あらかじめ断わっておくが、これから述べることは、紙の辞書であるか、電子辞書であるかには関係がない。実は、すでに紙の辞書の時代から存在する問題である。
明治以来、日本の英語教育には、「辞書を引くのはいいことだ。」という考え方がある。
「わからなかったら、すぐに辞書を引け!」
「何のために辞書があるんだ!?」
「辞書を忘れてきて英語の勉強をしようなんて、兵隊が鉄砲を忘れてきたのと同じだろ!」
ほとんどの英語教師にとって、辞書というものは、ほとんど“聖典”のようなものである。
そういった英語教師たちにとって、英語の勉強の基本は、“辞書を引くこと”である。であるから、そういった教師にとっては辞書を引くことは“いいこと”に決まっているのである。そう思わない英語教師を今まで見たことがないし、英語のプロではない塾講師や予備校講師となるとなおさらそうなのである。
私がそういった考え方に疑問を持つようになったのは、自分のいくつかの“外国語経験”“辞書経験”からである。英語教師になってしばらくしてから、あらためてフランス語に本腰を入れて勉強し直した。別の外国語を初心に帰って学習すると、生徒の気持ちを追体験できるものである。フランス語がある程度のレベルになってから、次はドイツ語を始めた。そして数年後には中国語を始めた。そうした複数の外国語学習の自分の経験と、教師としての生徒観察から、いくつか言えることがある。
1.未知の語でも、辞書を引かずに文脈や前後関係から見当をつけられることがある。
2.辞書を引いてわかるのは当たり前、辞書を引かずにわかるほうがエライ。
3.辞書に頼れないときは、自分の頭をフルに使う傾向がある。(試験のとき)
4.辞書に頼り切っているときは、自分の頭をあまり使っていない。(惰性的な予習、嫌々やっている問題集)
5.すぐに辞書を引かないで、まず推理する習慣をつけると、実力試験に強くなる。
● すぐに辞書を引くのは敗北主義!
ふだんから、未知単語に出くわすたびに何も考えずに辞書(電子辞書であれ、紙の辞書であれ)を引いていると、いつまで経っても自分の頭を使うことを覚えない。自分の頭を使って未知の単語の意味を推理するせっかくの訓練の機会を毎回逃している。それだけではない。わからない単語に出くわしたらすぐに辞書を引くという習慣がついてしまうと、試験の時にわからない単語が出てくれば(普通のことだが)、もう無意識に最初から投げている。なぜか?手元に辞書がないからである。どうせ考えたってわからないんだから、辞書を引いたほうが早い、と思うのは、最初から可能性を否定した敗北主義である。敗北主義者は敗北する。ふだんから未知の単語が出てきたら推理する習慣をつけている人との大きな差が、特に長文問題で出てくると思っていい。
● ひらめき、カンは“翼(つばさ)”だ!
わからない単語が出てきたときにすぐに電子辞書のキーを叩く習慣がついてしまうと、推理する力が委縮してくる。そして、脳の中の、“ひらめき”や“カン”を司る領野が鈍化してくる。つまり、翼があるのに飛べなくなってしまうのである。実際、わからない単語を見ると反射的にキーを叩くひとは、“推理”いや”頭を使うことじたい”が時間のムダだと思うようになるかもしれないし、“ひらめき”、“カン”というものは邪道だとさえ思うかもしれない。たしかに、 “辞書を引く”という、大抵の英語教師が太鼓判を押す正道を行っているのであるから、そう思うのも無理はないかもしれない。ところがである。人間の認識活動において、ひらめき、カン、推理ほど大切なものはないのである。
● ひらめき、カンをもっと使え!
ひらめき、カン、推理というものは、天才だけに与えられた能力ではない。なぜか学校教育では、この“ひらめき”や“カン”といったものを、価値の低いものと見做す傾向があり、それらで的中した場合でも、“まぐれ”、“山カン”、“テキトーに言っただけ”と呼ばれ、まともに扱われない。ひらめき、カンは“飛躍”である。理屈を超えた認識方法である。推理は、その飛躍を助け、“洞察”をもたらす。理屈を超えた認識方法とは言っても、当然、その人が持っている知識や経験の総体が脳内で集中的にスキャンされて働くものであって、ある程度の頭脳的な集中力が必要である。しかし、これをふだんから使うようにしていると、いわゆるカン、ちょっと気取って言うと、洞察力が働くようになってくる。
● 長文対策と思え!
未知単語の意味を推理する能力をふだんから養っていると、いわゆる長文問題に強くなってくる。文脈や文の前後関係から意味を推測できるようになるためには、とにかく、すぐに辞書を引かないことである。誤解のないように繰り返すが、辞書の使用を全面否定しているのではない。実際、私は生徒たちにある単語を辞書で一斉に調べさせることもある。辞書を使わせるときと、あえて使わせないときを目的に応じて切り替えるのが私の方法である。
● 未知単語は2ステップで意味を絞り込め!
ステップ1: まず、辞書を使わずに、文脈・前後関係から見当をつけよ。自分のそのお粗末な頭を振り絞ってだいたいの“見当”をつけよ。
ステップ2: だいたいの見当をつけてから辞書を引き、どのくらい当たっているかを確かめよ。
それこそ見当違いの自分の推理にがっかりすることが多いと思う。当たり前である。最初は10回中2,3回も当たればいいほうである。しかし10回中1回も当たらないということはないはずである。回を重ねるごとに的中率は上がってくる。これは請け合っていい。わずか1年ほどでも、この推理&チェックの方法で辞書を使っていると、的中率は50%を超え、ひとによっては70%くらいになる。注意しておくが、この的中率が100%になることは決してないだろう。「それじゃ意味がない」と思うか、「それでも意味がある」と思うか判断する前に、次のような視点から考えてみることもできるだろう。
いきなり辞書を引かないで、まずは文脈から推理するという“推理訓練”はある意味で、本番試験のシミュレーションである。本番の試験では、ふつう辞書は持ち込めないのである。であるから、ふだんから未知単語に出くわすたびに“推理訓練”をし、“カン”を養っている者は、試験と同じ条件を自分に課して本番試験のシミュレーションをしているようなものである。ふだんからシミュレーションをしている者が本番で有利になるのは理の当然ではないか。