ボストン爆破事件の検証 (3) 二人の“ヒーロー”
いくら客観的証拠、合理的根拠をあげても受け入れたくない人がいるものである。そういう方々はこのページは見る必要がないだろう。
ボストン爆破事件について書き出してから、このボストン爆破事件検証シリーズの親サイトの訪問者数がある日4万人になり翌日には20万人になり、そして35万人を超えた。gooブログでのアクセスランキングでケタ違いの一位になってしまった。自分でも驚いている。“真実”を求める人々がこの世の中にはまだまだいる証拠だと受け止めている。いっぽうボストン爆破事件は長い時間をかけて準備された壮大な“演出劇”であるというわたしの説を裏付ける証拠が次々と上がってきている。この検証“シリーズ”も3回目になったが、証拠が山のようにあるのでどう手をつけようか困っている。まとめやすいものから紹介していくつもりである。
さて、今回のボストン爆破事件で一躍有名になったヒーローが二人いる。
一人は“両足を失った”青年、ジェフ・ボーマン
もう一人は彼の“命を救った”コスタリカ出身の移民、カルロス・アレドンドである。
この“美談”はアメリカはもとより世界中を駆け巡り、とくに中南米の国々ではラテン系の移民の快挙として大歓迎された。
しかし、この“美談”はボストン爆破事件という“大芝居”の中の“エピソード”として書かれたシナリオに基づいて周到に準備され実行されたものである。そんなバカな、と思うならば、以下の根拠を逐一反論してもらいたい。
まず、この“救出劇の美談”の構成を分析したい。
“弱者を救う” と “悪に屈しない” という2つのヒーローの条件(弱きを助け、強きを挫く)が二人に1つずつ体現させられている。カウボーイハットの男が弱者を救うアメリカンヒーロー、そして“両足喪失”男が“苦しみに耐えながらもテロに屈しないアメリカンヒーロー”である。一枚の写真にこれを目いっぱい盛り込んだのは実に見事な演出と言うしかない。ちなみに“両足喪失”男は搬送先の病院で“犯人目撃証言”をして、それによって容疑者のチェチェン人兄弟が捜索されて殺害、逮捕された。つまり悪との戦い、正義の実現に貢献したヒーローということなのである。
この“二人のアメリカンヒーロー”というボストン爆破事件のエピソードは、ニューヨークタイムズにも掲載された以下の写真が典型的に示している。しかし、この写真を見て、あなたは何か変に思わなかったであろうか。
写真A
世界中に配信され、1億人以上の人間が目にしたに違いないこの写真だけでも以下に掲げるような不審点がある。個々に解説していこう。
1 これだけの瀕死の重傷を負いながら、苦痛の表情も見られないし、失神もしていない。
2 さらに、これだけの重傷を負いながら、出血しているようには見えない。
▲ この若者は爆破事件前から両足が無く、写真に見えるグロテスクなものは作り物である。それを装着しているだけなので、多少かゆいことはあるだろうが痛いことは何もないのである。つまり彼はアンピュティー・アクター(amputee actor)であって、意味は“手足切断の役者”である。アメリカにはこういう職業があって、災害場面の演出にリアリティーを与えるために動員されるのである。
“失神”のシナリオはありえなかった。なぜならば、失神していたら車椅子で上半身を垂直に保てず、当然寝かせてストレッチャーでの搬送になってしまうからである。そうなると、“ボストンマラソンの真のアンカー”である“二人のヒーロー”の顔を1枚の写真に納められなくなるからである。そんな細かいことをいちいち考えているだろうか、とあなたは思うかもしれない。いるのである。何としてでも上のような写真を撮って世界中に流してやろうとしている輩がいるのである。それがアメリカの国益になると信じている人間がCIAには10万人以上いるのである。
3 重傷者になぜ車椅子を使うのか。水平にして搬送するのが常識ではないか。
4 後ろの通りを見ると少なくとも100メートル以上はこの車椅子での“真のボストンマラソン”で走って来たようだが、救急車を呼ぶべきではなかったか。
▲ 救急車で運ばれてしまったら、二人のヒーローの並んだ姿が一枚の写真に納めて撮れないからである。車椅子で搬送し、それも止血しながら必死に伴走しているという姿が最初から要求されていたのである。“テロに傷つきながらも必死に弱者を救おうとする(映画の主人公のような)アメリカ”というイメージ演出も爆破事件の大芝居の一部に組み込まれていたのである。この二人による、ヒーローの条件の凝縮した姿を何とか一枚の写真に納めてマスメデイアを使い世界中に流す計画も初めからあったということである。そのための写真を撮るにはある程度の距離を二人が一緒に移動してくれる必要があったのだ。
5 先導している救急救命士は、なぜ負傷者の右脚の膝うえをつかんでいるのか。
