自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

遠い日

2008年12月21日 | 絵と文
 年末に向けて一念発起、思い切ったつもりの身辺整理を始めた。
 不要品を一切廃棄したシンプルな生活。
 自分より年下の人が先立つのを聞くたび、追い立てられるようにその必要性は痛感していたのだが、それには過去の記憶とさよならするくらいに膨大なエネルギーが必要だった。完成できた暁には自分の性格さえ変わっているのではと想像するほどの。
 甘かった。作業は遅々としてはかどらない。

 改めて手にする肉親たちの遺品がある。
 床の間の飾り棚の中から、西国三十三霊場の御朱印帳や、未完のお軸など木箱に納められて出てきた。 完成した北陸霊場のも広げてみる。仏様のご朱印を集めた三本のお軸を床の間に飾るのを目的に、彼のまるで死を予感したような忙しい霊場めぐりだった。
 遺志を継いでの家族そろって西国のお寺を巡り、延々と続く山の石段は私が幼子を背負ってのぼった。清水寺の舞台では、雑踏する人の姿もざわめきも遥か遠くに霞んでいた。ただ私同様お軸を背に歩く同年輩の一人旅を見るのは何か辛かった。旅は1回きりあとは機会を待ちながら未完のまま残っている。
 あなたの生まれ変わりのあの赤ん坊がね、もう高校生なのよ…

 死だけがひっそり待っている姉の病室へ、神にすがって奇跡を祈り続けて通った無明の日々もあった。
子に先立たれた母が、残る妹娘の私に当てた手紙の震える文字は、私の中に親の心情を深く定着させてくれている。この遺品の数々は、現物そして自分の心、ともにどのように処理しよう。
 幾度もの整理の網をかいくぐった古い日記帳は、今更中身に目を通す気にもならず未練はないが、そこここに見える涙の滲みは、数え切れないほどの哀歓の想いとして一生抱き続けてゆくだろう。
 過去のものとなったはずの亡き人との思い出が、遺品を目にして鮮烈によみがえる。
 その品々をなくすれば思いは断ち切れる?より先に、取り返しのつかない後悔に我を失うのではないだろうか?

 ふと、枕もとの遺影が笑ったような気がした。
  カンガエコムコト、ナイジャン。コッチヘオイデヨ タノシイゼ
  ヤーなこった。まだまだしたいことがいっぱいあるんですよぅ
  迎えになんて来ないでね!

 また、彼が笑った。

                      日本画「遠い日」(72.8×53.0)