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「そのとき」の一枚を気の向くままに!

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高野山 2

2009-09-28 20:41:48 | Weblog
次の日の朝

朝のお勤めへの参加が6時30分から始まりました。
宿泊客一同本堂に集まって勤行を行いました。
とは言っても30分間お経を聞いているだけでしたが。^^;お坊様のお話もありました。
外国人の方もご一緒でしたが後ろのほうで椅子に掛けていらっしゃいました。
暗い本堂の法灯の下で聞くお経をどう思われたのか興味がわきました。^^;

その後7時から朝食、7時30分奥の院へと出発しました。

行く道すがらにあったななかまど?らしき赤い実が綺麗でした。
山地なのでひょっとしてと思い写しました。




奥の院入り口です。手前の橋が一の橋です。



高野山の説明の石碑です。
光が反射して景色が写ってしまい読みにくくなってしまいました。



現地ガイドさんの後に続いて奥へと進みます。
周辺はお墓でいっぱいです。



両側にあるのでキョロキョロといろんなお墓を眺めながら歩きました。
現代風のもありました。
今建築中のもありました。

そうしているうちに石田三成のお墓に案内されました。
昨日のテレビ「天地人」で家康によって斬首されたのが放映されたところですね。
どんな思いで眠っているのでしょうか。



その隣は明智光秀のお墓でした。
ガイドさんのユニークな説明によると五輪塔のおなかの部分にひびが入っていて「腹を見て下さい。悪心はなかった」というように割れているのだとのことでした。
よく見ると縦にひびが入っていました。

五輪塔はその時代によって形が違うそうです。



諸大名群のお墓を過ぎると朝日が差し込んできて明るくなりました。



ここの両側には財閥のお墓が並んでいるそうです。
この坂を通称成金坂というそうです。
そんな中をどんどん奥へと歩きます。



途中に壊れた五輪塔もありました。
五輪搭の中はこのように空洞だそうです。
重い石を少しでも軽く持ってくるための工夫だそうです。
冬に凍ったときにその上を滑らせて運んだこともあるそうです。
重機のない時代の先人のすごい知恵ですね。



奥に御廟が見えてきました。
幕があるところがそうです。



この橋が「御廟の橋」です。
皆さんは玉川の中にある水子の卒塔婆を見ているのです。
かわいそうな死に方をした水子が何で冷たい川の中なんだろうと不思議でした。
ここからは撮影禁止でした。
この橋を渡ると霊域に入るからだそうです。




この後御廟へお参りをしました。
弘法太子様へ少しでも近づくことができた、お参りすることができた喜びを感じました。

帰りは別の道を通りました。
途中にあった「戦争で亡くなったすべての人のお墓」を見つけました。
市井の人の犠牲でもあった戦争でした。
だからこのお墓を見つけてほっとしました。
お祭りしてもらって亡くなった方が少しは浮ばれるのではと思ったからです。

ここで終わりのようです。




お守りなどを売っているところがあったので記念にお彼岸用にとお線香を買いました。

現代の人、誰でも墓地の借用ができるそうです。
小さい区画で100万円くらいだということでした。
宗派を問わない高野山ならではのことでしょう。
こんな森閑としたところにお墓が作ってもらえる人は幸せかもしれませんね。
いつも大勢の人が訪れてきてくれますから。