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「そのとき」の一枚を気の向くままに!

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二十四の瞳 映画村

2009-11-23 21:02:23 | Weblog
前の続き

小豆島にある「二十四の瞳 映画村」へ行きました。
壺井栄原作の「二十四の瞳」が映画化されました。
初代の大石先生は高峰秀子さん、二代目は田中裕子さんでした。
二代目の田中裕子さんのときのオープンセットだそうです。
壊されるのを惜しんだ町の人たち保存してみんなに楽しんでもらえる施設にしたのだそうです。

入り口にある看板です。
これは初代の高峰さんのときのものです。
この映画がここで上映されていました。



入り口付近には昔の家のままの造りのお土産屋さんが並んでいました。
しばらく行くとコスモス畑が見えてきました。
よく見ると大石先生と12人の子等の石像があります。



近寄ったら遊んでいる様子でした。

「せんせ お弁当たべたん」  「うん 今お茶飲んどるとこや」
「そんなら あそぼ」 「早う 早う」 
「せんせ あそぼ」 「何して あそぶ」
「竹馬」 「よおし せんせ 負けへんぞ」
「貝とり」 「あんた 貝とり 得意やもんね」
「かごめ かごめ」 
「とおりゃんせ」
「そんならじゃんけんで決めなさい」
「よおし」「じゃんけんぽん」「あいこでしょ」
「わぁ せんせ 一番先に負けてしもた」

楽しそうですね。子供のころなんか決めるのによくじゃんけんをしたものです。
いまでもそうでしょうね。




岬の漁師の家だそうです。



その内部の一部分です。昔はこんなだったのだなぁと思いました。
ちゃぶ台と火鉢は私のころはまだ使っていました。
ここで見つけて懐かしかったです。



撮影に使われたボンネットバスです。



岬からは穏やかな海がみえます。



撮影に使われた分教場です。



中へ入って
教室の内です。
ずいぶん質素だったのですね。



廊下です。
私自身が通った小学校は藩校の跡だったので木造で廊下はこのようでした。
懐かしく一年生のころを思い出しました。



授業の終わりを告げる鐘がなったらあの12人の子らが飛び出してくるような錯覚を覚えました。
いい映画はいつまでも語り継がれると思います。
帰りのバスの中でガイドさんが田中裕子さん主演の「二十四の瞳」を見せてくださいました。
それでもう一度この映画村を思い出しながら見ました。

姫路そして小豆島の旅は終りました。
余韻に浸りながらやっとここまでアップしました。
見てくださってありがとうございました。(#^.^#)


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2 コメント

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おはようございます~♪ (べん・次郎のママ)
2009-11-24 11:06:40
まるこさん~♪
 いつもありがとうございます。

 ”二十四の瞳”
 1952年に、小説化 そして その2年後に映画化されたとの事でしたが・・・
 小説は私も(昔? 前に)読みましたです♪
 ですが・・・
 舞台となった小豆島☆ おんな先生とイキイキした子供達とのふれ合い♪
 *木造の校舎(私も小学入学した当時は木造の床・廊下でございまして、拭き掃除が大変でしたネ)
 漁師のお家の火鉢(我が家もございましたが、今は花鉢に変身♪)
 ボンネットバスも 故郷では 市営バスは長方形でございましたが、
 県営バスはボンネットバスが走っておりました♪
 懐かしいですね~☆
 島のお人達♪ ”映画村”と、してだけではなく
 島全体の物として大事に保存されているのでございますね。
 改めて 映画も観てみたい! と、思いましたです。
 
 
 
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ママさんへ (まるこ)
2009-11-24 21:51:57
ママさん こんばんは~♪
  いつもありがとうございます。

ママさん 本をお読みになったのですね。
私は読んでいません。^^;
第一作目の高峰さんの映画を確か学校から映画鑑賞という授業で引率で見に行ったのをうっすらと覚えています。とても感動したのを覚えています。
ママさんも木造の校舎だったのですね。
雑巾がけが長い廊下で大変だったけど面白かったです。^^;
ビデオが出ているようです。
もしレンタルショップで見つけられたら是非見てくださいね。
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