単であることを知らないせいである。日本語のほうが実は非常にわかりにくい数の表現体系を有しているのだ。そしてそれに慣れているために、英語ならなおさら難しいものだと思いこんでいるためである。

話を具体的にしよう。

               10 yen   (ten)

             100 yen  (one hundred)

           1,000 yen (one thousand)

ここまでは中学生でも言えるはずである。そして、ここまで言えれば、かなりのケタまで言えることになるのである。というのは、コンマで区切って、算用数字のまま読めばいいからだ。単純すぎて拍子抜けするくらいだ。

            10,000 yen               ( ten   thousand  yen

          100,000 yen   ( one hundred   thousand  yen

           1,000,000 yen (million = 1,000 x 1,000 )

1,000 yen x 1,000 = one million  yen (千円札が千枚で、百万円と考えてほしい)

● million  ミリオン 「百万」 について

「ミリオンセラー」というのは、本などで、100万部売れた場合に冠せられる言葉である。"millionaire"「ミリオネア」 というのは大金持ちと言う意味で、「百万ドルの夜景」といったような言い回しも同じ発想からきている。日本人の「数概念」には、百万が”千掛ける千”という観念が欠如しているが、欧米の数概念には、1,000 x 1,000 = million というシステマチックな観念がちゃんとある。

それでは、 million から上のケタを見ていこう。

            1,000,000 yen (million)

           10,000,000 yen ( ten million) 頭の2ケタを読み、そのあとがmillion である。 (一千万円)

         100,000,000 yen ( hundred million) 頭の3ケタを読み、そのあとが million である。(一億円)

       1,000,000,000 yen ( billion = 1,000 x 1,000 x 1,000  = 十億円)

● billion  ビリオン 「10億」 について

1,000 x 1,000                        が、 million だった。

1,000 x 1,000 x 1,000              が、 billion である。

     次が、トリリオン 「兆」である。

1,000 x 1,000 x 1,000 x 1,000 が、 trillion である。

 

非常に規則的なケタ上がりでシステマチックである。そのため覚えやすい。ここでも、日本語では体系的な規則性に欠けるきらいがある。たとえば、千、百万、十億、兆と並べて、それらが等比数列であることがすぐにわかる日本人がどれだけいるか。英語ではこの4つは以下のようになる。

thousand   ( 1,000 ) 千

million       ( 1,000 x 1,000 ) 百万

billion        ( 1,000 x 1,000 x 1,000 ) 十億

trillion       ( 1,000 x 1,000 x 1,000 x 1,000 ) 一兆

このように、3ケタずつ上がっていくので、その間は、ten ~、 hundred  ~ でつないでいけばよい。

      thousand   ( 1,000 ) 千

 10, thousand 一万

100, thousand 十万

 

       million       ( 1,000 x 1,000 ) 百万

  10, million 一千万

100, million 一億

 

       billion        ( 1,000 x 1,000 x 1,000 ) 十億

  10, billion 百億

100, billion 千憶

 

       trillion       ( 1,000 x 1,000 x 1,000 x 1,000 ) 兆

  10, trillion 十兆

100, trillion 百兆

 

欧米の数体系は、3ケタ区切り 

以上、英語の、というか、欧米の数の表現方法を見てきたが、重要な点は、3ケタ区切りということだ。そして、算用数字の表記も3ケタ区切りなので、言葉と数字が一致しているのだ。あらためて見てほしい。

1

10

100

 

1,000     (1,000 ) =   thousand

10,000

100,000

 

1,000,000     (1,000 x 1,000 ) =   million

10,000,000

100,000,000

 

1,000,000,000    (1,000 x 1,000 x 1,000 ) =   billion

 

日本語の数体系は、4ケタ区切り

それに対して、日本語の数表現では、以下のように、実は4ケタ区切りでできているのだ。これはこれで規則的でシステマチックとも言える。しかし、大きな問題がある。以下は、日本語の数表現に従って表記した4ケタ区切りの算用数字である。(このケタ区切りは実際には使用されていないので注意されたい)

1   一

10   十

100   百 

1000   千

 

