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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

上弦の月、その傾きを楽しむ?

2015-06-24 22:08:44 | 惑星・天体ニュース

  今日は上弦の月でした。
  まずはお見せしましょう。


     <2015年6月24日、17:46>

  今日の南中は17:37。ということは、私の予想では、左に頭を傾げる一番高い南中する場所に上っていくところと思っていたのに、これは意外!
  南中とは真南にいる時のことなんですね。真南を過ぎてやや西寄りで19時頃に、今日の上弦の月は真っ直ぐの姿勢に入ったようです。

  その後は、右に頭を傾げて太陽を追って西の空へと落ちていき、

     
       <21:29>

   それから、1時間ちょっとであまり向きは劇的には変わっていませんが・・・

   
        <22:39>

   23:40に沈むので地平線にかなり近くなって、夕焼けの太陽のように、月が焼けて赤みを帯びた色になってましたよ。
   写真ではうまく表現できていませんが、卵の黄身の色に近いかも~。

   1日の月の変化、その傾きや色を見るの、ちょっと楽しいですね。

   予定が入っていない日で、晴れている日だったら、月の出を調べてこんな月の変化を楽しむのものんびりとした気持ちになれていいですよ。
   ただし、月はいつも付き合ってくれるとは限りません。昼にお留守をする時もあるし、昼にいても太陽に近すぎて見づらいことも・・・

   * 今日は、本当は月の出が11:28だったので、もっと早くの上りたての写真もご紹介できればもっと良かったですね。残念。
   
   今は、ネットや新聞で月の出、南中、月の入りがすぐわかるので、それを参考にしつつ楽しんでみてくださいね。
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振り返ると見える戦争の影がある昭和の風景

2015-06-24 10:34:00 | 日記

   日本人が誇ってきた平和憲法が、一部の為政者の恣意でねじまげられていく危険を感じるこの頃。
 
   今、8割の人が戦後生まれといわれている。私も戦後生まれの1人だが、でも、私の記憶の中にはまだ戦争の残像がしっかり刻まれていると思う。

   先日、朝日新聞の「おやじのせなか」欄にChage(チャゲ)さんが登場。
   父親が特攻隊の生き残りで、鹿児島の基地に配属になり、ベニヤ板でつくった「震洋」というボートに爆弾を積んで特攻する予定だったがエンジン不良で18歳で終戦を迎えたーという話が載っていた。彼は、1958年生まれ。

   私は、父が商船大学を出た船乗りだったので、父から物資を運ぶ乗組員として働き、敵に撃沈されて海に浮かんで救助を待って助かったという話を聞いたことがある。母からは、軍需工場へ労働奉仕した話と、実兄(長男)が出征して戦死、いつもは穏やかで静かな祖父が泣いた話を聞いた。二男の兄は、焼夷弾が不発で落ちていたのをいじって爆発し、片目の視力と片手の先を失くしており、この私にとっての叔父は家の近所に住んでいて、身近に接していたので、戦争の影はしっかり感じて育ってきた。

   そもそも、50年前頃には、まだ渋谷に出るとガード下に白衣で松葉づえを横に置いた傷痍軍人が、音楽を鳴らしながら物乞いをしていた。我が家の庭を掘っていたら、焼夷弾が出てきて処分してもらったこともあった。

   主人の家にしても、満州から引き上げてきたいとこ家族、シベリア体験をした親族など、戦争の話を聞く機会はさまざまあった。
   
   昨日、「沖縄の慰霊の日」にあたって、様々な戦争体験の記事やニュースに触れながら、今50代以上の人にはまだまだ間接的であれ戦争の追体験があると感じた。その下の世代はどうだろう。

   戦後70年を今年迎える。伝えていかなければならないこと、しっかり次の世代に伝え、2度と日本が戦争に巻き込まれないように、平和憲法を守っていきたいと思う。私に何ができるのか、そんな思いを例年以上に強く感じる年と今年はなっている。

   安島太佳由さんが、現存する戦争遺産を写真にとって集め、写真集を出したり、講演をして回っているという。
   自分の住む町の戦争遺産を郷土資料館も今年まわる計画を立てているようだ。市役所が、市内の中学生を原爆投下の日に合わせて長崎に派遣する事業をはじめるという。

   私も、私の立場で最善を尽くしていきたい。
   
   

  
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