▲ つかまれても負傷者には痛くない理由はもういいだろう。実はこの救急救命士の制服を着ている男は今回のボストン爆破事件という“大芝居”で無数に動いていた役者の一人である。本当の救急救命士が仕事中にサングラスをかけることはない。出血状態を確認できないからである。サングラスは工作員の必須アイテムで、もっぱら面が割れるのを避けるためである。このエージェントが心配そうに負傷者の足をつかんでいるのは負傷者の出血のためではない。そもそもこんな膝うえをつかんで止血できるわけがないことは素人にもわかる。
実はこの車椅子での“真のボストンマラソン”道中の途中で思わぬアクシデントがあったのだ。何と、こともあろうにこの負傷者の“右脚のホラーの作り物”が、ポロっと落ちてしまったのである。この場面がたまたまビデオで撮影されていて、それがユーチューブに投稿されている(ただ、アップロードされていると不都合なひとがいるらしく、そばから削除されているようだが、ぜひごらん頂きたい)。そのドジな瞬間に、この救急救命士役の男があわてて拾ってハメ直しているのだ。上の写真はそのあとのショットであるらしく、彼はカメラマンの前で再びはずれることが無いように必死に押さえているというわけである。しかし、ゴール前で再びはずれたらしい。以下の比較写真をよくごらんいただきたい。
写真B
水色の手袋でしっかり押さえている。
写真C
6 コスタリカ人の移民がなぜボストンでカウボーイハットをかぶっているのか。テキサスでもないのに。
▲ 1枚の写真に必要なものをできるだけ注ぎ込み、無駄なものはできるだけ捨てるのが“宣伝写真”の常道である。アメリカンヒーローにヤンキーのシンボルのカウボーイハットをかぶせることによって写真のもつ情報量、濃度、訴求力、インパクトがより高まるのである。この男の写真をグーグルで無数に見たが、今回の爆破事件以前はカウボーイハットはかぶっていないようである。やはり当日は“必要あって”かぶっていたのではなかろうか。そもそもこのカルロス・アレドンドなる人物は地元ボストンでは知られた政治運動家であり、あらかじめ役柄を与えられていたのであって、当日偶然に“人助け”をしたというのではない。
彼がインタビューに応えてもっともらしく言うには、最初の爆発があったとき、彼は星条旗の小旗を持っていて、青年を無事に救急車まで搬送し終えたときに、その星条旗の小旗が青年の血でぐっしょりだったと。
「この星条旗を見てください。出血の血ですっかり染まっています」とアレドンドは語った。
“Look at the flag, all bleeding,” Arredondo said.
このセリフはインタビューの際にちゃんと言うようにあらかじめ与えられていたものである。このセリフは簡潔ながらかなり高度なレトリックであって、失礼ながらコスタリカの移民の口からさっと出るようなものではない。このセリフのメッセージは、「今アメリカは卑劣なテロによって大きな犠牲を払っていて、国中がその痛みを感じている」ということである。彼はいくつものテレビ局のカメラの前でこの旗を広げて見せ、指示されたこの覚えやすいセリフを繰り返し、それによって多くの人々が洗脳されている。アメリカ得意の“被害演出”の一環である。これが本当の“偽旗”(false flag)である。
ちなみに“被害演出”はわたしが作った“false flag”の訳語で、以前から使っている。“偽旗”では口で言っても字で書いても100人に1人にも通じないが、“被害演出”ならば、100人中100人に通じるだろう。
写真D
車椅子での搬送中の写真にはこの星条旗の小旗はどこにも見えない。ジーンズのお尻のポケットにささっていたのか。この小旗には棒がついている。これで足を縛っていたわけではないし、本人もさすがにそこまでは言っていない。それではどうしてこの小旗がテロで傷ついた青年の血で染まるのか。お教えしよう。そういう“イメージ”が必要だからである。必要であれば、そういうインタビューになるのである。それだけのことである。
今回の彼の“美談”には彼の家族についてのエピソードが加えられて、さらにパーソナルで奥行きのあるものに仕上げられている。彼の長男は実際にイラク戦争で戦死している。二男は兄を追うようにして自殺している。これらは事実である。そしてニュースでもわざわざ報じられた。今回のボストンマラソンはアメリカ愛国記念日と重なっていた。彼はボストンテロ事件の当日、星条旗の小旗をマラソン会場で配って歩いていた。何のためか。インタビューで彼はこう言っている。テロとの戦いに斃れた自分の息子や多くのアメリカの若者の鎮魂と称賛のために旗を配っていました、と。「200本配ったんです!」嘘ではないとわたしも思う。そして爆発があった時、(どういうわけか)最後の一本が残っていて、その1本がテロに傷ついた青年の血に真っ赤に染まったのだと。これはつまり、「テロとの戦いがまだ終わっておらず、世界の人々に今も脅威を与えている」というメッセージである。よくできた話を作るものだ。そしてそれを裏付ける事実も先回りして作っている。入念な準備工作、既成事実作りはCIAのお家芸だ。ベン・アフレック主演映画「アルゴ」を観たまえ。
