自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

和の色

2008年12月14日 | ひとりごと
真紅に燃えていたどうだんは、いつか枯葉色のひとむらに変わり、今はまとめてくくられて、そこだけ一面に朽葉色のじゅうたんが敷かれている。 かえでのえんじと、田向のこむらさきが、くすんだ常盤緑の古庭をわずかに彩っている。
 かたわらに咲き乱れて妍を競うさざんかの紅が、脇役となってあまり視界をふさがないのは不思議といえば不思議だが、年相応の脳は忠実に切捨て選択をした映像だけ取り込んでいるのだろう。
 時雨れて、もやってかすめば、利休ねずみ一色の世界と変わるのも愉しく、日が差してところどころにきらめく水滴は、かすかな銀の鈴を鳴らすように、これはまた五感をくすぐってくる。
 
 平安の頃、衣服や調度には、さまざまなみやびな名前がつけられていた。
 多くは草花を染料として染め上げられ、花木の色は分解されて、それぞれの色合いに応じた名前がついていたが、衣装が次第に華やかさをまして、重ね着の時代となるにつれ、配色や濃淡を組み合わせた対のものが生まれてくる。「色目」というのはそれだろう。 色っぽい、の意味とはまた別のもの。
 「梅重ね」とか「桜萌木」とか「早蕨」とか。「萩かさね」とか「すおう菊」とか。「松かさね」もあり「つぼすみれ」もある。
 はなだ色、玉虫色や海松色(みるいろ)は今も単色の名で使われている。
 にび色 は青花に炭をさして。 冬の日本海を表現する色だ。
 武家時代ともなれば、狩衣のほかによろいの打ち紐やおどしの糸にも使われて、荒々しい戦国の時代をいろどった。

  日本画の岩絵の具にもいくつかの名が残っている。
 一日に一度、何も出来なかった日にも必ず覗き込み手にとってみて、視覚触感を楽しみ、ついでに名を読んで語感も楽しむ。
 体調を崩して落ち込む日があっても、水晶、岩緋、群青、緑青と鉱石から作られた原色のほかに、こうばい、ぼたん、ききょう、かきつばたなどの鮮やかな花の名の色、さくらねず、やなぎば、みずあさぎ、すすき、かれは、うすずみ、と中間色を並べてゆくうちに、華やかばかりではないこれらの絵の具を眺めるのが、どんな名医の処方する薬よりも即効があるのに気づく。
 暗夜から夜明けになったほど明るい気持ちに切り替わり、とんでもない活性剤となるその魔力に驚いて、おもわずしげしげ見つめなおしたこともある。
 雨の日、城ヶ島にも降る雨と同じ利休ねずみの、灰色に混じる薄みどりが、日によって濃くも薄くも異なって感じるのも微妙だ。

 寒々とした冬の庭が、もの柔らかな利休ねずみに染められている。
 知人のMさんが両手に抱いて、様子を見がてら届けてくれた初々しいピンクのプリムラと、その心配りが、うす紅・萌木・白の組み合わせの色目「桃」を作って、周囲に溶け込んでいるのだろう。 
 そこはかとなく優しい気配を漂わして、あたりを和やかに潤している。好みで独自の名をつけられたりもする控えめな和の色合、今日のこれをなんと名づけようか。
                                                 (19/12/21)



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