Snapeの英語指南

英語長文対策、英語速読法、英語学習法、高校生、中学生、社会人の英語学習に役立つヒントを紹介。

「長文問題」攻略法 part 1

2012-12-24 22:57:11 | 英語長文問題の解き方

長文問題は英語の筆記問題のうちで最もやっかいなものだろう。しかし、世の中のどんな問題にもそれなりの対処法、解決方法というものがある。英語の長文問題にもある。それをこれからタダで伝授しようと思う。以下の攻略法の8割がたは、何百も何千も長文問題を解けば多くの失敗や試行錯誤の末にたどりつく結論であるが、あまり失敗や回り道はしたくないというひとのためにまとめたものである。ぜひ役立ててほしい。

1) いきなり最初の設問から解き始めるな!

仕事を始める前にこれから襲撃する敵の要塞をじっくり俯瞰せよ!要塞の全体図、見取り図を頭に入れよ!最も効率のよい、成功率の高いと思われる作戦を立てよ!

2) 長文問題の解答はつねに”時間との戦い”であることを忘れるな!

のんびり時間をかけることはできない。そのためには作戦と優先順位を立てる必要がある。集中力をもって、極力ムダな時間を削って進めなければならない。

3) タイトルがある場合は重視せよ!

長文問題は文法問題、発音問題と違って、まず本文(題材となるテキスト)がある。そしてごくまれにタイトルがある。タイトルがある場合は、まずそこに着目せよ!タイトルは新聞記事でいえば見出しであるから、内容を凝縮したものである。よほど意地悪な出題でない限りはそうである。タイトルがあるということは、本文が何の話かを教えているわけである。どんな長文でもそれが何の話なのかあらかじめ知っているというのはトンネルの出口が見えているようなものである。

4) いきなり本文を読み始めるな!

問題を解くな、本文を読むな、では何をしたらいいんだ?!長文問題の攻略は停電で真っ暗になった敵の要塞に入り込んで軍事機密を盗み出す作戦と思え!しかも軍事機密は別々の複数の部屋にしまいこまれていると思え!軍事機密の重要性は部屋の番号、つまり問題番号とは無関係である。(1)の部屋から順番に取り組むのがベストとは限らない。

上の3)のタイトルの項目でも触れたが、長文では本文が何についての話であるかが重要である。日本語であったら、ざっと見ただけでもだいたいの見当はつく。しかし、英語ではそうはいかない。そうである。真っ暗である。自分の頭脳という懐中電灯で照らしながら手探りである。しかし、だからといっていきなり懐中電灯でテキストを読み始めてはいけない。その前にすることがある。

5) 本文の最後に訳注がないか確認しろ!

長文問題では、しばしば訳注がついている。高校3年レベル以上の語彙や分かりにくい専門用語、マイナーな固有名詞などには訳注をつけなくてはいけないことになっている。しかし、これを本文を読み始める前に見ているのと、本文を読み終わってから見るのでは大きな差が出てくる。実際、本文を読み終わってから訳注があることに気がつく間抜けな生徒が常に2、3割はいるものである。キミもそういう経験はないか?ものごとには順序というものがある。それなら訳注は本文の上に置いてくれてもよさそうなものだ。しかし、訳注は本文の下と決まっているのだ。漫然とつねに上から下へ順番に仕事をしていこうとすると、こういうところで足をすくわれるのだ。

6) 設問の中にも”日本語訳”がないかチェックしろ!

