鳥取城跡を訪れたなら、城跡のそばに建つこの建物は誰もが立ち寄るであろう。
観光資料により、興味のあるポイントを追ってみる。
明治40年、鳥取池田家の14代当主池田仲博侯爵が建てたものである。
当時のお金で4万4千円の建築費がかかったと記録されているという。
なんと、当時の鳥取市の年間予算が5万円だったと聞くと、驚くばかりである。
建物が完成した年、皇太子殿下(後の大正天皇)行啓の際に宿泊所に当てられたのである。
その時皇太子に随行した東郷平八郎が、その名を「仁風閣」と名付けた。
今も、直筆の書を2階で見ることができる。
真っ白に塗られた木造、瓦葺の建物を正面から見る。
右側にはみ出したとんがり屋根の部分は、らせん階段が設けられている部分。
いくつかの部屋には暖炉があり、屋根から突き出した煙突はそのためのもの。
裏側から見る。
1F,2F、いずれにも庭に面した広いベランダが設けられている。
ベランダで風に当たりながら芝生の庭を眺めていると、一瞬ではあったが狭苦しい我が家を忘れさせてくれた。
芝生の庭の向こうは鳥取城の石垣。
芝生の先には「宝隆院庭園」がある。
鳥取藩十二代藩主が、若くして未亡人になったしまった、十一代藩主夫人「宝隆院」のために造ったといわれる庭園。
それほど広くはないが、せせらぎ、池、植木、花などが心地よい空間を作り出している。
お部屋の一つ。
「らせん階段」を、しっかり見たのだが支柱がない。
珍しい。
見学後
お金に糸目をつけず、当時のトップクラスの建築家の設計により、ぜいたくな材料を使い、腕っこきの職人の手による建築。
ふと日々の現実を思い、ため息が・・・。