1年12ヶ月あるうちで、いちばん発音で問題となるのは、この F e b r u a r y (2月)である。これはネイティブスピーカーでもいろいろ意見が分かれる月の名である。このブログでは、発音記号が表示できないので、このテーマはやめようかと思ったのだが、あえてカタカナ表記で語らせていただく。
まず1つ前の J a n u a r y であるが、これは全く問題なく、ほとんど誰でも正しく発音しているだろう。あえて(以下この前フリは略す)カタカナで表記すれば、以下の通りである。
J a n u a r y → ジャニュ エリ
それでは、F e b r u a r y はどうなるか。
F e b r u a r y → 1) フエビュ エリ
2) フエブリュ エリ
ご覧のように、実は2通り存在するのである。 さて、発音で2通り存在すると、
a) どちらが古いか
b) どちらが多いか
c) どちらが正しいか
が問題となる。
F e b r u a r y のスペルに、より忠実な発音は、2)の フェブリュ ェリ であり、歴史的にも、2)の発音のほうが古いと言える。そして実際にその通り発音している人も存在する。
しかし、である。今日英語圏で最も多く発音されているのは、1)の フェビュ ェリ である。要するに、1)の フェブリュ ェリ が英語国民にとっても発音しにくかったからである。 理由はおそらくこのあとに続く小さな母音の a (ェ)のすぐあとに再び r y (リ) というr 音が現れるからである。 b r u という音節はアクセントのある強く発音する音節の直後であるために弱音化するが、さらに、その後にr 音が続くという非常にまれな音素配列であったために、弱音化が進む。しかも母音の谷間に位置しているためにその弱音化がさらに進む。そのために最後にはすっかり消失してしまう。
ラテン語起源の造語である F e b r u a r y には、アクセントのない r 音がほぼ連続しているという点でもともと英語の発音として無理があったのかもしれない。 r 音が続いている他の例として、 r u r a l があるが、最初の r を含む音節にアクセントがあるので、消失は起きない。けっきょく b r u の中の r は、 アクセントのある強い"F e" と、次のr音を含む "a r y" のはざまで圧縮の憂き目にあい、人々の舌で転がされるうちに摩耗して消える運命にあったのである。
ただし、歴史的に省略への道筋をたどったわけであって、それが決して発音不可能というわけではないので、 フェブリュ ェリ と器用に発音しているひとは英語国民にもちゃんと存在する。存在するどころか、そのひと達はそういうものだと思って発音しているのである。彼らに言わせれば、「だって、スペルがそうなっているじゃないか!」ということである。ただ、英語ほどスペル通りに発音しないことで有名な言語もないのだ。 move love cove の母音はどうだろう。また逆に to too two や site sight cite といった、異なるスペルの単語が同じ発音というのも英語ではごく普通のことだ。スペル通りに発音するのが正しいとあくまでも主張する方には through もお願いしたい。 psychology や comb もぜひお願いしたい。
さて、先ほどの3つの問いにあらためて回答しておこう。
a) どちらが古いか → 2) フエブリュ エリ
b) どちらが多いか → 1) フエビュ エリ
c) どちらが正しいか → 1)、2) の両方とも正しい。
日本人の不得意な r 音 の1つ多い2)の フエブリュ エリ に執着するよりも、日本人には(比較的)楽な 1)の フエビュ エリ にしておくほうが、少なくとも日本人には無難であろう。英語のネイティブスピーカーでも発音しづらいから フエビュ エリ のほうが多くなってきたのである。
<追補>
ちなみに、2通りの発音がある場合、片一方はもう一方が発音しづらいために出てきた簡易バージョンという場合がよくある。
c l o t h e s (服) という語もそうである。発音は以下のように、2通りある。
c l o t h e s → 1) クロウズ (簡易バージョン)
2) クロウズズ
[th]
1)は2)のあとから出てきた簡易バージョンで、この発音はなんと、 th の発音をそっくりそのまま落とした発音である。まるで th の発音の苦手な日本人のために用意してくれたような発音であるが、これは、れっきとした英語の発音である。辞書で確かめてみたまえ。”クロウズ”ということは、結果的には 動詞の c l o s e と同じ発音になっている。
しかし、この場合でも、この簡易バージョンの存在を知らずに、スペル通りの 日本人の不得意な th の入ったほうで文字通り舌を噛みそうになって発音している日本人は多い。中高生だけではない。大学生や大人でもけっこういる。知らない人は永遠に苦労しているという例である。