設問には、しばしば「本文の内容に合っているものはどれか」、「本文の主張と矛盾するものを選べ」といった形式のものがあり、選択肢が日本語の文で5つとか6つとかが箇条書きになっている場合がある。これがあったらラッキーと思え!もちろん、それらの文のうちの半分くらいは本文の内容に反した意味の文であるが、それでも十分に役に立つのである。たとえば、そのうちの1つの文が「高度な情報化社会においてはコミュニケーションの量と費用が爆発的に増加する。」だったとしよう。この文が本文の内容と矛盾していようがいまいが、この文は本文の内容について多少のことを君に教えていないだろうか?この本文は少なくとも”高度な情報化社会”、コミュニケーションの量と費用”について、それが爆発的に増えるか増えないかについて語っていないか?これを知らずに本文を読み始めるのと、本文を読む前にこれを知っているのでは、本文理解の深さとスピードが大きく違ってくるのだ。訳注までは大抵の受験生はチェックする習慣を次第につけるが、実はここまでやらなくてはダメである。楽をするために先回りをするのである。

同僚の英語教師がわたしのこの方法について、「いや、正誤問題には本文の内容と違っているものがあるのだから、その違っているのが先に頭に入ってしまうと本文を読むときに先入観になってかえって本文の正しい理解を妨げるのでよくない」と言ったことがある。大間違いである。まず、正誤問題の文のすべてが間違っているわけではない。次に、「である、でない」にはとらわれず、語彙レベル、語句レベルの情報、訳語を役立てろというのがわたしの主張である。極端な話が、文章として読む必要すらない。さっきの例で言えば、「高度な情報化社会・・・コミュニケーションの量と費用・・・爆発的に増加・・・」と語句レベルで見るだけでも十分なのであって、読む必要すらないのだ。ましてや「増加する、増加しない」の区別などは重要ではないのだ。本文についての日本語であれば何でも利用しろと言うのがわたしの主張である。

 映画ではよくあることだが、スパイがドアのカギを開けようとして小道具を出していろいろいじくるのだが、相棒がノブを回して押すと実はカギはかかっていなくてスーっと開いてしまう。意外に楽勝な手がかりがころがっているのに気がつかないでムダな時間を費やしている受験生は多い。

7) 設問の解答と並行して本文を読解しろ!

本文を読み終わってから設問にとりかかるのではない。設問を解答しながら本文の必要な個所を読めばよい。本文をすべて読まなくても全問を解答することは可能である。実はほとんどの場合、本文をすべて理解できなくても、全問正解は可能なのだ。本文中の難しい文は質問されていないことがけっこうあるのだ。きちょうめんな性格の者は全部わからないとダメなんじゃないかと思ってしまう。

8) 設問の順序にとらわれずに解答しろ!

どんな長文問題も複数の別種の問題群からなる。たとえば問1は本文中の前置詞の穴埋めだったり、問2は本文中の単語の発音問題だったり、問3は本文中の単語の同義語の選択であったり、問4は本文中の空欄に入る接続詞をもとめる問題であったり、問5は下線部の並べ替えであったり、問6は下線部の和訳であったり、問7は正誤問題であったり、とさまざまな組み合わせがありうる。しかし、どれから始めるかは自由である。自由というより、自分の都合で決めるべきでる。その際、基準となるのは以下の2点である。

   1.本文全体の理解にあまり左右されない問題、つまりその箇所だけでほとんど独立に解答できる”小もの”をできるだけ先に解答していけ!逆にいうと、正誤問題や和訳などの”大もの”は後回しにしろ!

   2.自分が得意なものがあれば、それが問3、問5であっても優先しろ!発音が得意であれば、それから始めろ!しかし、和訳はいくら得意でも最初にとりかかってはいけない。

9) 和訳から始めるな!

1つの文の和訳は本文全体の理解にかなり依存する。本文全体が何についての話なのかまだわからないうちに訳すと時間がかかるだけでなく、意味の取り違え、誤訳が起きやすい。物語であったら、あるていどストーリーが見えてきて状況、登場人物の立場などがつかめてからのほうが早く正しい訳になる。科学的エッセーでも、問題点、それに対する解決方法や結果といった話の流れ、議論の展開が見えてから訳すべきだ。しかし、和訳の問題が問1や、問2に来ている場合がよくある。これは問題作成者が意図的にやっている場合がある。つまり、最初に難問を置いて時間を食わせようというのである。「まさか、そんなことするだろうか!」と思うだろう?するのである。私自身そういう問題も作ってきた。出題者はなんとか受験生の足を引っ張るためにそういうことをする場合がある。

