賢く楽しく逞しく

晴耕雨読の日々を、面白く楽しく、
綴って行きたいと思っております。

何だったのか、広州の文化大革命

2016年02月02日 | 海外の旅

休日に、政治局員も通訳も付かず、街中に出歩けるようになって、

一人賑やかな商店街へ、バスで出かけた日のこと。

老舗のデパートの、道路側にはウインドウが有り、高級品が

並んでいました。

その真ん中辺に、張り紙がしてありました。

最後通牒 人民の購買意欲をそそる品物は、人民の目の届かない

奥にしまいなさい。

そして、このウインドウには、毛沢東語録か、社会主義建設のための

スローガンを掲示しなさい。

この最後通牒は、広州に乗り込んできた、紅衛兵が命令したものです。

この命令に従わなかった商店は、商品を表の道路に持ち出され

焼かれたと聞きました。

中には、腹を立てて、セイリュウ刀を振り回して、抵抗する店主も

いたそうですが、その後どう扱われたかは判りません。

ただ、後日ホテルで読んだ新聞では、武闘が有って死人が出たこと、

何体かの死体が、殊河に浮かんだという記事が有りました。

 

 

広州の銀ブラの後、ホテルへの帰り道、バスに乗りました。

この時、初めて紅衛兵を見、怖い思いをしました。

バスの手すりにつかまり、外を眺めていると、紅衛兵の一団

五十人程が、私の乗ったバスの方を指し、興奮しているようです。

トップは高校生くらいか、やがて、その中の小学生のグループと

思しき一団が、前後のドアから、私目掛けて押し寄せてきます。

私を指さし何か喚いています。

どうも、私の身なりを、批判しているように思いました。

ズボンは普段着の化繊で,アイロン要らず、上は開襟シャツで、

ホテル経由クリーニング、勿論アイロン済み。

頭はポマードをつけ、七三分け、方からカメラをぶら下げている。

「ブルジョアの怠け者、中国人民の敵」とでも言っているようです。

私の語学力では、興奮している紅衛兵に、納得させられる

訳が有りません。

四苦八苦の末、JALのショルダーパックに、日本航空の文字が

有るのに気が着きました。

「ウォシ リーベンレン(私は日本人です)」何を言われてもこれだけ。

そして解放されました。

 

 広州の郊外には華僑と言って、外国へ出稼ぎに行って、外貨を稼ぎ、

革命の時資金的に相当援助したグループが住んでいるのです。

毛沢東は、彼らに恩義があるので、立派な住まいを提供したり、

衣食住でも特別扱いをしていたようですが、

紅衛兵はそんなことはお構いなし、吊るし上げの対象になっていたようです。

毛沢東は,経緯上華僑を擁護したかったようですが、そうすると紅衛兵の

士気が下がるので、悩みの種だったと、後で聞きました。

私がバスの中で吊るし上げられたのも、私の身なりが

華僑と変わらなかったためと、これも後で判りました。

 

中国は、これからも何かと関わりが有りますが、

一先ず、広州の旅はここで閉めたいと思います。

有難うございました。