薫 風 ~KUNPOO~

初夏に薫る爽やかな風に思いをよせ、YukirinとKaorinが日々の出来事などを綴るページです。

人は見た目が9割

2006-08-02 | 本  棚
■ 竹内一郎『人は見た目が9割』新潮新書。著者は、劇作、マンガの原作者であり、舞台の演出や俳優教育も長年手がけてきている人。これも結構過激なタイトルですね。最近、新書のタイトルにはこのような傾向があるようですが、読み進んでいくうちにそれも納得!?

■ 演出家の仕事は、まずキャスティングをすること。劇を作るにあたり、まずは「見た目」で「どんな人」かを決定していくのだ、と言います。まぁ、映画でもドラマでも「このキャスティングはちょっとなぁ」と思える場面は、多々ありますよね。逆に「見事なはまり役!!」と感じることも・・・。NHKの『功名が辻』でいえば、前者が山内一豊、後者が羽柴秀吉、といったところでしょうか(まったく私的な意見ですが)。

■ “心理学では、実は人間が伝達する情報の中で話す言葉の内容そのものが占める比率は、7%に過ぎない、という研究結果が出ている。多くの人が実は「人を見かけで判断」しているのであり、端的にいって「外見の威力」はそれほどまでに強力なのである。日常生活でいえば、しゃべる内容以前に、声やテンポなど「話のフィーリング」ともいうべき部分が、合っているかどうかも大きい。内容より「誰が言ったか」の方が重要なのである。” たしかに、日常生活でも「あなたの言うことの意味はわかるけど、あなたには言いわれたくない」と思う場面が少なからずあったりして・・・(ふたたびまったくの私見ですが、とりわけ女性にはそういった傾向が強いような気が...)。

■ “私たちは、子どもの頃小学校の先生に「人を外見で判断してはいけない」と教えられた。それは「人は外見で判断するもの」だから、逆にそういう教育が必要だったのだ。逆にいうなら、「人を外見で判断しても、基本的には問題ない。ごくまれに、例外があるのみである」。”フムフム・・・

■ 考えてみれば、こと日本人にはこの傾向が強いのかもしれません。“「相手に、わからせ、自分を通す」のがヨーロッパ流。「お互いに、語らずに、察する」のが日本流。私たち日本人は、相手の欠点を指摘して、わからせようとする習慣が少ない。人前で恥をかかせては、逆効果だという認識を持っている。誇りを傷つけられると、テコでも動かない人がいるからだ。”まさに、そのとおり。

■ 物語でも腐心するのはそういう状況の作り方だ、と言います。“主人公が自分の考えを変える瞬間がある。多くの場合、それは問題解決の糸口となる感動的なシーンである。誰かに、原則論で説教をされ、それで主人公が気づくことはありえない。説教されれば、人は反発しかしない。だから親友や上司などが発する主人公を変える一言は、一見、主人公の問題点とかけ離れたものでなくてはならない。親友や上司の、何気ない一言を媒介に、主人公は「自分で気づく」のである。あるいは、主人公は、自然現象の中に真実を見つけ、そこに問題解決の糸口を発見するのである。”ナルホド、こういうパターンは実に多いですな。

■ 本書の後半は少し退屈に感じましたが、目からウロコの一冊でした。漫画なども取り上げて、例もわかりやすいし・・・。これから県知事選、自民党の総裁選挙とイベント事が続きますが、きっと政治(家)も「見た目が9割」なんだろうな。