 

”順序”というものについて

試験問題であれ、書類であれ横書き文書は左から右へ、上から下へ視線が移動するように文章は組まれている。そしてダメ押しで番号が振ってあれば、ふつうのひとはその通りにその番号をたどって視線を走らせることになる。長文問題の設問もとうぜん上から問1、問2、問3というふうに番号が振ってある通りにふつうのひとは解いていく。しかし、である。問題作成者は、受験生にとって最善の順番に問題配列してくれているわけではないのだ。ましてやキミという個人のためにいちばん効率的な順番を考えて配列してはいない。単に採点者の都合で、それも案外テキトーにそのように並べているだけである。問2と問5が入れ替わっていても実際は大して支障はないのだ。受験生の立場からしたら、単に偶然にその順番になっているくらいに考えてもいいくらいなのである。このわたし自身、入試問題を作成してきた経験があるので、はっきりこう言えるのである。この実態を知らずに受験生は律義に問1から順序正しく解いていこうとする。そもそも上から下に作業は流れると思っているところに番号まで振ってあればその通りにいくものだと疑わないのだ。問題番号の順序は、マニュアルの手順番号や4コマ漫画のコマ順、クッキーの焼き方のレシピの手順のような必然性はないと思っていい。

たしかに上から下へ、番号順というのはほとんど何も考えなくていいので、その点ではたしかに楽かもしれない。しかし、である。限られた時間でしなくてはならない作業の場合、最初に全体を見渡し、そして見通して、最適な作戦を立ててからとりかかることが重要である。何も考えずにやみくもにすぐさま問1から始める者は”戦略的思考”を持たない、すぐに地雷を踏む、使い捨ての兵士である。少しでも効率的に作戦を遂行しようと考える上級将校は先入観にとらわれることなく、意表を突くようなところから突破し、作戦を展開する。「与えられた順序を無視しろ!」というこの鉄則は長文問題に限ったことではない。

実際、上の5)の”訳注”がいい例だ。いつも上から下への順序に漫然と従って読む者は、読み終わってからその下に訳注があることを発見することになるだろう。上から下への流れにとらわれずに縦横無尽に視線を動かし、つねに全体を視野に入れろ!

 

 

 10) 本文は読む前に一度スキャン(流し読み)しろ!

その本文がどういう文章なのか見当をつけなくてはいけない。スキャンをして、それが小説の一部なのか、環境問題の話か、心理学の話か、恐竜の話か、コンピュータの話か、美術史の話なのかをつかむのだ。そのためには、スキャンしながら、人名、地名といった固有名詞、西暦の年号などがないかチェックする。こういった語句は本文中でも目立つし、また非常に情報量があるので、本文読解のうえで大きな手掛かりになる。たとえば、Columbus という名前があれば、歴史の話だろう。 Newton とあれば、歴史か物理学か天文学の話だろう。 Bill Gates が出てくればコンピュータ、情報化社会の話だろう。言うまでもないが、一般常識が豊富で、ふだんからいろいろなことに興味を持っている人間ほど長文は有利である。当たり前と言えば当たり前なことである。 Darwin という名前を見てもそれがダーウィンのことだとわからないようでは話にならない。逆にダーウィンというひとが何をしたのか、何で有名なのかを多少でも知っているひとはそれだけ有利である。

実は、英語の長文問題は、単に英語の問題であるばかりでなく、一般常識のテストという面があるのだ。教養がある人間には有利になり、優遇されるわけだ。無教養な人間には不利になり、冷遇されることになる。

 続く

 


Happy New Year!  か  A Happy New Year! か?

