湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 45年前に買った修学旅行土産の盆

2015年11月18日 11時16分47秒 | 昔々の思い出
今朝7時半頃、家の前の生活道路を近くの小学校の児童がゾロゾロと通っていました。
体格がいいので上級生のようでした。

雨が降っている中を、片手に傘、背中にリュック、
そして、もう一方の手には大きめのバッグを提げて歩いていました。
体育帽も被っていたその出で立ちから、修学旅行ではないかと思いました。

    ※後で小学校のWebサイト(行事予定)を見たら、
      6年生の修学旅行(1泊2日)となっていました。


 自分の修学旅行のときのことを思い出そうとしましたが、
 朧な記憶しか残っていません。

  小学校の5学年,6学年時は「玉名市立玉名町小学校」(*)に在籍していました。
  6年生のときに福岡方面へ行きました。
  「大宰府天満宮」の太鼓橋上でクラス全員揃って撮った写真が残っています。
  私は中央できまり悪そうに旗竿を持って立っているので、
  たぶん級長をしていたんだろうと思います。
  修学旅行の写真は、他に1枚(北九州市にある「若戸大橋」を背景に撮ったもの)
  あるだけで、写真として残っていない景色や情景は全く憶えていません。 

    * : 子供数が多い時代であったのに玉名市内(熊本県)には
       小学校が1校しかなく、私の学年は 11クラスあったと思います。
       玉名市立なのに、なぜ "玉名町小学校" という学校名だったのかは
       わかりません。

  中学校の2学年,3学年時は「熊本市立西山中学校」に在籍しており、
  3年生のときに九州北部方面(?)へ行ったはずですが、記念写真が1枚もなく
  思い出すような事もありません。
  ただ、自分用のお土産として湯呑(寿司屋で出てくるようなデカイやつ)を
  買って帰ったことだけは憶えています。
  この湯呑はその後数十年愛用していましたが、割れたので捨てました。

  高校では2年生のときに奈良、京都、東京へ行きました。
  たぶん往復に新幹線を利用したはずです。
  (もしかしたら当時まだあったブルートレインだったかもしれません)
  「法隆寺」と「唐招提寺」に行ったということは、残っている写真でわかりますが、
  他のことは写真もなく憶えていません。東京で行ったところも憶えていません。
  この修学旅行でも、お土産に買った物は憶えています。
  祖母(この6年後に他界)へ京都の清水焼湯呑、誰かにか竹を編んだ塗り箸、
  そして家には無垢の桑(栗(?))の木で作られた盆(下の写真)です。

  
  
       底面
       

  この盆は都内の百貨店(日本橋三越(?))で買ったもので、
  45年が過ぎた今も使われることがあります。
 
  修学旅行のお土産に選ぶ品物をみてもそうですが、
  当時盆栽にも凝っていた私は相当な渋好み(爺くさい男)だったようです。  


  このように、私には修学旅行の思い出がほとんど残っていません。
    小学生のときの転校がきっかけなのか、
    思春期に至ってからの読書三昧によるものなのか、
     -「車輪の下」など、グレーなものも読んでいました-
    賑やかだったそれまでの性格がガラッと変わり、
    群れて遊ぶよりも独りの時間を好む一匹狼を良しとするようになりました。
  皆と一緒に弾けて楽しむということができなかったのだと思います。
   だからといって
   家で教科書を広げて勉強するなどということもありませんでしたが ・・・


外は霧がかかり肌寒い雨が続いていることもあって、少し鬱陶しい話になりました。

  今朝出発した6年生の旅が楽しい思い出となりますように ・・・