『どんな産声だったんでしょうか。
あなたの第一印象は?
お目目だけはおっきかったみたいですね。
手のかかる子だったみたいですね。
手をひっぱったら、腕の関節がはずれて
よく深夜に病院へ運んでくれたみたいですね。
おかげで、今でも、あなたは心配症です。
今はもうはずれませんよ。はずすのは、オヤジギャグだけです。
「ボク、何時に生まれたの?」
「え~と、8時半」
「半?」アバウトすぎるよ、そのタイム。
ウソでもさ、「33分」とかにしてくんない?
ただでさえ、血液型、25年間、A型って信じさせられてたのにさ。
親と子ってさ、やっぱり信じあいたいやん。
でもさ、そういうとこ好きだよ。
あなたは強いヒト。
その小さなカラダで、私たち3人兄弟を育ててくれました。
「3匹の宝物」
あなたの口癖です。
今では揃って、食事する機会は減ってしまいましたね。
また、あなたを囲んで、鍋でもつつこっか。
2004年3月11日。
あなたは昨年で還暦を迎えましたね。
「還暦祝い」東京からなんて、いけないよ~、なんていいながら
黙って新幹線で帰ったら、とても喜んでくれましたね。
雄飛が羽曳ばあちゃ~ん、って飛んでいったよね。
あなたの、あの、びっくりした顔は、今でも覚えていますよ。
ボクたちのできる限りのサプライズ。
今、私は幸せな仲間に囲まれています。
サプライズをいろいろ仕掛けてくれる仲間たちがいます。
家族、先輩、同僚、後輩、親友、友人、トド。
東京で元気にやってるよ。
また、電話しますね。
っていって、なかなか、してないね。
いつも、恵には、しろっていわれてるんだけどね。
ごめんなさい。
また、大阪帰るね。
っていって、なかなか、帰れてないね。
慎佳のクリクリの天然パーマ、笑けるよ。
なかなか、見せれず、ごめんなさい。
大阪にも素晴らしい仲間たちがいます。
やっぱり、大阪はいい街。
でもね、東京はもっといい街。
まだまだ知らないことがいっぱいあるんです。
もっともっと勉強しないといけないことがいっぱいあるんです。
今、見るもの、触れるもの、食べるもの、全てが、「刺激」なんです。
だから、お願い。もう少しだけ、ワガママさせて。
”聖バルナバ病院”
なんだ?そのへんてこな名前の病院。
でも、そこで私は生まれました。
昭和49年9月6日 20時半頃 体重3000gちょっと。
井之口豊は生まれました。
名前、「豊」か「秀樹」のどっちかだったみたいだね。
「豊」でよかったよ。「秀樹」はね?だって「秀樹」だよ。だって、あの「秀樹」だよ。
「井之口秀樹」、、、う~ん、やっぱり、しっくりこね~よ。
「豊」でよかったよ。
お母さん、この世に生んでくれて、ありがとう。
絶大なる愛情で育ててくれました。
本当にありがとう。
心から感謝します。
季節の変わり目です。お体にはくれぐれもご留意を。
これからも、「豊か」な人生を。
2005年9月6日 親愛なる浅子へ バカ息子 豊より 』
ps 昨夜、日付が6日になって、一番にメールしたのは母親です。
未だに、返信なし。
まさか、忘れてるんじゃあ・・・。
ま、浅ちゃん、らしいけど。。。
あとで、電話します。
あなたの第一印象は?
お目目だけはおっきかったみたいですね。
手のかかる子だったみたいですね。
手をひっぱったら、腕の関節がはずれて
よく深夜に病院へ運んでくれたみたいですね。
おかげで、今でも、あなたは心配症です。
今はもうはずれませんよ。はずすのは、オヤジギャグだけです。
「ボク、何時に生まれたの?」
「え~と、8時半」
「半?」アバウトすぎるよ、そのタイム。
ウソでもさ、「33分」とかにしてくんない?
ただでさえ、血液型、25年間、A型って信じさせられてたのにさ。
親と子ってさ、やっぱり信じあいたいやん。
でもさ、そういうとこ好きだよ。
あなたは強いヒト。
その小さなカラダで、私たち3人兄弟を育ててくれました。
「3匹の宝物」
あなたの口癖です。
今では揃って、食事する機会は減ってしまいましたね。
また、あなたを囲んで、鍋でもつつこっか。
2004年3月11日。
あなたは昨年で還暦を迎えましたね。
「還暦祝い」東京からなんて、いけないよ~、なんていいながら
黙って新幹線で帰ったら、とても喜んでくれましたね。
雄飛が羽曳ばあちゃ~ん、って飛んでいったよね。
あなたの、あの、びっくりした顔は、今でも覚えていますよ。
ボクたちのできる限りのサプライズ。
今、私は幸せな仲間に囲まれています。
サプライズをいろいろ仕掛けてくれる仲間たちがいます。
家族、先輩、同僚、後輩、親友、友人、トド。
東京で元気にやってるよ。
また、電話しますね。
っていって、なかなか、してないね。
いつも、恵には、しろっていわれてるんだけどね。
ごめんなさい。
また、大阪帰るね。
っていって、なかなか、帰れてないね。
慎佳のクリクリの天然パーマ、笑けるよ。
なかなか、見せれず、ごめんなさい。
大阪にも素晴らしい仲間たちがいます。
やっぱり、大阪はいい街。
でもね、東京はもっといい街。
まだまだ知らないことがいっぱいあるんです。
もっともっと勉強しないといけないことがいっぱいあるんです。
今、見るもの、触れるもの、食べるもの、全てが、「刺激」なんです。
だから、お願い。もう少しだけ、ワガママさせて。
”聖バルナバ病院”
なんだ?そのへんてこな名前の病院。
でも、そこで私は生まれました。
昭和49年9月6日 20時半頃 体重3000gちょっと。
井之口豊は生まれました。
名前、「豊」か「秀樹」のどっちかだったみたいだね。
「豊」でよかったよ。「秀樹」はね?だって「秀樹」だよ。だって、あの「秀樹」だよ。
「井之口秀樹」、、、う~ん、やっぱり、しっくりこね~よ。
「豊」でよかったよ。
お母さん、この世に生んでくれて、ありがとう。
絶大なる愛情で育ててくれました。
本当にありがとう。
心から感謝します。
季節の変わり目です。お体にはくれぐれもご留意を。
これからも、「豊か」な人生を。
2005年9月6日 親愛なる浅子へ バカ息子 豊より 』
ps 昨夜、日付が6日になって、一番にメールしたのは母親です。
未だに、返信なし。
まさか、忘れてるんじゃあ・・・。
ま、浅ちゃん、らしいけど。。。
あとで、電話します。