1,0000 一万 (1 万) ここから、「万」が4ケタ続く。

10,0000 十万 (10 万)

100,0000 百万  (100 万)

1000,0000 千万  (1000 万)

 

1,0000,0000 一億 (1 億) ここから、「億」が4ケタ続く。

10,0000,0000 十億 (10 億)

100,0000,0000 百億 (100 億)

1000,0000,0000 千憶 (1000 億)

 

1,0000,0000,0000 兆 (1 兆)ここから同様に「兆」が4ケタ続く。

さて、ここまで見てきて気がついたひともいるだろうが、今日の日本語では、算用数字も当たり前のように取り入れているが、算用数字の表記は3ケタ区切りである。しかし、日本語の数表現は4ケタ区切りのままなのである。そこで、算用数字のケタ区切りと、日本語の数表現 のケタ区切りとの不一致が生じる。 しかし、われわれ日本人はこの不一致、不整合を解決して一本化することなく、日本文化の宿命として受け入れているのである。これは正に"二"本文化と呼べるだろう。同様の二元性は、日本のキーボードの半角と全角の両用にも見られる。欧米には全角はなく、半角だけである。日本人はあらゆるところで複雑なことを背負い込んでいるのである。

100,000

日本語を学んでいる外国人には、これが "10"万円であることはとても理解できないのだ。たしかに、どこを見ても "10" は見当たらないではないか。

 


「ハリーポッター」の英国版と米国版

2009-07-25 18:46:43 | 英語の読み方

ハリーポッターの作者、J.K.ローリングはイギリス人であり、書かれている言語は英国英語(British English)である。しかし、アメリカの出版社はその版権を買って、著者の許可を得た上で米国英語(American English)に変換することが多い。同じ英語でも、若干微調整をするのである。変更は、スペル、語彙、フレーズのレベルがほとんどである。両者を比べてみると、いくつかのパターンが見えてくる。それを見つけてほしい。

 たとえば、Harry Potter and the prisoner of Azkaban 「ハリーポッターとアズカバンの囚人」のUK版とUS版では以下のような違いがある。ごく一部を紹介する。

    UK  /  US

●torch  /  flashlight

●letter box  / mailbox

●queu  /  line

●timetable  /  schedule

●rubbish  /  bad

●problem he  /  problem that he

●Next moment /  A moment later

●nor do I  / Neither do I

●second from last /  second to last

●mad  /  insane

●at weekends  /  on weekends

●check I'm happy  /  check if I'm happy

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Harry Potter and the Half-Blood Prince 「ハリーポッターと謎の王子」の場合は、以下のような違いがある。これらは、相違点の全体のごく一部である。

    UK / US

●woman called Narcissa  /   woman named Narcissa

●he had  toothache   /  he had a toothache

●Philosopher's Stone  /  Sorcerer's Stone

●upwards  /  upward

●outside Hogwarts  /  outside of Hogwarts

●so short that they did not  /  so short they did not

●onwards  /  onward

●gazed at each other  /   gazed at one another

●as though he were expecting /  as though he was expecting

●There was silence.  /  There was a silence.

●backwards  /  backward

●who was turning slowly purple /  who was slowly turning purple

●You've got a nerve, boy!  /  You've got nerve, boy!

●afterwards  /  afterward    

●narrow slanting writing  /  narrow slanted writing

●Harry leant   /  Harry leaned

●what I have shown you  / what I have showed you

●who gestured to him to retreat  /  who gestured him to retreat

●bloody footprint which showed /  bloody footprint that showed

●She looked disorientated  /  She looked disoriented

●half an hour  /  half hour

●The staff was seated   /  The staff were seated

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 Harry Potter and the Goblet of Fire 「ハリーポッターと炎のゴブレット」 では、以下のような相違がある。目につくものだけリストアップした。

  UK / US

●puddings / desserts

●got your test / passed your test

●prevent them using / prevent them from using

●pointing at  /  pointing to

●at weekneds /  on weekends

●twenty-foot-high  /  twenty-feet high

●biscuits  /  cookies

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