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「戦争はイヤ こどもと考える」(NHKあさイチ 8/30)は、非常によかった!

2017-08-30 10:06:18 | 日記

   正直、いつも朝ドラを見た後はチャンネルを変えてしまうことの多かったNHK。でも、「戦争はイヤ こどもと考える」のタイトルが気になって、今朝は「あさイチ」をそのまま見続けた。

   非常に素晴らしい内容だったので、心から見てよかった。いい番組だったと思った。

   北朝鮮のミサイル発射。日本の国防が危ないと、軍備強化の声も聞かれ、このまま軍備も進められていったら・・・ますます日本は戦争の道へと進んでいくことにならないか?そんな不安を抱かせる社会情勢の変化の中で、この番組はまっすぐに「それでいいのか」と疑念をもった子供たちや大人に向けて、戦争について考えを進められる情報を与えてくれる「直球」となっていた。

  その球を受けて、戦争を身近な自分の問題として考えないといけないと思った人も多かったのではないか。ちょうど、夏休みの最後で子供たちがいる朝に、このようにまじめに戦争の話を取り上げて放送してくれた関係者の方の努力に、心から敬意を表します。

  戦争のことを知るために、(イスラエルの人が、遠くで爆撃で黒煙があがる光景を笑顔で見ている異様な写真)を子どもたちと一緒にみて、(何が起こっているのか。なんで、砲撃の下で人が命を奪われているのに笑顔を浮かべる人がいるのか)と、想像してみる。

  そして、日本では異様と思われるこの光景を生み出したイスラエルのことについて聞くために、まず柳澤秀夫さんと子供たちが、家具製作をしながら国のために死ぬのは素晴らしい?  を書いたダニー・ネフセタイさんのところへ向かう。

  この本は、去年友人に薦められて読んでいた本で、amazonに私も感想を書いたりもした。

  ダニーさんの話は・・・

   <イスラエルでは、男子は3年、女子は2年の兵役が課せられ、自分も兵士として、「自国の子供たちが静かな眠りにつけるために国を守る」と説明する上官の言葉に誇りをもって戦闘機に乗っていた。「人を殺してはいけない」ということは当然分かっていたし疑いを持たなかったが、「戦争については、しょうがないもの」として、別のこととして教え込まれてきたし、考えずにいた>と語るダニーさん。それが、子供たちを巻き込んだガザ地区への誤爆のことを知ってから、大きな疑いをもち戦争についての考えが変わったと言う。 

 「国のためだから、しょうがない(と思って戦った)」ダニーさんの説明を聞いて、言葉を失う子供たち。でも、戦時中の日本人の考えは、まさにダニーさんと恐ろしいまでに一緒だったことを記憶している人が日本には多い。ダニーさんのように思っていた日本人が72年前には大半の日本人だったのだ。

 次に、家族の中でも、意見や支持する人が違うことで争うことになり、家族であっても殺し合い分断されたシリアの内戦の話をシリアのマンスールさんから聞く。ごめんなさい、マンスールさんの話は洗濯を干すのでちょっと片手間に聞いていましたが、結論だけは私のまさに求めていたものだったので、同感した。

 子どもたちは、驚きを隠せずに聞いていたが、ひとりの中学生が、もし自分の家族が殺されたら・・・と聞き、それにマンスールさんが「報復はしない」と答える。その理由は、自分も家族を殺されたからと、他人の家族を殺したら、憎しみの連鎖が起こり留まるところがなくなるからと説明する。

<「憎しみの連鎖」を断ち切ることが、戦争という悲劇を止めるために一番肝要であること>

 このように、次々と現代の戦争体験者に学びながら、平和をつくるための大切なことを学んでいく子供たち。 

*この私のブログでは、よくサリン事件の河本さんが登場します。憎しみの連鎖を断ち切る勇気。それがいかに難しく困難でも、それをしていかない限り、新たな憎しみを生んでいくしかない。そのメッセージの大切さ。多くの人に伝わることを望んでいます。私は、ガンジーの非暴力の抗議、周恩来の日本との外交を子供の時から素晴らしいと思って育ってきましたが、この思想は良心的な人の中では昔からあったものです。でも、最近、そのような考えが、テロにあった家族のメッセージからも聞かれたり、悲劇の中でより多くの人から聞かれるようになったことが印象的です。人間が、悲しみを通して、学びを深くしてきている証拠だと思います。学ぶことのない人間では、同じ過ちと犠牲をどこまでも支払わなければなりません。

