大雑把な日常

日常のあれこれ。

病気のときに

2009-07-06 | 日記
ひさびさに子供が発熱した
と思ったら
溶連菌でした。
子供同士うつる喉がいたぁ~くなる病気です。

こんなときに思うのは、
どんなに頑張っても
自分はこどもに変わって
病気になることが
できない、
ということです。
彼女の痛みも分らないし、
治すことすらできない。

無意味なことなのに
自分を責めてみたり。

だからせめて
自分をしっかりもつ。
大人として。

病気のたびに
この一連の流れを繰り返してしまいます。
大きな病気や不治の病をもつ子どもの
親御さんは
どんなにか・・・。
と考えると胸がつぶれる思いです。

わたしの尊敬する
アメリカのエッセイストが
神様と天使が相談している内容のコラムを書いています。

ふたりは相談しています。
「この子はどこの家庭に?」
「そうだな。○×家に。ぴったりだ」
新しく生まれる赤ちゃんをどの家庭送るか
神様が指示を出し、助手の天使がパキパキとさばきます。
そして
先天的に知能が発達しないであろう赤ちゃん、
この子をどこの家庭にしようかとなりました。
神様は△△家へ。
といいます。
「それはすこし酷ではないですか?」
と天使。
神様は
△△家のお母さんは最初は絶望するだろう
けれども彼女には赤ちゃんを育てるだけの知性とガッツを秘めている
そして何より
「ユーモアがある」
といいます。

原書で読んだので
多少いい加減な解釈が含まれているかもしれません。
時とともに都合の良いように
私が勝手に記憶を改ざんしているかもしれません。

ただ言いたかったのは、
どんな赤ちゃんも
その家庭に生まれてきた意味と価値と理由が
あるはずだ。

信じたい。

ということです。

そのエッセイストは
Erma Bombeck
といいます。
アメリカでは知らぬ人はいない
ユーモアコラムニストです。
彼女は
病気の子どもたちやお母さんに対して
悩む女性や母親に対して
精力的な活動をされていました。

でも
もっとも尊敬するところは
それを
「ユーモア」というベクトルに乗せて
やったところ。
にあります。

長くなっちまいました。
また明日。
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