移民には多かれ少なかれ弱みがある。チェチェン人兄弟もそうだった。このコスタリカ出身のカルロスもアメリカ政府諜報機関のエージェントにアプローチされたのであろう。協力を求められてノーと言ったら後が怖いことは言うまでもない。CIAはひとの弱みを握ってゆするマフィアと変わらない。しかし、カルロスにとってはアメリカンヒーローになれる千載一遇のチャンスでもあっただろう。差別的待遇を受けているラテン系移民のイメージアップに貢献できるチャンスでもある。実際彼は今やラテン諸国ではたいへんな英雄に祭り上げられている。そもそも彼はボストン在住の政治運動家である。実に美味しいオファーである。そうして、彼の息子たちの死の事実も上手に今回の美談に織り込んでおそらく何カ月も、いや1年以上前からシナリオが書かれたのである。200本の小旗の配布という移民ながらも実に愛国的な行動もエージェントから指示された事前工作であると考えていい。すべて、事件後のテレビインタビューで全米に向けて話すための既成事実作りである。そこまでのシナリオを考えて書いているグループがアメリカの諜報機関には存在する。
下の写真Eをまずごらんいただきたい。Cowboy hat man とわたしが書き込んであるが、“傷ついて横たわっている”人々の前でカウボーイハットと星条旗の小旗をもてあそんでいて、何するわけでもなくただ立っているのが今回のヒーロー、カルロス・アレドンドである。カルロスはインタビューではこう言っている。「現場に駆けつけると、もう血の池になっていて、ちぎれた手足が散乱していました。目の前に必死に起き上がろうとしている青年がいました。見ると彼には両足がありませんでした」と。4/16付のニューヨークタイムズ紙にはこう書かれている"He found a young man, a spectator, whose shirt was on fire. He beat out the flames with his hands."「彼は観客の一人の青年を見つけた。彼のシャツには火がついていた。アレドンドは両手ではたいてその火を消した」写真をよく見てもらいたい。火がついた“両足喪失”男はどこにも見えないではないか。カメラからは見えなくても彼のいるところからは見えるかもしれない。そうなら、小旗なんか放り投げて飛んで行け!そもそも人命救助に駆けつけるのに小旗を後生大事に持っている人間がどこにいるだろうか。もちろん、小旗はあとで非常に重要なアイテムになるのである。
写真E
写真F 同じ場所で、“憐れな”青年が横たわる別の写真。A,B,C,D と“負傷者”に記号を付したので、上の写真E とじっくり位置関係を比較していただきたい。ここには何かしらのトリックがあることは明らかである。写真Eでは煙がまだ漂っているのだ。爆発後2分も経っていないだろう。しかし、Cの位置の人間が入れ替わっているように見える。
写真Fのこの横たわる“無視された”男は、別の写真にも見えるので、今度は顔だけ比較してみよう。
写真G
顔の造作に注意。(義足の証拠と思われる金属製のような金具が大腿部の根元に付いているのが見えるが、これについては「ボストンテロ事件の検証 (2)」を参照)
写真H
この2枚の写真F,G の男は同一人物でほぼ同じ時間(せいぜい1分以内)に撮影されていると思われる。
写真I
どうであろうか。この男は横たわっていた男と同じ人物であろうか。上下にスクロールしながら、よく比較していただきたい。ヒゲもさることながら、アゴのかたちはいかがであろうか。両足切断者を英語では"double amputee"というのだが、“ダブル”もここまで徹しているとはふつうのひとは気がつかないだろう。
ちなみに今回のカウボーイハットの男も移民であるが、救護の女性がアジア系であるのも周到な計算であろう。“アメリカ人以外の非白人がテロに傷ついたアメリカ人を助けている図”にして全世界に流し、世界中の人間を洗脳する魂胆がここにはある。アメリカによる自作の“被害演出”も手が込んできて外国からの同情をよりスムーズに呼び込むような阿漕な手を使いだしているのだ。世の中のほとんどのひとは気づかないで見ている。そして、気づかないということは、洗脳されているということなのだ。
実はこのヒーローにも“ダブル”がいた可能性もあるようにわたしは思っている。以下の写真はCNNによるニュース映像からのものである。あなたはこれを同一人物だと思うか。CNNも一杯食わされているのか、わかっていて“協力”しているのかは今の段階ではわたしには判断できない。
写真J
写真K
顔の印象のみならず、帽子のかたちと色、体型、首の長さ、首から下げているタグひもも比較していただきたい。
スクロールアップして比較していただきたい。