2012-12-13 02:29:43 | なるほど英文法 

年賀状を出す習慣は欧米にはないが、クリスマスカードについでに新年を祝うメッセージを書くことはある。日本ではもっぱら新年を祝うグリーティングカードとして、年賀状を書く。その場合、それを英語で書くときに一瞬迷う人がいる。結論を先に言っておこう!Happy New Year! の頭に"A" をつけるのは間違いである。単に Happy New Year! と書くのが正しい。つまり、この場合、冠詞の "A" は不要なのである。理由は、この場合の文頭の ”Happy” は、形容詞本来の「幸福な」「楽しい」「喜ばしい」といった意味でなく、感嘆詞的なグリーティングの言葉としての意味合いを持っているからである。Happy Birthday! と同じと思えばよい。以上で説明は十分なはずであるが、それにしても毎年生徒の年賀状の中に、この "A" が頭に付いたものを受け取っていると、この誤りが断ちがたく繰り返されている理由を考えないわけにはいかない。Happy New Year をグーグルで画像検索してみると、ちらほら A が付いているのが出てくるが、そのほとんどは日本の年賀状の画像である。世界に恥をさらしているようでいささかハズい。これには何らかの原因があるはずだ。そこで、以下のようにわたしなりに分析してみた。

あいさつ(口頭、グリーティングカードのどちらでも)では Happy New Year! が正しく、最後は感嘆符(!)で終わる。しかし、実は以下のように平叙文として“文中”に出てくる場合は、 "a” が、それも小文字で必要なのである。そして文尾には感嘆符ではなくて、ピリオドが必要であるが、強調の意味で感嘆符の場合もある。

   1)   I wish you a   Happy New Year.  「新年あけましておめでとうございます」

この文にはa” が付いているが、正しい文なのである。

これは 「クリスマスおめでとう」に相当する以下のクリスマスの際のあいさつ文でも同じである。ちなみに、これは歌の歌詞でもある。

   2)   I wish you a   Merry Christmas.  「クリスマスおめでとうございます」

さらに、誕生日を祝福する次のような文の例もある。

   3)   I wish you a   Happy Birthday.

 

上記の 1) ,2) ,3) も、主語・動詞の無いあいさつのフレーズとして言う場合は、以下のように、いずれも “a” が不要になり、最後は感嘆符 "!" で終わる。

  1)   I wish you a   Happy New Year.              

                              Happy New Year!

  2)   I wish you a    Merry Christmas.  (歌の歌詞)             

                              Merry Christmas!

  3)   I wish you a    Happy Birthday.             

                              Happy Birthday!  (歌の歌詞: Happy Birthday To You)

つまり、2種類の表現が存在していて、それらの区別がつかずに混ざったかたちが、 "A" をつけた "Happy New Year! "であると分析できる。それにしても、この "A" をつけた " Happy New Year! " を日本でこれほどまでに見かけるのはどうしてであろうか。このミスはどうも明治時代以来根強く繰り返されているようである。ここには日本人の英語コンプレックスが深層心理に働いているように思う。それはこういうことである。

1) おそらく戦前の日本人が、"I wish you a Happy New Year!"  という文を目にしたのであろう。そして、それと並行して  "Happy New Year!" も目にしたのであろう。

2) 日本人は、英語が苦手で、中でも冠詞の使い方、使い分けが特に苦手である。

3) しかし、この「謹賀新年」「明けましておめでとうございます」 にほぼ相当する "Happy New Year!" は短いし、簡単である。そこで、以下のような心理が働いたと思われる。

4) 「英語で書くなら、間違いのないようにきちんと書かなくてはいけない。 "Happy New Year!" という表現があるが、これは "A" を忘れた例に違いない。たぶん日本人だろう。日本人はよくうっかり冠詞を忘れるからな」

5) 「こんな短い英語の文の中で、ミスをしたら恥ずかしいぞ。ちゃんと忘れずに"A" をつけなくてはいけないな。 "I wish you a Happy New Year!" と英米人は現に書いているからな!」

6) 「日本語には冠詞がないから、日本人はつい忘れてしまうんだ。自分はちゃんと気がついたから、忘れずにつけるぞ、ほら!」

以上のような心理が働いて、過剰修正が常態化した結果、 "A Happy New Year!" が日本語の中に誕生し、根づいてしまったものと思われる。

最後にダメ押しで言っておこう。 Happy New Year!  が正しい。

そして、  I wish you a Happy New Year.  も正しい。