 そして、最後に登場したのが、伊勢崎賢治さん。私は「さよなら戦争」(14歳の処世術)という著書をすでに読んでいたのですが、彼の戦争を終結させるためにどのようなことが大切だったかの話がありました。

 「戦争は始まってしまうと、やめたくてもやめられなくなる」 

 走り出すと、憎しみが憎しみを呼び、始めた人にも止められなくなる。内戦で家族同士でも闘うという悲劇も生み出しても、止まらない戦争。非現実に思われるほどの悲惨な戦争がいかに世界にあった、いや現在でもいかにたくさんあることか!人間が人間でなくなる戦争の現実。

 戦争を体験してきた伊勢崎さんの見たものは・・・

 <平和のためとか理想的な目標を掲げて始まる戦争も、止めようとする時の落としどころは、そんな理想の実現ではないこと。「(戦争中にした)罪を問われないこと」「社会に復帰できる道をつけてもらえること」という自分たちの保身。自分たちの命の保障だった>という。

 そういう姿から伊勢崎さんは、「戦争は、いくら言葉で理想の目標を掲げて始まっても、結局は何も生むことはない。人々の多大な犠牲の上に、残るものは何もない」と言葉を結ぶ。

 話で解決がつかないことを、暴力や戦争で解決できるはずもなく。「人を殺してはいけない」という人間の基本を、いかなる美しい目標の下でも、「戦争」という名のもとであっても人間として譲ってはいけないことを、感じた。まして、こうした戦争が、いまやサラリーマンのように兵士が戦場から離れた遠隔の地で仕事場としての操縦室に通い、そこから人々のいる建物を兵器の遠隔操作で破壊する時代になっていること。湾岸戦争頃からだと思うが、米軍兵士の犠牲を最小限にする試みで、非人道的なこのようなヴァーチャルと現実の境が消えたかのような背筋が凍る殺戮が始まっているのだ。人を殺すことに背筋が凍らないのが怖すぎるというべきか・・・

 爆弾の下にいる人々が自分と同じ人間であることを感じられない感性。戦争はそんな人間性を喪失した人間を生み出し、これまですでに膨大な数の犠牲を払いながら、まだ今も犠牲者を生み続けている。なんと愚かなことだ。

 この戦争が起きることに抗っていくには、他の人を、自分と同じ人間として感じ、理解し、違いを乗り越えて平和的に共存する道を考えられる知性が必要だ。それが、平和をもたらせる力なのだと思う。

 最近みた「日本と再生」の映画で、私は久しぶりにこの社会に渦巻く閉塞感から抜け出す光をみたように思えた。

 この映画には、それぞれの国の人が自分の国に降り注ぐ太陽、吹く風、流れる水で発電をしている姿が描かれていた。枯渇しない、持続可能な自然エネルギーで自分たちの生活を成り立たせる技術。その技術を世界の知恵を結集して確立し、争いをやめてそれぞれの国で共有して、地球環境問題に取り組んでいくこと。それが、世界の人びとを幸せな世界に導いてくれると希望をもてる映画だった。

 インターネット技術で、自国・他国を問わず、多くの考え方も、生活の仕方も違う人々が、お互いを少しでもより理解できるように学び合い、平和に生きていけるように1歩ずつ歩みを進めていくこと。人間の育ててきた技術を、他国を威嚇する、脅威にさらすために利用されるのでなく、皆が豊かに生きるために利用すること。それが、何よりも肝要だと思う。

 その道を模索できない人間の社会は、近い内に破滅を迎えるだろう。甚大な被害をもたらした福島原発事故を含めた多くの原発事故。地球の汚染をすすめた核実験。これだけの教訓を生かせず、睨み合う今の社会の情勢を転換していくことが、今、私たちにできなければ、いつか人間は自分たちの作り出した核兵器、原発の事故などで自滅の道を辿るだろう。

 大戦前、大国がアジアの国を植民地にしている中で、アジアの中にあって植民地とならず、日清戦争以来戦争に勝ち続けて、韓国や台湾を併合していった日本。さらに中国へと侵略の触手を伸ばしていく中で、すでに植民地をもっている国から石油その他の制裁を受け、孤立を深めて戦争の泥沼に突入していった日本。北朝鮮の姿をみていると、その姿は私には戦争をした日本の過去とダブって見える。

 今、北朝鮮は、核兵器を保有することで交渉権を自国に有利にしようとしている。核兵器という、人間が踏み込んで行けない領域に踏み込むことも間違いだ。ただ、「お前は核の保有はしてはならない」と制裁の強化により北朝鮮を孤立化させようとしている国々自身が核保有国であり、自分たちの核保有についてはそれを前提として核軍縮への努力をしようとしてないのは、どうなのか。

 植民地を自分たちが持ちながら、おまえの他国侵略は許さないというのと同じに、そこもダブってみえてくる。

 誤解のないように、私は日本が正しかった。北朝鮮が正しいとは全くもって言っていない。

 北朝鮮を一方的に非難するだけでなく、核保有という人類を危険にさらす兵器を所有して力の均衡を保つという誤った考え方を持っている「自分たちの問題に核保有国が手を付けるべきだ」と言っているのだ。

 世界で唯一の被爆国であり、被爆者のもう自分たちの後に被爆の苦しみを味わう人類がいないようにという悲痛な願いを、日本こそ世界にメッセージとして届け、核軍縮に中心となる役割を果たすべきではないのか。アメリカの核の傘の下にいるといっても、日本が独自の立場で世界をリードして平和をつくるための外交政策をしていくこと。平和憲法を持つ日本として、現実にそくすようにそれを改正するのではなく、この人間の理想を世界中に広めて、平和構築の活動をリードしていく方が、日本に相応しいと確信する。

 兵器を作るお金があれば、ペシャワールの中村さんのように、困っている国に水路を作り、電気のない国に太陽発電の技術を提供し、農業生産技術を伝え、日本人の知恵を世界の人びとが豊かに暮らせるように使うべきだ。勿論、日本の国内の自然エネルギー対策や、困っている人のための施策にも。兵器は破壊を目的としたもので、人に豊かさを生み出さないことだけは確かなのだから。

 自分たちの保有は棚上げで、後から来た者だけはダメという。そして締め上げる。締め上げられた北朝鮮が、大戦前の日本のように孤立化した末に捨て身の戦争に入るとしたら。核を使用しての闘いが始まれば、その惨禍は想像を絶する。

 これまでの兵器と核兵器の差を、世界は理解して行動しているのだろうか。

  戦争を放棄している日本。しかし、アメリカの核の下で、唯一の被爆国なのに、核兵器禁止条約のテーブルにもつかなかったこと。核軍縮への提言と合わせて、北朝鮮との和平を交渉していくなど、平和への積極的な努力を何ひとつできていない日本を私は恥じる。

  あさイチの今回の番組では、3人の人の話を通して、戦争のことを考えるきっかけをつくってはくれたが、あなたそして私がどう考えて平和への1歩を踏み出していくのか、そこにすべての将来がかかっている。

  とにもかくにも「しょうがない」「憎しみの連鎖」。そのような考えにだけは、きっぱり決別して平和への道を模索して歩んでいきたい。キャスターの柳澤さんの 「しょうがないこととして思考停止することが、1番怖い」というコメントが、特に耳に残った。

 このブログを書いていることも1歩。友人たちに、このメッセージを個人的にも届けることも1歩。社会活動に生かすことも1歩。仕事のなかで、行動していくことが1歩。選挙で大事な1票をしっかり考えて投じるのも1歩。票を投じた後の候補者に疑問の行動があった時に、話をしたり意見をいうのも1歩。あらゆる1歩を進めてみる。躊躇なく、有効なやり方を考え、1歩ずつ。

 今大事なその1歩を、みんなが積み重ねていけば・・・それしか平和への道へ世界を修正していく方法はない、と思った朝でした。

 マリア・テレサの「愛の反対は憎しみでなく無関心」という言葉がある。今の様々な社会の動きをよく見てみよう。今しっかり考えずに無関心でいることは、自分たちの愛する人々の生命すらも脅かすことになることを、肝に銘じて行動しましょう。

 NHKの方、これからもいい番組づくりに期待しています!

 

 

 

 

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